トップページ >主張・見解・論文 >機関紙コラム<二言三言>
全国一般東部労組機関紙コラム <二言三言>
目  次

2016年09月号 東部労組と全国闘争
2016
年08月号 ゼネラルストライキについて
2016
年07月号 原爆投下の何が問題か
2016
年06月号 自民党改憲案の「緊急事態条項」は民主主義の完全破壊と独裁への道
2016
年05月号 ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』を読んで
2016
年04月号 労働組合運動における「体験」について
2016
年03月号 山辺健太郎『社会主義運動半生記』を読む
2016
年02月号 「辞めさせてくれない」相談増加の意味すること
2016
年01月号 従軍慰安婦問題 日韓合意の意味するもの
2015
年12月号 弁護士日曜労働相談
2015
年11月号 東部労組副委員長退任にあたって
2015
年10月号 労働組合はサービス業である
2015
年09月号 インターネットと労働組合
2015
年08月号 労働組合活動家にいま必要なこと 
2015
年07月号 南京大虐殺と映画『ジョン・ラーベ』 
2015
年06月号 佐藤昭夫さんの新著から学ぶ
2015
年05月号 「国のかたち」を変える戦争法案を許さない-反戦平和の思いを引き継ぐ
2015
年04月号  「団結がんばろう」と労働組合
2015
年03月号  労働組合の「発見」
2015
年02月号  戦後70周年と「安倍談話」
2015
年01月号  自主生産の高砂産業支部はどこへいくか
2014
年12月号  少年隊・東山紀之に学ぶ
2014
年11月号  歴史修正主義を軽視するな!
2014
年10月号  地域ユニオンの立場からオリジン労組に学ぶ
2014
年09月号  日本軍「慰安婦」問題をどう考えるか
2014
年08月号  新運転・事故防ピンハネ返せ請求訴訟をなぜ支援するのか
2014
年07月号  「お疲れさまの一言も言えないのか」
2014
年06月号  韓国セウォル号沈没事故と新自由主義
2014
年05月号  職場支部の定着
2014
年04月号  年次有給休暇とフランス人民戦線
2014
年03月号  憲法があるから団結権が保障されているわけではない
2014
年02月号  犯罪と労働組合
2014
年01月号  中小零細・非正規労働者と地域合同労組・地域ユニオン
2013年12月号
  テレビドラマ「ダンダリン 労働基準監督官」を見る
2013年11月号
  闘いの主人公は労働者自身
2013年10月号
  労働相談を受けて考えること
2013年09月号
  進取の精神について
2013年08月号
  すかいらーくは3人目の過労死被害者を出すな!
2013年07月号
  1952年、女性教師の涙
2013年06月号
  敵は一人でも少なく、味方は一人でも多く
2013年05月号
  アンドルー・ゴードン『日本労使関係史1853-2010』を読む
2013年04
月号  安倍政権の新自由主義政策と闘う
2013年03月号
  女性労働相談と国際女性デー
2013年02月号
  柔道女子日本代表の決起に思う
2013年01月号  官営八幡製鉄所の大ストライキ
2012年12月号
  労働組合の組織原則について
2012年11月号  組合員拡大の6つの方法
2012年10月号  先進支部に学び、職場で組合員を増やそう
2012年09月号   インターネットを労働運動の武器に!
2012年08月号   労働問題の解決をどこに求めるべきか
2012年07月号   いまふたたびの槇村浩
2012年06月号   「力の思想」の復権を!
2012年05月号   関越道ツアーバス事故と労働組合のチカラ
2012年04月号   全金田中機械支部大和田委員長を追悼する
2012年03月号
   「国策民営」事業と労働者
2012年02月号   職場の非組合員を強力なオルグ活動で支部に迎えよう!
2012年01月号   エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』
2011年12月号   第38回大会で感じたこと
2011年11月号   荒畑寒村
2011年10月号   ディーセント・ワーク
2011年09月号   焼き場に立つ少年
2011年08月号
   労働運動再生のカギ
2011年07月号   「ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968」
2011年06月号   職場闘争を強めよう(3)仲間をふやそう!
2011年05月号
   反原発闘争のこれから
2011年04月号   大震災・原発事故と労働組合
2011年03月号   職場闘争を強めよう(2)組合の「要求」について
2011年02月号
   職場闘争を強めよう(1)組合結成申し入れ行動後の課題
2011年01月号   『アリランの歌』
2010年12月号   岩国米軍基地行動に想う
2010年11月号
   菅民主党政権と「新成長戦略」
2010年10月号
   徳島ユニオン北野静雄さんに学ぶ
2010年09月号   太田総理の辞任と正義の戦争
2010年08月号
   資本家の論理
2010年07月号   タイガーマスク三沢光晴の事故死と刑法35条
2010年06月号   NHK スペシャル『タクシードライバーは眠れない』
2010年05月号   『資本論』を読もう!
2010年04月号
   茨木のり子
2010年03月号
   「いつも心に硫酸を!」
2010年02月号   小沢疑惑と労働者の立場
2010年01月号
   地球の歴史
2009年12月号
   蓮舫にだまされるな!
2009年11
月号   NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』
2009年10月号   歌の力
2009年09月号    労働相談から社会を見る
2009年08月号
    ノーベル物理学賞益川敏英と唯物弁証法
2009年07月号
    広島電鉄の労働組合「少数派から多数派へ」
2009年06月号
    戦前の労働運動家、鶴五三さんに学ぶ
2009年05月号
    デイベンロイでの田中元取締役の労働組合破壊策動
2009年04月号
    槇村浩「間島パルチザンの歌」
2009年03月号    「搾取」と「収奪」
2009年02月号    ストライキ件数
2008年12月号   「名ばかり労働組合」
2008年11月号   前航空幕僚長の田母神を懲戒処分せよ!
2008年10月号   初級労働学校
2008年09月号    大久保製壜闘争の精神を引き継ぐ
2008年08月号    『蟹工船』
2008年07月号    「2006年の転換」
2008年06月号    秋葉原無差別殺人事件
2008年05月号    三鷹高校土肥校長へエールのファックスを集中しよう
2008年04月号    兵士達の南京大虐殺
2008年03月号    歌人 池田はるみ
2008年02月号    「名ばかり管理職」
2007年12月号    労働契約法の成立をうけて
2007年11月号    戦争反対の原点
2007年10月号    セクハラ争議の解決
2007年09月号     少年時代
2007年08月号    「日本人の誇り」とは何か
2007年07月号    「戦闘的労働組合」のゆくえ
2007年06月号    売ったらあかん
2007年05月号    憲法の改悪を阻止しよう!
2007年04月号    支部結成 勝利の条件は何か


東部労組と全国闘争

労働組合の組合員はその日常活動の90%以上を自ら働く現場での活動にあてている。

東部労組もそうだ。

それは当然のことであり、それなしには労働組合の存在はありえない必要条件である。

労働組合の結成とその後の職場闘争、そして争議の勝利は地域合同労組・ユニオンにとって存立の基盤をなす。

今年5月に女性7人で組合結成した東部労組個人タクシー協同組合新東京職員支部が先日、「パワハラをやめろ!不当労働行為をやめろ!」と初めてのストライキを決行したのはそのひとつの事例だ。

と言って、所属する個別労働組合の活動に専心しているだけでよいわけではない。

個別争議の勝利を100回かちとっても、それだけで労働者全体の勝利にならない。

労働組合の全国闘争が必要だ。

東部労組の全国闘争は、おもに所属する全国一般労働組合全国協議会と全労協、さらにコミュニティ・ユニオン全国ネットワークの闘いと組織を基礎に打ち立てられている。

全国闘争は個別労組の闘いと組織の単なる集積ではない。

全国闘争としての力を発揮できる闘いの集中と統一、つまり個別労組の闘いとは違う全国闘争の法則性に精通することが求められる。

だからそのことを厳しく自覚することとそれに熟達する努力が必要である。

しかし全国闘争が個別労組の闘いとまったく隔絶しているわけではない。

労働者の血と汗と涙でかちとった個別労組の闘いが全国闘争の力強いすそ野を構成すべきである。

また労使対立の現場での階級観点と緊張感は全国闘争にも共通すべきものだろう。

職場闘争から全国闘争を貫く<生きた階級闘争>をしっかりつかむということだと思う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年9月号 コラム<二言三言>

<お知らせ>
コラム<二言三言>は2007年4月号から東部労組機関紙「東部労働者」に9年あまり連載されてきましたが、東部労組執行委員会の了解を得て、本号をもって掲載を終了させていただきます。長い間のご愛読ありがとうございました。(石川源嗣)


ゼネラルストライキについて

先月トルコでクーデター未遂事件があり、エルドアン大統領はその鎮圧に乗じて、非常事態を宣言し、反対派を弾圧し、民主主義を破壊している。

めざすは戦前日本の2.26事件と同様、クーデター鎮圧を奇貨とする独裁体制の強化にほかならない。

それとまったく逆のケースが、100年近く前にドイツであった。

第1次世界大戦の敗戦とキール軍港の水兵の反乱にはじまるドイツ革命で、皇帝は退位・亡命し、ワイマール共和国が成立した。

しかし革命の主力であった労働者・兵士評議会(レーテ)はつぶされ、革命を簒奪(さんだつ)した社会民主党と軍部による支配が確立した。

ベルサイユ条約発効による国防軍の削減に反対し、革命の防波堤としての社民党の必要性はなくなったと判断した右翼政治家カップとドイツ軍部は1920年3月、ベルリンに進軍占領し、社民党エーベルト政府はドレスデンに逃亡した。

ドイツ軍部は新政府樹立を宣言した。

世に「カップ一揆」という軍事クーデターである。

これに対し、ドイツの労働組合と労働者は政府防衛でなく軍事独裁反対でストライキに立ち上がった。

まさにドイツ中の工場など生産現場、官庁、商店、交通機関、印刷、電信電話、水道・ガス・電気すべてがストップし、一揆政府を完全にマヒさせた。

「スト指導者は死刑」とのおどしも効かなかった。

全国で1200万人が参加した、史上最強といわれるゼネラルストライキは1週間続き勝利した。

カップ一揆は4日で失敗、カップらは亡命した。

ストライキ委員会の「労働組合が影響力を持つ新政府の樹立」、公共事業から反動人物の排除、行政の民主化、軍事団体の解散などを政府与党が受諾し、ストライキは正式に中止されたが、その後の折衝を通じ、相変わらずの連立政府の成立に終わり、またも革命のチャンスを逃した。

教訓は何か。

第1に、労働者・労働組合の最大最強の武器としてのゼネラルストライキの再確認と将来の獲得目標として設定すること。

第2に、ゼネストは昔の外国の話ではない。

たしかに日本では本格的なゼネストの経験はないが、矛盾を先送りすることで回避してきた資本主義の危機は遅かれ早かれ行き詰まり、世界的地殻変動のなかゼネストを求める客観情勢は成熟せざるを得ない。

第3に、長い視野で、個別争議でのストライキの経験を積み、戦略戦術を鍛え、チャンスに備える主体的条件形成のねばり強い努力が求められる。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年8月号 コラム<二言三言>


原爆投下の何が問題か

先日ある先輩組合員と懇談する機会があり、話は多岐にわたったが、印象に残ったのは戦争と平和、そしてそれに対する労働者の立場、観点の問題であった。

広島、長崎への原爆投下や東京などの空襲について、非戦闘員に対する米軍の無差別爆撃は非難されるべきであるとの主張に対して、その先輩組合員は別の見方を提示された。

当時、原爆投下の一報を受けた中国の人びとが、戦っていた相手である日本軍国主義に打撃を与え、敗北に導くあらゆることに共感するのは当然ではないか。

実際、原爆投下のあと、「よくやった」との気持ちでの祝賀デモまであったという。

たしかに親や兄弟姉妹、そして子供や孫を殺された中国人の当事者、さらに日本軍国主義打倒を一日でも早くと願う人びとにとって、原爆投下がそのように受け取られることは理解できることである。

だが同時に、日本軍国主義の残酷な中国侵略とそれに対する反撃という苦闘の末に獲得した、中国指導部の「日本軍国主義と日本の労働者人民は分けて考える」という総括と階級観点から学ぶことは必要であると思う。

まとめると次のようになるのではないか。

ひとつは、日本軍国主義の中国、アジア侵略、そして朝鮮、台湾の植民地支配は非難すべきである。

それらの現在の象徴としてある「南京大虐殺」と「従軍慰安婦問題」はあいまいさを許さず、責任を明らかにすべきである。

もうひとつは、アメリカによる日本の非戦闘員への無差別爆撃は非難されるべきであり、オバマ大統領は「空から死が降ってきた」ではなく、きちんと謝罪すべきである。

最後に一番重要なことは、日本の労働者・労働組合という闘争主体として、日本軍国主義との階級闘争に敗北し、中国、アジア侵略を阻止できなかった総括と原因を追究し、今後の闘いに生かすことにあると思う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年7月号 コラム<二言三言>


自民党改憲案の「緊急事態条項」は民主主義の完全破壊と独裁への道

昨年9月の戦争法強行採決に続けて、安倍首相は今年3月、在任中の憲法改正と夏の参院選で改憲発議に必要な3分の2の勢力結集をめざすと公言した。

また4月の熊本地震の際、菅官房長官は大災害時などの対応を定める緊急事態条項を憲法改正で新設することは「極めて重く大切な課題だ」と述べた。

さらに、災害時の人命救助は、憲法の問題ではなく法律とその運用の問題であるにもかかわらず、右翼評論家の櫻井よしこ氏は5月、「緊急事態条項がなかったばかりに、3.11の東日本大震災では、救える命を救うことができなかった」と何の根拠も示さず嘘八百をならべた。

安倍首相の狙いは参院選が終わるまではひたすら憲法・平和問題を封印し、終わったとたん一気に「緊急事態条項」など改憲策動に向かおうとしているのではないか。

2012年、自民党は憲法改正草案を発表し、その中に「緊急事態条項」を提起した。

「緊急事態条項」とは、「我が国に対する外部からの武力攻撃、内乱等による社会秩序の混乱、地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態」(自民党改憲案)としている。

安倍政権が「緊急事態条項」を憲法改悪攻撃の単なる入り口ではなく、正面突破の課題と設定していると思われるのは、侵略や自然災害など国民にわかりやすく、受け入れやすいという一般に言われている理由だけではなくて、内閣は「法律と同一の効力を有する政令を制定」できるというところにあると思われる。

これが制定されると、内閣は国会での法律の審議決定は必要なく、法律と同じ「政令」を勝手にいくらでも作ることができる。

かつてヒトラーは緊急大統領令や全権委任法で、事実上の戒厳令をしき、基本的人権を停止し、多くの人を逮捕し、政党と労働組合を禁止し、独裁体制を確立した。

いま、来月の東部労組の学習執行委員会で行う「労働組合はナチスをなぜ阻止できなかったのか」の報告準備を少しずつ進めていて、ヒトラー独裁の迅速さに身の毛がよだつが、その独裁確立の直接のカギはヒトラーが首相就任1ヶ月たらずで遂行した立法権を内閣が独占したところにある。

かつて日本では治安維持法の重罰化法案(最高刑を死刑とする)が国会で審議未了で廃案になったにもかかわらず、緊急勅令で法案が復活成立した事例と同様である。

参院選では安倍政権を追い詰めるとともに、選挙後に強行を狙う憲法改悪の核心である「緊急事態条項」の導入に反対しよう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年6月号 コラム<二言三言>


ジョン・ダワー著『敗北を抱きしめて』を読んで

私のこれからの仕事の中心は戦後労働運動の総括になると思っているが、その準備作業のひとつとして、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』(岩波書店)を読んだ。

ジョン・ダワーはアメリカの歴史学者で、昨年も朝日新聞のインタビューに、「現在まで日本国憲法が変えられなかったのは、日本人が反軍事の理念を尊重してきたからであり、決して米国の意向ではなかった。

変えたいというのなら変えられたのだから、米国に押しつけられたと考えるのは間違っている」と話し、大きな共感を呼んだ。

この本は原著が1999年の出版で、日本語版もベストセラーになった。

内容は、おもに日本の敗戦とアメリカの占領の期間(1945年~1952年)を扱っている。

論点は多岐にわたるが、ここでは次の点に注目した。

第1は、アメリカによる日本占領の意味。

思想、信仰、集会及び言論の自由を制限していた治安維持法などの法令の廃止、憲法、婦人参政権、教育、財閥解体、農地解放、そして労働者の団結権、団交権、スト権(1945年12月労働組合法公布)など「上からの革命」を行った。

同時にダワーは、東京裁判などでの、西欧の権益追求での蛮行、空襲や原爆投下による非戦闘員の生命財産の無差別破壊、被害を受けたアジアの人々の徹底した無視というアメリカとその占領軍のダブル・スタンダードを指摘する。

たとえば東京裁判の判事、検察官に朝鮮人がひとりもいなかったのはなぜか。

第2は、「天皇制民主主義」の問題。

天皇の戦争責任を問わない、退位させないという、アメリカの日本支配を完遂し、国体を護持するための日米の組織的協働作業が綿密に実証される。

第3は、戦争中に原型が作られ、敗戦と占領によって強化された、日米支配層合作の官僚制的資本主義体制。

占領軍は民主主義ではなく官僚主義を推進、戦時官僚制度の上に建てられた安普請ともいう。

そして、日本を強力な反共の砦として確保する「逆コース」、冷戦。

その文脈のなかで、占領軍が直接介入してそれを禁止した1947年の2.1ゼネストの挫折も検証されなければならないだろう。

この書は、「戦後社会の枠組み」を検証する機会を与える。

敗戦から71年の何が「現在」を形成させているのか、変革主体の有り様はいかに。

時代が求める労働組合運動の根底的総括の第一歩としたい。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年5月号 コラム<二言三言>


労働組合運動における「体験」について

東部労組の多くの組合員は職場での支部(労働組合)結成の体験を持っている。

これは他のことに代えがたい、一生の宝である。

何度か述べたように、全国にある労働組合の組合員の99%が直接自分の労働組合の結成に関わっていないことを考えれば、なおさらその重要性は強調すべきと考える。

組合結成通知の前夜よく眠れなかったこと、はじめて社長を前にした団体交渉で、足ががくがくし、緊張の極限に達したこと、また読み上げる組合要求の一つひとつに、「そうだ」 のかけ声と力いっぱいの拍手で組合員同士の連帯感と経営者への怒りを感じたことを忘れてはならない。

同時に、その後現在も続く職場闘争での怒り、喜び、悔しさは日々体験しているところである。

争議、労働委員会・裁判、ストライキ、日常の職場活動がある。

労働組合で「体験」の持つ意味は大きい。

すべて最初は体験からはじまる。

あのフランス革命もフランスの民衆のバスティーユ監獄襲撃の体験からはじまった。

体験の積み重ね、蓄積の総体が労働者の、そして人類の「経験」を構成する。

私たちの認識の形成は自身の体験を基礎に行われるべきである。

しかし、それはあくまで認識形成の「基礎」にすべきものであって、体験にとどまって自己満足してよいということではない。

私たちは、現在と未来のために闘い続けている。だからエネルギーをそこに集中する。

したがって、私たちの闘いの現場である職場闘争の体験を総括することが何よりも必要だと思う。

しかし同時に現在と未来の闘いを勝利させ、変革するためには、自らの体験を過去の労働者・労働組合の経験、さらには人類の経験と結びつけて検証・総括し、教訓を引き出すことが不可欠であることも同時に確認されなければならない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年4月号 コラム<二言三言>


山辺健太郎『社会主義運動半生記』を読む

最近出版された中塚明編著『歴史家山辺健太郎と現代』に触発されて、40年前に山辺健太郎自身が語った『社会主義運動半生記』(岩波新書)を読んだ。

山辺健太郎といっても、いまではほとんどの方はご存じないと思うが、みすず書房の「現代史資料・社会主義運動」、岩波新書の「日韓併合小史」、「日本統治下の朝鮮」などの著作で、後世に貴重な遺産を残した歴史家として高名である。

彼は戦後、「朝鮮侵略の問題を抜きにしては、日本の近代史はわからない」と近代朝鮮史の研究に専念した。

私も会ったことがあるが、無精髭(ぶしょうひげ)とはだしに下駄(げた)履き、風呂敷包みがトレードマークであった。

しかし彼は単なる学者ではない。

戦前、戦中の労働組合運動、社会主義運動を闘い抜いた。

その前半生を記したのがこの『社会主義運動半生記』である。
 
小学校卒で、丸善大阪の小僧、足袋(たび)工場の職人をやりながら、1921(大正10)年の第1回大阪メーデーに16歳で参加している。

日本労働組合評議会(略称は評議会)ができて、1925年、20歳でその大阪一般労働組合の専従になった。

組合員は900人近かったという。
 
翌年、評議会傘下の浜松合同労働組合が組織した浜松日本楽器争議に参加、争議日報を担当した。

105日間のストライキという大争議を最後まで1000人近い組合員が闘ったが、解雇350名、解雇手当3万円という調停で労働者側の敗北に終わった。

しかし争議は昭和恐慌期直前の労働運動の高まりを示すものであった。
 
その後、日本労働組合全国協議会(略称は全協)での闘いに続いていく。
 
この本を読んで、戦前戦中の山辺健太郎らの闘いから学ぶ点はなんだろうか。
 
第一は、限りなき底抜けの楽天主義と闘いの持続。

権力の度重なる弾圧、逮捕、投獄、そして裏切りに対しては、非転向で闘った。

楽天主義でなきゃやっていけないか。

この本にも出てきて、前に言及したことのある荒畑寒村と共通する点である。
 
第二に、評議会結成時の分裂主義、セクト主義への反省と戒め。

万難を排しての強大な労働者の統一戦線の追求は現在も同じだ。
 
第三は、「法律的救済を求め」ず、実力闘争、大衆闘争を基礎とする思想。
 
今の運動と同じような似たことをやっているが、運動の質を考えると、戦前戦中の方がある面でははるかに上のような気がする。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年3月号 コラム<二言三言>


「辞めさせてくれない」相談増加の意味すること

NPO法人労働相談センターが扱った2015年の相談件数は前年を329件上回る8597件(月平均716件)になり、過去最高を記録した。

相談内容では、「いじめ嫌がらせ」がこの3年ほどトップを続けている。

15年ほど前には、相談件数の5%に届かなかった「いじめ嫌がらせ」が毎年増加し、昨年は22%にまで急伸し、相談内容の第1位になっている。

また目立つのは「辞めたいのに辞めさせてくれない」相談の増加である。

直近の集約でも、経営側から「あなたが辞めたらみんなが困る」「辞めるなら裁判を起こしてやる」「嫌でも働いてくれ」などと脅かされ、「夜中に電話で引き留め」られるような「辞めさせてくれない」事例が続いている。

「バックレるしかないのか」と悲鳴が漏れる。

この「辞めさせてくれない」相談は昔はほとんどなかった。

10年ほど前から目立ちはじめ、当初は対応に戸惑った。

2010年ころから急増し、昨年は947件(月平均79件)であった。

この年間900件を超える異常な高水準は2013年から3年続いている。

経営者にとって、労働者を解雇するのも、辞めさせず働かせ続けるのも、思い通りの、完全な自由である状態が一番よい。

かつては、労働者がかなり広く持っていた「退職の自由」はこの10年ほどの間に、強く制限されるようになった。

文字通り経営者が労働者にたいして常に生殺与奪の権を持つ。

昨年労働相談の最大の特徴といえる「いじめ嫌がらせ」と「辞めさせてくれない」相談の高止まり状態は、現在の労働実態と多くの労働者が職場でいかに働きづらい状況になっているかを如実に示していると言える。

「辞めさせてくれない」相談増加の要因は、労働者派遣法の制定と改悪(2003年製造業派遣解禁、2015年「生涯派遣」)、そして非正規労働者の増加による雇用の不安定・劣化、また労働組合員数とストライキ争議件数の減少による労働者の力の減退、その結果としての職場での労働者の無権利にある。

派遣労働者など非正規労働者の労働環境悪化は、全労働者の労働条件、生活と権利破壊に連動直結している。

これら歴代政府とりわけ安倍政権の新自由主義政策の強化に対抗する基本的な力の源泉は、職場での労働組合結成とその強化にある。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年2月号 コラム<二言三言>


従軍慰安婦問題 日韓合意の意味するもの

昨年12月28日、日韓両政府はソウルで外相会談を開き、慰安婦問題を決着させることで合意した。

日本政府が軍の関与や政府の責任を認め、元慰安婦支援で韓国政府が新たに設立する財団に日本から10億円を拠出すると表明。

日韓双方が、この枠組みを「最終的かつ不可逆的解決」とすることを確認し、共同記者会見を行った。

この日韓両政府合意について次のように考える。

まず何よりも第1に、被害当事者抜きの解決はありえないということ。

私たち労働組合の争議において、当事者の合意・了解なしの解決などあり得ないことと同じである。

当事者に一言の相談もなく、勝手に決めてしまった「最終的かつ不可逆的解決」などできるわけがない。

第2は、その合意内容である。

日本の法的責任をあいまいにし、河野談話で明記した「歴史教育を通じ問題を永く記憶にとどめ」がないことが一番の問題ではないか。

また少女像の問題で加害者側が撤去を主張することや被害当事者抜きで10億円の支援決定などはありえない話だ。

とはいえと言うか、にもかかわらずと言うか、第3に、安倍首相らのかつての主張からの後退を見ておかなければならない。

安倍政権は、「強制連行を示す証拠はなかった」(2007年安倍首相答弁書)や「河野談話」の見直し、性奴隷制の否定など従軍慰安婦の存在自体を否定するような言動を繰り返してきた。

しかし今回は、内外の様々の圧力によって、要旨「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけ、日本政府は責任を痛感している。安倍首相は、心からおわび と反省の気持ちを表明する」と言わざるを得なかった。

それに対し、右翼勢力・歴史修正主義者からは安倍への非難やとまどいの声がわき起こ っているほどである。

安倍政権は軌道修正を図らざるを得なかったといえる。

しかし慰安婦問題についての安倍政権の本性が変わったわけではないし、巻き返しも想定される。

これからは日本政府に対して、合意の不正を追及し、従軍慰安婦問題の事実認定、謝罪、補償、歴史教育についての闘いを強めないといけない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年1月号 コラム<二言三言>


弁護士日曜労働相談

先日NPO法人労働相談センターの労働相談を担っていただいている弁護士さんへの慰労会があって参加した。

弁護士労働相談は、ほぼ月1回、クラマエ法律事務所の4名の弁護士が交代で来ていただいてボランティアで労働相談に応じてもらっている。

クラマエ法律事務所は東京都台東区蔵前にあって、「市民の暮らしとともに 30年の経験と実績 女性弁護士だけの法律事務所」がうたい文句である。

そもそもは2013年のひなまつりに「女性労働相談デー」と銘打って、女性のための、女性だけによる日曜労働相談を実施し、その際に応援に来ていただいたことがきっかけだった。

そのあと定例化に応じていただき、弁護士労働相談として1年半ほど実績を積み、現在も継続中である。

弁護士による労働相談を受けたいとの相談者からの要望は根強く、またそれも無料かつ面談での労働相談は全国的にも珍しく、好評を博している。

ひとり1時間ほどの丁寧な相談を確保するため、いつも予約でいっぱいである。

また労働相談をほめていただく弁護士や学者は多く、それはそれでありがたいが、実際にやっていただける方はそんなにいない。

そういう意味でも貴重な活動としてともに大事に育てていきたいものだ。

労働運動は労働者自身が立ち上がることが基本だが、労働運動以外との協力やマスコミ、世論への訴えなど社会的総合力を結集しなければ勝利できないのも事実である。

裁判や労働委員会などはいうまでもなく、労働相談においても労働弁護士の役割は、ほかに代えがたいものである。

今後は、NPO法人として、また社会的労働運動として、労働運動の広い裾野を形成する労働相談の分野でも、弁護士など多くの専門家と協力・共闘関係をもっと大胆に強めるよう努力していきたい。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年12月号 コラム<二言三言>


東部労組副委員長退任にあたって

11月8日の東部労組第42回定期大会とそれに先立つ最後の執行委員会で、要旨次の副委員長退任あいさつをした。

私は1980年に東部労組ではじめての専従書記長になって13年間務めた後、現在まで副委員長でした。

35年間の執行部在任を今期で退任します。

退任にあたり強調したいことの第1は、労働組合(支部)結成の意味です。

ここにいるほとんどの組合員は直接労働組合結成に参加しています。

しかしそれは全国的に見れば非常に特異なケースなのです。

全国の労働者の99%が直接自分の労働組合の結成に関わっていません。

おもに東部労組を含む一部の地域合同労組・ユニオンだけが一人ひとりの労働者の人生を変える組合結成を経験しているのです。

戦前は命がけ、敗戦直後の先輩労働者はみな自分たちで労働組合を作って闘いました。

私たちはこのことを自覚して、もっと誇りにしてよいと思います。

本来、労働組合とはこうであらねばなりません。

組合結成のときの初心を忘れないこと、さらに同じ経験をする仲間を増やし、新しい支部結成を追求することが大事です。

第2は、組織化をはじめ専従活動家の持つ地域合同労組での決定的役割です。

先述の通り、私一人ではじまった専従役員は今大会で5人体制になりました。

専従体制は東部労組の共有財産です。

第3は、同時に自分の職場の職場闘争の総括・方針・実行を自分たちでできる、ひとり立ちの職場活動家が必要です。これからの大きな課題といえます。

第4は、それらによって古い支部と新しい支部がお互いによいところを学び合い、原則性を持つとともに、多様性を持った「分厚い東部労組」をめざすことです。

第5は、組合民主主義と組合規律の問題です。

4年前の2011年に4人の組合員が「東部労組の大会決定は守らない」と表明する事件が起きました。

執行委員会は4組合員に発言の撤回と謝罪を要求しましたが、彼らは拒否しました。

2年間の粘り強い討議によってやっと、4組合員は発言を誤りと認め、発言を撤回し、謝罪しました。

4組合員問題の重要性は「大会決定は守らない」などの発言を放置したら労働組合は崩壊するということです。

なぜなら労働組合は組織以外に闘う武器を持たないからです。

組合員は大会討議などでこの問題の重要性を学んだと思います。

これからも組合民主主義と組合規律を強めましょう。

最後に、長い間お世話になりました。ありがとうございました。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年11月号 コラム<二言三言>


労働組合はサービス業である

労働組合は労働者を結集し、その力で資本・経営者と闘い、労働者の利益を守るためにある。

その際留意すべきことは2つあると思う。

ひとつは階級観点、力の思想をもつこと。

つまり資本家に幻想をもたず、ストライキを はじめとする労働者・労働組合の実力で資本家と闘い、労働環境を変えることである。

もうひとつは労働者自身による自力自闘である。

弁護士は労働者の代理人になって、労働者の代わりに仕事をするが、労働組合は労働者の代理人にはならない。

労働者が自ら立ち上がり、かれら自身が労働組合として闘うことを援助し、ともに闘うのである。

その二つのことを前提として、「労働組合はサービス業である」ことを強調したい。

私たちも含め、地域ユニオン・合同労組などの組合活動の現状はまだまだ組合員や労働者の関心や利益に十分応えていない。

殿様商売とか怠慢と言われても、あながち的外れではない。

「労働組合はサービス業である」ことを強調するのは、たとえば、先月本欄で指摘したインターネットの活用もそのひとつといえるが、広く世間に労働組合の有用性を訴えることや、じっくり話し込んで相手の実情を正確に知り、オルグ活動をすること、かゆいところに手が届くような職場活動など組合活動全般にわたり質的にレベルアップすることが必要になっているからである。

労働組合の課題は労働者とどう結びつくのかということにつきると思うが、従来の「守りの組合活動」を脱し、「攻めの組合活動」を作り上げるため、「労働組合はサービス業である」という観点で、もういちど日常活動を点検してみてはどうだろうか。

いまは新自由主義という徹底した労働者分断・逼塞社会である。

地域ユニオン・合同労組などの組合員数の減少傾向が止まらないのには理由がある。

そしてそれを突破して労働者が思い切って立ち上がる社会を獲得するためにこそ、まず「労働組合はサービス業である」ことを自覚し、そしてその観点による、今までにない組合活動とさまざまな闘いを創造的に前進させることが求められていると思う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年10月号 コラム<二言三言>


インターネットと労働組合

2012年9月の本欄で、「インターネットを労働運動の武器に!」との表題で、東部労組・ ジャパンユニオン・労働相談センターのホームページ改善のため、組合員から厳しい意見 を寄せてもらうこととそれらをホームページに反映する作業チームの必要性を訴えた。

その意義は今も変わっていない。

それから3年、ますます私たちの周りはコンピュータとインターネットだらけである。

それらがないと、なにごとも進まない。

その現実をふまえ、インターネットへの対処を考えなければならない。

1995年はインターネット元年といわれ、「流行語大賞」にもなった。

労働相談センターのホームページを開設したのはその翌年であった。

それから20年、インターネットの役割 は飛躍的に増している。

では労働組合にとってインターネットに対処する現在の問題点は何であろうか。

それは、情勢、知識の収得など「受け手」としてのインターネットの活用は進んでいるが、その一方で、「送り手」としての活用は進んでいる面と遅れている面がある。

ツイッターやフェイスブックなどSNSの活用による情報発信はすごい勢いで進んでいる。

それらによるコミュニケーションは大事だし、成果も生まれている。

しかし労働組合にとっては、そのカギを握るのは現在でもやはりホームページの制作とそれによる情報発信ではないか。

労働組合への加入案内や活動紹介など総合性と一覧性はまだホームページが優れていると思われる。

したがって、ホームページ制作にあたっては、労働者と組合員が見やすく、信頼できるものにするため、第1に更新日の記入からトピックス、写真などを毎日更新し、生きたページを提供すること、そして第2に労働組合活動家自身がホームページ作成技術に習熟す ることが必要と思う。

いずれにせよ、インターネット、ホームページは巨大な力をもち、まちがいなく21世紀後半のコミュニケーションの主役の座を占めるであろうが、まだできたばかりの新生児なので、試行錯誤の時代が続くのは間違いない。

失敗を恐れず、大胆に実験をくりかえそう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年9月号 コラム<二言三言>


労働組合活動家にいま必要なこと

労働組合に課題は多い。

いまは安倍政権の戦争法案を粉砕する闘いが最重要課題といえる。

戦争に向かわせる情勢、つまり私たちの労働環境が破壊されるところに労働条件の向上はあり得ないからだ。

戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動に集まろう。

だが同時に、労働組合の基本課題は組織の強化拡大であることは言うまでもない。

歴史的にも、労働組合を中心とする労働者民衆の力がいつも情勢を打開してきた。

しかしいま全国の地域合同労組・ユニオンの現状を冷静に見てみると、共通して組合員の減少傾向が止まらない。

組織崩壊に向かうのではないかと思えるほどの危機にあるのが現実である。

尻に火がついている。

では何をなすべきか。労働組合運動復活のポイント、労働組合活動家にいま必要なことは何か。

改めて地域合同労組・ユニオン運動の基本を強調したい。

それは第一に、労働現場にこだわること、つまり賃労働と資本の関係を成立させ、労働者を労働者たらしめている生産と労働と搾取の現場での闘いと組織が労働組合運動の基礎であり、基本であることが繰り返し確認されなければならないと思う。

第二は、階級観点と「労働者は必ず立ち上がる」という信念。

第三は、労働組合運動は大衆闘争であるということの再確認。

個人争議の意義を否定するものではないが、集団の闘争をめざすということだ。

したがって第四に、組織化実現に向けた主な手段である労働相談活動の強化に力を入れること。

そのため第五に、組合活動全般を指導できる自前のオルグ体制をつくること。

第六に、労働相談のやり方、組合結成の方法、組合運営、争議、不当労働行為対策、さらに団体交渉、職場闘争、労働委員会、裁判対策などの習得と経験の蓄積。

またそれらについての全国各地の優れた戦術と教訓の共有化、普及が求められている。

これらの課題はすべて一朝一夕にできるものではなく、足腰を強める日常的な努力を持続して、労働組合の基礎体力の強化と蓄積が求められていると思う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年8月号 コラム<二言三言>


南京大虐殺と映画『ジョン・ラーベ』

「日本人が南京事件のことを知らなくていいのだろうか」という強い問題意識で、劇映画『ジョン・ラーベ~南京のシンドラー』が7月20日、日本教育会館大ホールで上映される。

1937年、日本は盧溝橋事件を起こし、「満州」(中国東北部)に続く中国への全面的な侵略戦争をすすめた。

第二次上海事変から中国の首都である南京に侵攻した。

その中で、南京大虐殺を引き起こした。

その実態は虐殺を実行した兵士自体が書き残した陣中日記に明らかである(<二言三言>2008年4月号「兵士達の南京大虐殺」)。

この映画の主人公のドイツ人のジョン・ラーベは当時、多国籍企業シーメンス社の南京支社長であり、非武装中立の南京安全区国際委員会の委員長となって、中国民間人の保護に努めたという。

また自分の所有する土地にハーケンクロイツ旗を掲げ、602人といわれる避難してきた民間人を戦禍から守ろうとした。

南京陥落後は、非人道的行為の防止に尽力する。

この映画は日本では、南京大虐殺はタブー視されるため配給会社がつかず、公開されていない。

数か所で自主上映会が行われただけという。

この映画自体は未見なので論評できないが、20日の上映会はおおいに期待している。

いま戦争法案強行採決の危機にあり、安倍首相は戦後70年談話を発表する予定であるが、南京大虐殺や従軍慰安婦問題はなかったことにしようとしている。

歴史の負の真実に対して、それを隠すのではなく、真っ正面から向き合い、二度と起こさないことを誓うことが必要なのだ。

他民族を侵略・抑圧すること、またそれを正しいと容認すること、またはその事実を隠蔽しようとする資本家たちと闘う以外に労働者が生きる道はない。

まさに従軍慰安婦問題と南京大虐殺は日本の労働者にとって試金石というべきであろう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年7月号 コラム<二言三言>


佐藤昭夫さんの新著から学ぶ

佐藤昭夫さん(早稲田大学名誉教授・弁護士)の新著『「武力信仰」悪夢再現を憂える 戦後労働法を学んだ陸軍将校生徒(米寿の記)』が悠々社から出版され、 先月、私も呼びかけ人になった出版記念会が亀戸カメリアで開催された。

佐藤さんは、戒能通孝、野村平爾など労働者側に立つ労働法学者の系列で、私の前著でも『労働法学の方法』から引用させてもらったり、全金田中機械支部の大和田委員長追悼会に同席させてもらったりしている。

当日も米寿(88歳)とは思えない頭脳明晰、言語明瞭でよどみがなかった。

あいさつを依頼されて、「本書の一貫した基本テーマは団結権で、労働者が尊厳を持って生きるには、団結権確保が何より必要だということを学んだ。

私たちの経験での実感とも合致する。

職場で集団的労使関係を確立するために奮闘したい。

佐藤先生のご健康を祈る」と発言した。

本書の特色は、いま闘われている労働争議に対する佐藤さんの20本に及ぶ意見書・告発状・陳述書で、いずれも裁判・労働委員会に大きな影響を与えた。

同時に、本書の「終章 今、何が必要か」で次の2つのことが主張されている。

ひとつは、<労働組合がどのような役割を果たすかは、そのときの主体的・客観的諸条件によって、一様ではない。1937年7月に盧溝橋事件が起こり、中国に対する戦争がはじまると、当時の有力なナショナルセンターであった全日本労働総同盟は、同年10月17、18日の年度大会で、今日の時局は「非常時局」であり、「労働者階級もまた時局の担当者たる矜持(きょうじ)を持し、・・・・あるべき犠牲と困苦に対しては、自ら進んで堅忍するの用意あるを要する」とし、「進んで全産業にわたり同盟罷業の絶滅を期す」という「宣言」を決議した。そうして、翌38 年4 月には国家総動員法が作られ、39年7月には国民徴用令が発せられる。40年7月8日には総同盟の自発的解散決議、11月23日に大日本産業報国会と続いていく>。

もうひとつは、「彼らが正しくて勝つのではない。私らが連帯しきれなくて負けるのだ」という韓国労働者の言葉を引用しつつ、その困難を克服する道として、敵を見誤らぬことと戦い続けること、を強調する。

いま時代の危機にあって、私たちはこれらから繰り返し深く学ぶところが大きいのではないか。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年6月号 コラム<二言三言>


「国のかたち」を変える戦争法案を許さない-反戦平和の思いを引き継ぐ

先月、東部労組初代委員長の足立実さんに組合事務所に来ていただいて、お話を聞いた。

その中でとりわけ印象に残ったのは、安倍政権に対する危惧と怒りであった。

敗戦時17歳だった足立さんは、「戦争で母親も妹も亡くした。国家が国民をだますという経験をいやというほどしてきた。安倍はひどい。戦争国家への本格的な移行を強く危惧する。反戦平和の運動に力を入れよう。そうしないと間に合わなくなる」と熱意を込めて話してくれた。

足立さん以外にも、ここに来て敗戦時少年で、以前は社会運動にそれほど縁がないと思われていた人たちから思い詰めたような反戦の言葉を聞く機会が多くなった。

昨年亡くなった菅原文太(敗戦時12歳=以下同様)さんは、死の1ヶ月前に病身をおして沖縄県知事選の翁長候補の総決起集会にかけつけ、反戦、改憲阻止、反原発を表明し、安倍政権を徹底批判した。

また宝田明(11歳)さんは「歴史の真実を伝え、憲法9条を守り抜くことが戦争を知る世代の責務だ」と話している。

作詞家のなかにし礼(7歳)さんは、「安倍政権になって、日本はブレーキのとれた暴走列車のように猛烈な勢いで下り坂を突っこんでいる」と語った。

大橋巨泉(11歳)さんは、「戦争ができる国作りに協力してたまるか!」と強い意志を表明している。

先日亡くなった愛川欽也(11歳)さんは、徹底した護憲、反戦、反原発だった。

大谷実同志社大学総長(11歳)は卒業式の祝辞で、「安倍政権の改憲の動きをこのまま放っておいてよいのか」と呼びかけた。

戦争の悲惨さをいやというほど体験している戦争体験者の言葉はそれぞれ重い。

いま日本はその進路をめぐって岐路に立っている。昨年7月の集団的自衛権行使容認の閣議決定と12月施行の秘密保護法の上に、この4月末の安倍首相の訪米・首脳会談・米議会での演説、それに先立つ防衛協力の指針(ガイドライン)の18年ぶりの改定は、アメリカに従属する戦争国家へさらに大きく踏み出し、日本の「国のかたち」を変える質的転換をはかるものだ。

憲法9条と安保条約を超えて、地球規模で米軍の戦争に協力し、自衛隊が派兵される。

決して容認できるものではない。

また辺野古での攻防と労働法制改悪との対峙は続いている。

戦争体験者の危惧を忘れてはならない。

「国のかたち」を変える戦争法案を許さない、戦争体験者の反戦平和の思いを引き継ぐ決意を固めたい。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年5月号 コラム<二言三言>


「団結がんばろう」と労働組合

先月末、大阪で講演した。

報告後に意見質問が続出したが、そのなかに<労働組合でよくやる「団結がんばろう」三唱は恥ずかしさが先に立って、どうもなじまない、いまの労組の現状に合っているのか>との意見が出た。

最近時々出会う意見だ。

それに対し、私の経験では新支部結成では「団結がんばろう」三唱をやり方から教えて必ずやるようにしている、東部労組全体でも機会を見つけてやっている、気持ちを合わせて団結して闘うことを表現する優れた方式ではないかと答えた。

集会のあと話した前田裕晤さん(労働情報代表)によると、「団結がんばろう」三唱は1960年の三池闘争の時からではないか、それ以前にやった記憶がないとのことであった。

森田ヤエ子作詞荒木栄作曲の労働歌「がんばろう」は三井三池争議の真っ最中の1960年6月に作られ、全国に広がった。

その影響があるのかもしれない。

「がんばろう」は先日のメトロコマースの座り込みでも歌ったし、新年会でもよくやる。

ネットなどで調べたが、「団結がんばろう」三唱の起源はよく分からなかった。

東部地域の争議・自主生産の拠点であったパラマウント労組の結成大会(1956年)の議事次第では最後は「インターナショナル」の合唱で終わっている。

それが1960年代後半になると、軒並み組合大会はほとんどどこも「団結がんばろう」三唱で締めるようになった。

ただ東部労組は「インターナショナル」合唱の時期が長く続いた。

旅行会社JTBの労組が組合大会でのガンバロー三唱の廃止を正式に決めたとの記事を見つけた。

成果主義賃金や従業員の処遇の「個別化・多様化」、正規非正規労働者の分断の強行に抵抗しない・できないという現実と「団結がんばろう」との乖離(かいり)、つまり労働者の団結力に対する無力感・不信感が「格好悪い、恥ずかしい」との感情を生み出しているのではないか。

「団結がんばろう」は経営者と真っ向から闘う時にふさわしいもので、労資協調の組合にはなじまないのかもしれない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年4月号 コラム<二言三言>


労働組合の「発見」

この1月に、拙著『労働組合で社会を変える』の感想会を東部労組内でやってもらった。

ありがたいことに4時間にわたって、多くの組合員から率直かつ真剣な意見が出された。

共感の言葉が多かったのは、本書で述べていることのほとんどが組合員それぞれの経験に連なる<東部労組の思想>というべきことについて述べているからだろうと思う。

そのなかで「石川さんは東部地域に来る前に通信社に勤めていたと話されているが、そのときはそこで労働組合を作ろうと思わなかったのか」との質問を受けた。

正直この発言には絶句した。

言われてみればその通りだが、実際その当時そんなことは考えてもいなかった。

労働組合は私の問題意識にはまったくなかったからだ。

しかしその後職場で経営者のやり口にくやしい思いを繰り返し、それに対し何回もしくじって、その解決の方法としてやっと労働組合にたどり着いた。

私は通信社時代にはまだ労働組合を発見するに至っておらず、その後の経験で労働組合を発見したということになる。

すべての組合員が同じ道をたどってきたのではないか。

人生のどこかの時点で、はじめて労働組合を発見するのである。

当たり前の話であるが、誰だって生まれながらの組合員であるわけがない。

そんなことは分かっているはずだが、職場で組合員は組合員でない従業員に対して、どうして労働組合のことを分かってくれないのかと思ってしまう。

そのようなときはもう一度自分自身がどのように労働組合を発見したのかを思い返してみるのがよいのかもしれない。

忘れているかもしれないが、思っているほど一直線に労働組合にたどり着いていないはずで、結構紆余曲折しているものだ。

人によってそれぞれ認識の発展段階が違う。

だから「組合に入ろう」との個別オルグは、その人の認識の発展段階に合った労働組合の<発見>を粘り強くうながすものにならなければならないのだろう。

組合員と非組合員といっても、労働組合の<発見>にいたるまでが早いか遅いかの違いにすぎないわけで、飛び越えられない溝があるわけではないのだから。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年3月号 コラム<二言三言>


戦後70周年と「安倍談話」

今年は、第2次世界大戦が終結して70周年を迎える。

この大戦によって、全世界で約6000万人、 アジアで約2000万人にのぼる犠牲者を出し、日本は310万人が亡くなったといわれる。

70年前の1945年、世界の反ファシズム勢力は日本、ドイツ、イタリアの侵略軍国主義を打ち破って、いったん平和を獲得した。

そして世界と日本の労働者は支配階級の戦争による惨禍を二度と引き起こさせないことを誓った。

それは戦後50年の「村山談話」や60年の「小泉談話」として継承されてきた。

その核心は、「(日本による)植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」と率直に認め、「痛切な反省」と「心からのおわび」を表明している点にある。

すべての出発点はここにある。

しかし今、安倍首相が、過去の談話を「全体として受け継ぐ」との従来の説明を繰り返しながら、実際には「未来志向」を口実に、侵略の事実と反省・おわびのすべてを否定し、ふたたびアジア侵略・支配が「日本の生命線」との考えを「この道しかない」と強引に復活させようとしていることを、心ある国民はみな知っているし、怒っている。

それは彼が「戦後レジーム(体制)からの脱却」を叫び、A級戦犯が合祀(ごうし)された靖国神社を参拝し、過去2年の全国戦没者追悼式の式辞で90年代以降の歴代首相が表明してきたアジアへの加害責任に触れなかったこと、戦犯として処刑された元日本軍人の法要に自民党総裁名で追悼文を送ったことなど、また慰安婦問題の「河野談話」否定の考えと共通するものである。

「右翼のごろつき」とはイギリスの経済誌エコノミストが石原慎太郎を評して言った言葉だが、この名称は恥知らずの安倍晋三にふさわしい。

各支部の職場闘争、大幅賃上げの15春闘を基礎としつつ、集団的自衛権の行使を可能にする安全保障法案(戦争準備法案)、憲法改悪など安倍政権の地球規模の「戦争ができる国」を許さず、労働者派遣法や「残業代ゼロ法案」阻止のたたかいと結合して、平和と民主主義、反原発、生活擁護をかちとり、アジア諸国の労働者との連帯をはかる運動を強めることが、私たちの戦後70周年を記念する闘いであろう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年2月号 コラム<二言三言>


自主生産の高砂産業支部はどこへいくか

高砂産業支部は今では企業名・組合名とも変わっているが、東部労組で最初から支部として結成したなかでは一番古い支部である。

葛飾区金町にあった高砂産業において、もう30年以上前の1981年に全員当時20歳代の若者7人によって、労働組合が結成された。

そのきっかけは、自分たちの問題ではなく、ともに働いていた20年勤続の女子社員とパートさんなど女性11名が突然解雇されたことだ。

組合結成はこのような血も涙もない解雇は絶対に許さないという彼らの正義感と決意から発したものだった。

この不当解雇は組合結成後数日で全面白紙撤回をかちとり、組合員が増え、その後多数派になった。

そしてその5年後に会社は工場を八潮に突然移転し、組合壊滅を図ったが、『一人もやめない移転』闘争をやりきり、雇用と団結組織を守った。

それから13年後、会社は倒産攻撃をかけてきたが、支部は「工場使用協定」、「工場賃貸借協定」を倒産直前にかちとるとともに、680日間の工場占拠をやりぬき、ついには自主生産体制を確立して、現在にいたる労働生産拠点と団結組織を確保し続けている。

今、なかなか自主生産を本当に自立して経営できている労働組合というのはあまり多くないなか、自前で生産、経営、雇用を確保している貴重な事例である。

自主生産は東部労組内外の支援があったとはいえ、基本的には支部の経営努力で維持されていることは強調されてよい。

幾多の試練に遭遇しながらも、企業として存続させてきたのは支部の労働組合としての力というべきであろう。

すきま産業的側面がプラスに作用して持続できているということもあるし、同時に経営基盤が浅いので、景気の動向にもろに左右されるから経営はなかなか難しい。

組合員の高齢化問題も深刻だ。

会社も労働組合も生きものなので、いくらでも変化する。

強くもなるし、弱くもなる。

場合によっては消滅もある。

昨年は仕事も順調に伸びて、新入社員も入った。

しかしこのまま行くと「普通」のどこにでもある企業となってしまう可能性もある。

支部はいま、労働組合が運営する自主生産の企業として存続できるかどうかの岐路に立っているのかもしれない。

今春から始まる支部独自の労働学校への期待が高まる所以(ゆえん)である。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2015年1月号 コラム<二言三言>


少年隊・東山紀之に学ぶ

ツイッターとフェイスブックをはじめて4年になる。

時々思いがけない発見がある。

先日も、鈴木一さん(札幌地域労組書記長)のフェイスブックのシェアに次の文章があった。

<母は僕たちを食べさせていくために、理容師として働きづめであった。

僕たちの住む地域には在日韓国・朝鮮人の人々が多く暮らしていた。

うちのアパートもそんなコリアン・タウンの一角にあった。

近所には、日本名を名乗り、焼き肉店を営む朝鮮人母子が暮らしており、僕より二つ上のおにいちゃんがいた。

ある日、そのおにいちゃんと僕が喧嘩をして、僕が投げた石がむこうに当たったとかで、母がそのうちに謝りに行った。

ところが、それがきっかけとなり、その一家とうちとは一気に仲良くなった。

女手ひとつで子どもを育てている母親同士、話が合ったのだろう。

親が仲良くなると、子どもたちもすぐに仲良しになる。

僕と妹が毎日、お宅にあがり込むと、おばちゃんはいつも店の豚足を食べさせてくれる。

僕たちはそれにかぶりついた。

貧しくてお腹をすかせていた僕たちは、あのころ、あの方々がいなかったら、どうなっていただろうと思う。

幼い僕らは当時、その一家が朝鮮人であることも、在日の人々の置かれた状況も知らずに、無邪気に、まるで家族のようにかわいがってもらった。

いま思うと、遊んでもらうわ、食べさせてもらうわ、なんと親切にしていただいたことかと感謝の気持ちでいっぱいになる。(中略)

のちに僕の少年時代の最大の憧れの人になる王貞治さんも、張本勲さんもそうであるように、日本のスポーツ界にも多くの外国人の血が流れいてる。

芸能界でもさまざまなルーツの人々が活躍している。

それでこそ豊かな文化が花開くのだと思う。>

これが人間として正常な普通の感覚というものであろう。

「嫌韓」やヘイトスピーチ、排外主義、差別の方が異常なのである。

この文章を書いたのは東山紀之(『カワサキ・キッド』朝日新聞出版2010年)。

「東山紀之」とは誰か、どこかで聞いたことがある気がする。

もしかしてあのアイドル「少年隊」出身の俳優か。

人を見かけで判断してはいけないとつくづく思う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年12月号 コラム<二言三言>


歴史修正主義を軽視するな!

最近本屋に行くと、週刊誌であれ月刊誌であれ、朝日新聞たたきとともに、「従軍慰安婦」 や南京事件がトップを飾っている。

たとえば、直近の週刊新潮は<(朝日新聞は)性懲りもなく「慰安婦」虚報を矮小化> であり、週刊文春は<本多勝一×藤岡信勝「南京30万人大虐殺」の真実>である。

彼らの主張に何ら新しいものはない。

使い古され、論破されてきた二番煎じに過ぎない。

たとえば「慰安婦」問題でいえば、吉田証言がウソであったこと、強制連行がなかったことを主張すれば、「慰安婦」問題のすべてがなくなるのか、ということにつきる(<二言三言>2014年9月号)。

南京事件でいえば、当時虐殺に直接手を下した福島・会津若松「歩兵65連隊」の下級兵士の「陣中日記」に出てくる連日何千、何万の中国人を殺した記述をどう説明するのかを 聞きたい(同2008年4月号)。

「客観的な歴史学の成果を無視し、自らに都合の良い過去は誇張や捏造したり、都合の 悪い過去は過小評価や抹消したりして、自らのイデオロギーに従うように過去に関する記 述を修正する」ことを歴史修正主義という。

彼らのやっていることは歴史修正主義そのものである。

彼らには歴史の真実を直視する度胸がないのだ。

「日本人がそんなことをしたのを認めるわけにはいかない」という結論ありきからだけの発言であって、歴史的事実を究明した上での結論ではないし、究明の必要性も感じていない。

「慰安婦」問題、歴史修正主義はいまや、週刊誌などがあおる中、札幌にある北星学園大に、従軍慰安婦問題の報道に関わった元朝日新聞記者の非常勤講師の解雇を要求する脅迫状などが届き、当人には自殺するまで追い込むとの執拗な個人攻撃が続いている。

断じて見過ごすわけにはいかない。

彼らの目的はここにある。

歴史事実なんかはどうでもよい、デマでもウソでも、それを使って実害を与えて黙らせればよいのだ。

もの言えぬ窒息社会を作ることが目的だ。

歴史修正主義の大キャンペーンで「戦争をする国」を強化する、特定秘密保護法、集団的自衛権と一体となった攻撃である。

だから歴史修正主義による歪曲を軽視してはならない。

一つ一つのデマを粉砕し、東アジアの平和と労働者・労働組合の連帯をかちとらねばならない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年11月号 コラム<二言三言>
いままでの<二言三言>は東部労組ホームページで読むことができます。


地域ユニオンの立場からオリジン労組に学ぶ

「オリジン電気労組に学ぶ」中級労校については、登川書記次長が本紙先月号で詳しく報告した。

ここでは登川報告をふまえて、私なりに学んだところを考えたい。

何といっても、賃金はじめ組合員の労働条件の決定に査定をさせない、「同一年齢・同一学歴・(同一勤続)=同一賃金」の考え方を実行していることだろう。

これは全国的に見てもほとんど例がないのではないか。

ついで、今でも組合の組織率が8割以上であること、ストライキ、赤腕章着用、残業無協定、出張・外出拒否など実力闘争を堅持していることである。

これらが査定をやらせず、高い労働条件を維持している主体的条件といえる。

また重要問題は組合員の1票投票で決定する組合民主主義の実行、直接職場交渉の重視、定期大会は代議員制とらず、現在でも数百人規模で開催、会社からのユニオン・ショップ協定の申し入れを拒否するなど、総じて組合員の直接活動参加原則の周到な実践が力の源泉となっていると思われる。

さらにオリジンの4人の講師が共通して強調したことは職場に固執し、職場闘争とストライキが基本活動だということであった。

今回の中級労校でオリジン電気労組から学び、私たちの支部活動に生かすこと、またその他の優れた企業内労組からも学ぶことを確認したい。

同時に、その目的は私たち地域ユニオンをばらばらの企業内労組にもどすことではないことも確認したい。

そうではなくて、オリジン労組から学ぶ目的はオリジンはじめ優れた企業内労組からどん欲に学んで、各支部の足腰を鍛え、単一組織としての強大な東部労組を建設するところにある。

そのためには、職場闘争を基本としつつ、正規・非正規労働者を問わぬ労働相談と組織化、学習活動の強化と次代の活動家養成、政治闘争参加、他支部・他労組支援、労働委員会・裁判闘争の重視と職場闘争との結合、さらには専従体制の強化、民主集中制など組合規律の重視、労働組合の全国団結などに力を入れよう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年10月号
コラム<二言三言>


日本軍「慰安婦」問題をどう考えるか

先月、朝日新聞は日本軍「慰安婦」問題について、故吉田清治氏による強制連行の証言は虚偽として記事を取り消すとともに、「慰安婦」と「女子挺身隊」を混同した誤用を認めた。

これに対する右翼勢力と週刊誌などのネガティブ・キャンペーンはすさまじく、常軌を逸している。

たとえば週刊新潮は「全国民をはずかしめた朝日新聞七つの大罪」、週刊ポストは「慰安婦の大虚報朝日新聞の重罪」といい、橋下徹大阪市長にいたっては、「国家をあげて強制連行をやった事実がなかったことがほぼ確定した」などと話した。

彼らの主張は「『慰安婦』 問題は朝日新聞の誤報・捏造によって作られたもの」で、そのような歴史的事実はなかったということにつきる。

果たしてそうなのか。

そもそも慰安婦問題とは、かつての日本の朝鮮などへの植民地支配、中国などへの侵略戦争の間に、旧日本軍の直接あるいは間接の関与によって、長期に、かつ広範な地域にわたって、慰安所が設置され、日本を別にすれば、朝鮮人をはじめ数多くの女性が甘言、強圧など本人たちの意思に反して、「慰安婦」を強制され、痛ましい生活を強要された事実をさす(1993年河野洋平官房長官談話)。

これらの歴史的事実は、安倍や橋下がすがりつく「強制連行はなかった」ことを含め、多くの被害者による損害賠償裁判での事実認定やオランダ人女性を強制連行して慰安婦としたスマラン事件、中国桂林での強制連行を認定した東京裁判判決でも立証されている。

菅官房長官は先日の記者会見でまたも、「強制連行を示す客観資料はない」と強調している。

それに対しては、だから何なんだと答えたい。

強制連行の証拠がないことを主張することで、慰安婦問題がすべて免罪されるとでも言うのであろうか。

そんなことはあり得ない。

「問題の本質は、女性たちが戦地で日本軍将兵に性的行為を強要されたことにある。

慰安をしたのではなく性暴力を受けた。

兵士の性病まん延防止と性欲処理の道具にされた。

その制度づくりから管理運営に軍が関与していた。

それは日本の植民地支配、侵略戦争という大きな枠組みの中で行われたものであった」(神奈川新聞8月10日社説)。

私たちは目をそむけず、問題を直視しなければならない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年9月号
コラム<二言三言>


新運転・事故防ピンハネ返せ請求訴訟をなぜ支援するのか

7月27日、「新運転・事故防ピンハネ返せ請求訴訟を支える会」の結成総会が開催された。

東部労組は新運転の民主化を闘う組合員グループ(裁判の原告団)から要請を受け、参加を決定し、私も共同代表の一人に選ばれた。

「新運転」とは、正式名称を新産別運転者労働組合と言い、労働者供給事業を行う労働組合である。

労働者供給事業は、労基法6条での中間搾取禁止を受けて、職業安定法44条で禁止されているが、45条で許可を受けた労働組合だけが例外的に認められている。

新運転東京地本の組合員の大部分(1500名)が23区の清掃事業で働き、その内約9割が5年、10年同じ供給先会社に直行している継続労働者だという。

また今回問題になっている「事故防」とは、「労働福祉・事故防止対策協議会」と言い、東京地本と事業者のみで構成され、組合員は運営に関与できないという。

一見組合員の福利組織のような名称だが、実態は経営者と一部組合幹部による経営のための共助組織といわれている。

この間、新運転東京地本を相手取り、3つの裁判が争われてきたが、そのすべてで原告団側が勝訴、新運転東京執行部側が敗訴した。

その後、新運転側は控訴を取り下げ、判決はすべて確定した。

原告団は、確定した判決の事実認定に基づく新運転東京地本の問題点を次のように指摘している。

(1)事故防は組合員の就労1日につき200円(現在は100円)の就労先使用者によるピンハネで運営されているが、それは「他人の就業に介入して利益を得てはならない」という労基法6条に違反する可能性がある。

(2)新運転東京執行部は「首切り自由」を売り物にし、実行している。

篠崎委員長は、供給先企業と新運転組合員の間には雇用関係ではなく、使用関係のみしか存在しない。

必要に応じ、必要なときだけ使用する、ということで“便利”に“安心して”ご使用いただいているわけです、と言う。

(3)労基法等が適用されない「日々使用」。

新運転東京地本は、労働協約1条を「日々使用」に改悪、それを理由に、有給休暇不支給、雇用保険、厚生年金、健康保険など社会保険の不適用、退職金不支給、解雇予告手当も出さない。

(4)健康診断、法定外補償、休業補償、「事故費」など、本来は使用者の出費で行われるべきことを事故防が使用者の肩代わりをして行っている。

(5)スト破り、組合つぶし。

運輸一般のストライキにスト破りの対策動員費を事故防会計から支出。

そのほか同様の違法な争議介入を繰り返した。

新運転東京地本が全額出資する派遣会社「タブレット」を通じて争議介入。

高嶺清掃で組合脱退工作等々。

これらの事実は、労働組合としてあるまじき言動というほかない。

開いた口がふさがらないとはこのことだ。

原告団が怒るのはもっともだ。

他の労働組合の内部問題に口を出さないとか、「労労問題」などとかのレベルとははるかに次元の異なる、会社のあくなき利潤追求に限りなく奉仕する「労働組合」にどう対処するかという問題である。

すべての労働組合は見て見ぬふりはもう許されないのではないか。

新運転の民主化をめざして闘う組合員グループ(裁判の原告団)を支援しよう。

詳しくは最近出版された新運転・事故防ピンハネ返せ請求訴訟を支える会のパンフレットを参照してほしい。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年8月号
コラム<二言三言>


「お疲れさまの一言も言えないのか」

今年のメーデー(5月1日)は日比谷集会とデモの後、上野駅の目の前にある東京メトロ本社前に280人の仲間が結集し、抗議行動を行った。

この日朝、メトロコマース支部の組合員はストライキに決起し、正社員との賃金格差の是正を求めて東京地裁に提訴した。

正社員とまったく同じ仕事をしながら、非正規の労働者は賃金やボーナスに大きな差をつけられ、退職金ももらえないのは、改正労働契約法20条が禁じる「非正規を理由とした不合理な差別」との主張だ。

集会での支部組合員の発言は参加者に感動と共感を与えたが、とくに瀬沼組合員の発言が強く印象に残った。

彼女は「正社員は退職ともなれば、祝う会があり表彰され、退職金もある。

私たちは『お疲れさま』の一言もなく、雇い止めにされる」と話した。

なぜ印象が強かったかと言えば、もう15年前になるが、弥生運送支部(現在、ネクスト物流支部)の組合結成申し入れ行動のとき、中川委員長が社長に向かって言った言葉とまったく同じだったからだ。

中川委員長は社長に向かって、「仕事から帰ってきたドライバーに、『お疲れ様』と言葉をかけたことが一度だってあったのか」とタンカを切った(弥生運送支部結成を描いたビデオ『組合作り』は本部に在庫があります)。

労働者が労働組合として闘いに決起する時、その獲得目標は「要求」という形で表現される。

要求はそれぞれで千差万別である。

しかしその根底には共通して、労働者を差別せず、「人間」として扱え、との根本的希求があるのではないか。

だから、戦前からの組合活動家である鶴五三は、
「労働者というものは賃上げのためにのみ団結するのではございません。・・・湯飲み場を作ってくれないということがストライキの原因になり得る」
と本質を突いている。

またアンドルー・ゴードンは、150年を通した日本の労働者の闘いの原動力は差別反対、人間として扱えという、職場でも社会でも「正規の構成員」(フルメンバー)としての処遇を求めてきたところにあった、と言うのである。

つまり労働者としての尊厳の獲得にこそ、闘うエネルギーの最大の根源があることを忘れてはならない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年7月号
コラム<二言三言>


韓国セウォル号沈没事故と新自由主義

今年4月16日に起こった韓国のセウォル号の沈没事故は、まさに新自由主義が何をもたらすのかをもっとも悲惨な形で現すものとなった。

その原因は、ひとつに規制緩和の問題、つまり基準の3倍の貨物を積み込み、船を安定させるバラスト水を規定より800トンも減らすという過積載、旅客船の使用制限を20年から30年に延長する規制緩和、さらに海洋事故救助業務の民営化など、あまりにも安全無視、もうけ第一主義があった。

もうひとつには、船長は名ばかりで権限がなく、低賃金の1年契約社員であったこと、 その他全乗務員のうち非正規職は15人で全体の半分以上を占め、安全対策・訓練の軽視があった。

「このような労働条件では、いかなる義務、船に対する強い拘束と責任感も持てない」、 「だから人々は、まず可能なら自分を救う」、そのため「殺人者はそもそも船長ではなく、新自由主義制度だ」との鋭い意見がある。

さらに先々月の本欄で、マルハニチロ子会社群馬工場での農薬混入事件を取り上げたが、その後この群馬工場では最近、賃金制度を年功制から年1回の勤務評価で上下する能力給に変更したこと、契約社員が全体の6割、初任給で正社員と3割の差があること、40代で200万~300万の収入であることが明らかになった。

つまりこれらの事件の原因を追究すれば、必ずすべて新自由主義の問題にぶちあたる。

新自由主義とは「強力な私的所有権、自由市場、自由貿易の制度的枠組みでの無制約の企業活動であり、私的所有や利潤原理が最優先され、終身雇用のはく奪、公共事業の民営化、非正規雇用化と成果主義賃金制度であり、労働者の「個人化」、短縮契約、使い捨て労働者、個人責任」(ハーヴェイ)として現れる。

そしてそれは民営化、規制撤廃、組合つぶしの三位一体で進められた(ナオミ・クライン)ということになる。

問題は韓国にとどまらない。安倍政権のねらう法人税の引き下げや残業代ゼロなど私たちを今取り巻く状況もまさにその渦中にある。

それらの進展の向こうに、労働者にとって「闘わないと殺される」という言葉が決して少しも大げさでない事態が現出している。

「自己責任論」をかかげ、団結権思想を破壊するイデオロギー攻撃に対しては、労働者の団結、社会的連帯、反戦平和、民主主義、「闘う武器は労働組合」、「労働組合で社会を変える」という思想を対置しなければならない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年6月号
コラム<二言三言>


職場支部の定着

子どもの頃は本当に家族みんなでラジオを囲んで、漫才、落語、講談、浪曲をよく聴いたものだ。

そのなかで「寛永三馬術」という講談があった。曲垣(まがき)平九郎という武芸者が将軍徳川家光の命で芝愛宕山の男坂を馬で乗り上がり梅花を手折り、将軍に無事献上するという話である。

平九郎より前に挑戦した何人かは急階段のため、みな馬もろとも落下し、目的を達せられなかった。

しかし平九郎は自分が乗るのでない、馬が登るのだということで、すぐに駆け上がるのでなく、坂の下を何度も周回し、坂の上を何回も馬によく見せ、考えさせ、よく納得させてからやったので成功したというのだ。

子供心によくできた話だと思った。

そして最近よく思い出すのは、これは組合活動と同じではないかと思うようになったからである。

支部結成の時期の支部組合員はまだ経験が浅い。

支部の公然化、組合結成申し入れ行動はほぼ成功する。

ここでホッとして、支部の団結がゆるみ、活動が停滞することが多い。

この時期の支部組合員は申し入れ行動に一回成功しただけで、日常的な組合活動の経験は皆無である。

これからどうするのかについての指針は持っていない。

組合員を馬に例えるとは恐縮だが、目的地を示し、そこにたどり着くにはどうすればよいかを自分でよく考え納得して行動するよう導くのが専従オルグや先輩組合員の一番重要な仕事ではなかろうか。

「目的地」とは、職場での労働組合としての支部の定着であり、新しい要求の作成と獲得であり、多数派になることである。

この時期を支部の自然発生性に任せるのではなくて、担当者をはじめ本部執行部が指導性を発揮して、労働組合の活動とはこういうものだということを、ここで誠心誠意全力で支部と組合員に「たたき込む」こと、そしてそれを習慣化させることが肝心だ。

会社は組合結成のあと必ず組合つぶしをやってくる。

不当労働行為対策を準備し、今か今かと待ち構えて摘発粉砕する。

日常的には、「会議は命」、今まで支部会議がやれない支部はほぼ壊滅している事実を支部組合員にはっきり提示し、だから週一回程度の定例会議を必ず持つことを習慣化させる。

また年一回は必ず支部大会を開き、支部活動を総括して教訓化する。

要求を高めること、そして要求を獲得するには力を持つこと、力を持つとは仲間を増やすこと。

チャンスがあればストライキを打つこと。

失敗したことは繰り返さない、総括を後から来る組合員にきちんと伝えることが大事だ。

その点で支部に対する従来の指導は十分でなかった。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年5月号
コラム<二言三言>


年次有給休暇とフランス人民戦線

年次有給休暇の取得率は近年ずっと5割を切っている。

また労働相談では、経営者ががんとして「うちの会社には有給休暇はありません」「有給休暇はやっていません」など不支給の事例が後を絶たない。

多摩ミルク支部でも使用者による有給休暇の取得妨害行為の取り締まりをめぐって労基署がらみで紛争が続いている。

「ノーワーク・ノーペイ」をもっとも狭く理解したい経営者にとって、年休ほどしゃくにさわるものはない。

なぜ勤続半年で何の功績もないのに10日間も休暇を与えないといけないのか、それも有給で。

いくら憲法や労基法で保障されているとはいえ「ノーワーク・ノーペイ」の原則に反するのではないか。

団体交渉で何度か経営者からそのような不満やぐちを聞いたことがある。

年休が経営者の理解を超えているのには理由がある。もともと年休権は闘いによって労働者がかちとり、定着したものだからだ。

年休獲得の起源は、1933年1月のヒトラーによるドイツでの政権掌握と国際的なファシズムの脅威増大、それに対するフランスの労働組合の闘いによるところが大きい。

右翼諸勢力の攻勢に対抗してフランスでは、社会党と共産党が統一行動協定を結んだり、CGTとCGTUという労働組合の全国組織がゼネストで闘った。

35年7月14日50万人といわれる大示威運動をへて、労働組合組織の統一を実現。

翌36年5月議会選挙の勝利で、6月4日社会党のブルムを首相とする人民戦線内閣が成立。

5月中旬より各地の工場などで労働者のストライキ運動が爆発的に拡大し、その多くは工場を占拠した。

6月にはストライキ件数は1万2000件、190万人ゼネストでフランス中が沸き立ったという。

この労働者・労働組合の闘いの圧力のもと、ブルム内閣の調停によって6月8日、政府・資本家代表・労働総同盟代表によりマティニョン協定が結ばれた。

この協定を基礎に議会では有給休暇、団体協約、週40時間労働の3法をはじめ各種の社会・労働立法が成立した。

史上初の有給休暇法であった。

フランス人民戦線政府が制定したこの2週間の年休法は、普通の労働者がバカンスで大型の余暇生活を享受する慣習をつくりだすうえで決定的役割を果たした。

その後人民戦線は短命に終わり、週40時間労働は巻き返しで消滅したが、有給休暇法は休暇日数を増やし、各国に波及していった。

日本では戦後労働基準法制定で初めて年次有給休暇が実現したが、その根拠はフランスをはじめ世界の労働者の闘いにあることを銘記したい。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年4月号
コラム<二言三言>


憲法があるから団結権が保障されているわけではない

日本国憲法は第28条で、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする
権利は、これを保障する。」と明示している。

しかしそれがあるから、労働者の団結権、団体交渉権、団体行動権が保障されているわけではない。

イギリスでは、低賃金、長時間労働に苦しむ労働者の反抗を押さえ込むため、「団結禁止法」(結社禁止法)を作って、労働組合とストライキを禁止した。

それは1305年から29回も改定されたという。

「団結禁止法」はそのあとフランス、アメリカ、日本などへも波及した。

しかし労働者の闘いは止まらなかった。

十数年間にわたって、イギリスではラダイト(機械打ち壊し)運動が「内乱」といわれるほどの勢いで、国中を席巻した。

また労働者と手工業者がチャーチスト運動に決起して、普通選挙権などを要求し、運動は大高揚した。

その結果、10時間労働法、女性・年少者労働時間制限、坑内労働の禁止などをかちとった。

労働者のこのような不断の闘いによって、イギリスの支配階級は「団結禁止法」の撤廃に追い込まれた。

マルクスはその経過を、「5世紀にわたって固守してきたストライキと労働組合を抑圧する諸法律を、まったく不本意ながら民衆の圧力によって、放棄した」と述べている。

つまり団結権は世界の労働者と労働組合の500年におよぶ血みどろの闘いによってかちとってきたものである。

まさに日本国憲法第28条は日本と世界の労働者の闘いによる成果であり、結晶である。

それが日本国憲法に反映したということである。

同時に、法律は一度確定したからといって、永遠に保障されるものではないことは言うまでもない。

実際、官公労働者の権利は剥奪されたままだし、また資本家と支配階級は労働者保護法の空洞化をつねに狙ってくるし、それは労使の力関係で変動することを自覚し、闘いと組織強化に力を集中すべきである。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年3月号
コラム<二言三言>


犯罪と労働組合

水産大手マルハニチロ子会社の群馬工場での農薬混入事件で契約社員が逮捕された。

かつて彼は「正社員になれるよう頑張っている」「しかしこんな給料じゃ、やっていけない」と愚痴をこぼしていたという。

労働条件に不満を持っていたことは間違いないようだ。

ここから、秋葉原大量殺傷事件や中国の毒入り餃子事件を連想する人は多いだろう。

私はこの種の事件が起こると必ず思い出すのがもう10年ほど前になるが、名古屋立てこもり爆発事件である。

小型トラックで荷物の集配をする個人事業主の委託労働者が契約会社の名古屋支店に包丁などを持って押し入り、人質を取って立てこもって、「社長に会わせろ」と要求したが、床にまき散らしたガソリンが爆発、炎上し、本人と支店長、警官の3人が死亡、窓ガラスが飛び散り、大勢が負傷するという大惨事であった。

「無断欠勤ゼロで有休もほとんど消化せず、無口でまじめ一筋」だった犯人を凶行に駆り立てたのは何か。

配達用のバンを月賦で買わされ、「説明会では、月収40万円は見込めるといわれたが、実際は仕事が少なく約8万円だった」、その支払いも遅れていたという証言もある。

本人のブチ切れた様が目に浮かぶ。

何の解決策にもならないことは本人もよく分かっているにもかかわらず、それでもなおやらずにはおれないほどの仕打ちや消し去ることのできない屈辱を与えられ、その怒りが行動に駆り立てたであろうことは想像に難くない。

「貧しさのために、労働者には、餓死か、自殺か、犯罪かの選択肢しかない」「労働者の抵抗の最初の、もっとも粗野な、そしてもっとも効果のない形態が犯罪であった」というエンゲルスの言葉は残念ながらまだ時代遅れになっていない。

抑圧者に対する労働者の憎悪は正当である。

「抑圧者と制度にたいして、燃えるような憎悪の念をもつときだけ、人間らしい感情をもう一度もつことができる。彼らは支配階級にたいして怒りを感じている限りにおいて人間なのである」(同前)。

「階級的憎しみ」は闘争の必要条件である。

しかしその方法を間違えてはならない。

犯罪によって現状を変えることはできない。

私たちのスローガンは「労働者にとって最強のセーフティネットは労働組合!」、「労働問題を労働組合加入で解決しよう!」である。

しかし毎日の労働相談で、そのような発想と出会うことはまれだ。

だからこそ労働組合で解決するという考え方をもっと広めなければならないと思う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年2月号
コラム<二言三言>


中小零細・非正規労働者と地域合同労組・地域ユニオン

厚生労働省が昨年末、 2013年「労働組合基礎調査」を発表し、同年6月末の日本全国の労働組合の組合員総数が987万5千人で、雇用者に占める組合員の割合(組織率)は前年比0.2ポイント低い17.7%と3年続けて過去最低を更新したと伝えた。

同時に発表された企業規模別の組織率によると従来とそんなに変わるわけではないが、従業員 1000人以上の企業では組織率44.9%であるのに対し、100~999人の企業では13.1%、99人以下の企業になると組織率はわずか1.0%となっている。

いま日本の正規雇用労働者のうち大企業でほぼ 1400万人、中小企業で2400万人が働いていると言われている。

また非正規雇用労働者は一部重複するが2000万人ほどになる。

正規と非正規の労働者の格差もひどいが、大企業と中小零細の労働者格差も解消されるどころか拡大している。

日本の労働者階級の下層を形成する中小零細企業と非正規雇用で働く労働者を合わせると 4200万人ほどで、日本の労働者全体の8割を超える。

彼ら彼女らが私たち地域合同労組、地域ユニオンの組織化のおもな対象である。

にもかかわらず、全国のすべての地域合同労組、地域ユニオンの現在の組合員数は全部あわせても実数 10万人を超えないと思われる。あまりにも少なすぎる。

労働組合のない中小零細企業労働者と非正規雇用労働者は手つかずのまま、劣悪な労働環境の大海原に漂わざるを得なくなっている。

いま、大量の中小零細・非正規労働者を労働組合に迎え入れ、全国に強大な地域合同労組、地域ユニオンをつくりあげることは、労働組合運動再生の戦略的課題である。

しかし現実にはそうなっていない。

何が欠けているのか、何が必要なのか。

それは中小零細・非正規労働者に通用する労働組合運動の確立と普及であろう。

成果を上げている全国の地域合同労組・地域ユニオンが蓄積した経験とその総括教訓、活動のノウハウを運動論と組織論にまとめ上げ、普遍化し、中小零細・非正規労働者の組織化に生かすことが緊急の課題といえよう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2014年1月号
コラム<二言三言>


テレビドラマ「ダンダリン 労働基準監督官」を見る

友人に勧められて、テレビの「ダンダリン 労働基準監督官」11月20日放映分を半信半疑で見た。

また大げさに言っているのかと思ったら、確かに監督官・竹内結子は「労働者には黙って働くか、会社を辞めるかの2つの選択肢しかない。しかし3つ目の選択肢は言いたいことを言い、会社を自分たちの手でよくすることだ」と演説している。

いやー、ビックリした。

この言い方は東部労組が30年来使ってきたのとそっくりではないか。

しかし3つ目の選択肢が違う。

「言いたいことを言い、会社を自分たちの手でよくすること」は目標にはなり得ても、それだけを無条件に実行することはできない。

明らかに不十分である。

「言いたいことを言い、会社をよくする」ために無防備に発言したら、たちどころにパワハラ、退職強要の嵐が襲ってくる。

そんなことは労働者はみんな知っている。

だから黙っているのだ。

そのため、そういうことを言ってもクビにならない、言ったことが実行される保障が必要なのである。

私たちは、「労働組合のない労働者が職場で不満を持ったとき選択できる道は、①社長と喧嘩して辞める(または黙ったまま辞める)、②我慢して泣き寝入りで働き続ける、の2つしかない。/そこでその無権利状態を変える唯一の有力な武器が労働組合であることを提示する。労働組合を結成することによってはじめて、会社も辞めないし、また泣き寝入りもしないで、要求をかちとり、無権利状態を克服し、労働条件の向上・安定した労働生活を獲得し、労働者としての尊厳を確立できることを力強く示す。/私たちは、勇気を持って労働組合結成の道を歩むよう立ち上がれ!と相談者に呼びかける必要がある」(『ひとのために生きよう!団結への道-労働相談と組合づくりマニュアル』同時代社2006年刊)と主張している。

カギはやはり労働者の利益を守れる労働組合の存在である。

それなしには絵に描いた餅というほかない。

画竜点睛を欠いてはならない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年12月号
コラム<二言三言>


闘いの主人公は労働者自身

労働相談にもいろいろある。最近、同じような種類の相談が相次いだ。

それは、個人紛争がおこって、ある労働組合に加入したが、団体交渉に参加させてもらえず、自分の知らないうちに勝手に解決にもっていかれそうで困っている、担当スタッフが信用できないという内容だった。

この種の相談は前からあるにはあるが、こんなに連続しては初めてである。

これは相談者の言い分だけで判断できず、労働組合側の事情も聞かないといけないが、少なくとも一般論としては次のことは言えるのではないか。

闘争の基本は当事者である労働者自身が立ち上がってたたかうことにある。

誰かが、たとえば労働組合の専従者・オルグがその労働者に成り代わって、会社と交渉して解決するのではない。

そんなことをすれば、それは一種の代行主義であり、この場合は闘争の請け負いということになる。

私たちはそういうやり方はとらない。

当事者の出席しない団体交渉なんてありえない。

なぜか。

労働者は一方的に恩恵を受けるだけの対象ではないからだ。

労働者自身が労働組合員として、労働組合とともにたたかって、自らの権利と生活を守るのだ。

逆に言うと、当事者が闘う気がないなら組合にも入れないし、支援もしない。

相談者にははっきりそう言う。

これは、組合運営や争議戦術レベルの問題ではなく、労働組合運動をいかに作っていくか、労働者をどう見るかにかかわる思想上の基本問題であると思う。

「労働者階級の解放は労働者階級自身の事業でなければならない」という思想はあらゆる分野に貫徹されなければならない。

正しい方針には、たたかう当事者の納得と、それに基づく確信が不可欠の条件である。

換言すれば、当事者の納得と確信に至らなければ、正しい方針など成立しないのだ。

だから意見の違いがあるなら、当事者と組合の専従者・オルグや先輩との徹底した討議が必要なのである。

これらの問題は個人争議に限らず、職場支部の問題でもある。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年11月号
コラム<二言三言>


労働相談を受けて考えること

労働相談の電話が組合事務所にひっきりなしにかかってくる。

それらに応えているなかで考えさせられることが多い。

第1は、多くの労働者の労働関係に関する知識の欠如である。

だから電話しているんだよと言われれば、まったくその通りだが、それにしてもその驚くほどの無知に愕然とする。
「辞めたいのに辞めさせてくれない」、賃金、サービス残業、年次有給休暇、解雇、退職強要など労働問題についての基礎知識がないことが多い。

第2は、職場における経営者の完全な力の強さと労働者の力のなさ、つまりよく言う経営者の独裁と労働者の奴隷化である。

労働相談を受けていると、この言い方が決して大げさでないことがよく分かる。

そしてそこから、経営者の言うことは何でも聞かないといけないとの考え、「自分の言っていることは正しいのか。単なるわがままではないのか」との疑問、労働者の自信のなさを生みだしている。

だから労働相談センターのポスターでのスローガン「あなたは、間違ってない。」は彼らに対する励ましと連帯のメッセージである。

第3は、問題の解決方法に、自ら立ち上がって経営者と闘うことや労働組合・ユニオンに加入・結成するという選択肢がほとんどないことである。

これらは、労使関係や労働条件に文句を言わず、ただただ黙って働くのがよい労働者だという支配階級の思想の反映でもあり、何をやっても経営者に勝てるわけがないとの敗北主義によるものでもある。

ブラック企業、違法労働が横行し、労働者が解雇、パワハラ、長時間労働、賃金不払い、サービス残業、過労死、過労自殺に追い込まれているいま、無知の涙を流さないため、かつ文字通り自らの死活問題として、労働に関する基礎知識を身につけること、自ら経営者と闘うこと、労働組合をつくることは、どんなところであろうと働くにあたっての必須不可欠の条件であることをもっと広めるべきであろう。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年10月号
コラム<二言三言>


進取の精神について

最近、「進取(しんしゅ)」という言葉のもつ重要性を感じている。

国語辞典で見ると、「進取」とは、「従来の慣習にこだわらず、進んで前例のない、新しいことをしようとすること」との説明が出てくる。

「進取の気性に富む」などと使われたりする。

この言葉は、東部労組の特徴の一面を如実に表しているのではないか。

たとえば、労働相談から組織化へ構想、そしてNPO法人労働相談センター、労働相談ボランティア、ジャパンユニオンの創設がそれにあたり、ホームページ、ブログのスタッフ日記などウェブの利用、新年会の開催なども該当すると思う。

また組合結成申し入れ行動の方法や、最近ではあまり顧みられない「実効確保」「緊急命令」などの法律の積極的活用も含めることができるのではないか。

それら「従来の慣習にこだわらず、新しいこと」を採用する目的なり基準は、未組織労働者と結びつき、組合員と職場労働者との団結を強め、闘争に勝利するところにある。

労働組合組織はもともと資本家の解雇や賃下げなど労働条件破壊に反対する労働者の自己防衛組織としての性格が強い。

その生活を守る闘いが労働者の無限のエネルギーを生みだしてきたのも歴史的事実である。

したがって、それ自身は悪いことではなく、必要なことなのだが、同時に労働組合の防衛的性格が「慣習にこだわ」り、新しいものを嫌悪し、拒否するという保守性をはぐくんできたのも事実ではないだろうか。

時代の大転換期にあって、労働者の多くの生活習慣や思考が大きく変わってきていることを直視しなければならない。

自らの慣習だけにとらわれる怠惰は許されない。

同時に、新しいことに挑戦することによって生まれるリスクや失敗も恐れてはならない。

当然新しければ何でもよいというわけではないが、労働者ともっと結びつくことを基準に、労働組合の階級的原則を堅持することと大胆に「進取の精神」を発揮することの二本柱がいま労働組合運動に求められているのではないか。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年9月号
コラム<二言三言>


すかいらーくは3人目の過労死被害者を出すな!

8月4日、「過労死をなくそう!龍基金」第7回中島富雄賞授賞式が開催され、盛況であった。

龍基金発足のきっかけとなったすかいらーくは2004年の中島富雄さん、2007年の前沢隆之さんと立て続けての過労死を引き起こすことによって、「すかいらーく」という店名を付けられないくらい落ち込んだ。

しかしここに来て、米投資ファンドの介入、赤字店の閉鎖などによって、年末には3期連続の黒字になる見通しで、来年夏にも再上場といわれている。

だがそれに反して、すかいらーくグループの職場環境は、ますます劣化の一途をたどっているように見える。

私自身が受けた最近の電話相談では、夢庵の店長による「テメー、コノヤロウ」という厨房での従業員に対する罵声が食事をしているお客さんまで聞こえて、お客さんがぶるってしまう、という従業員からの苦情であった。

そのほか、メールや電話でのすかいらーく系列の相談は多くなっている。

●毎朝9時出勤、深夜1時頃に帰宅。遅い時は朝方に。休憩もなし。このままでは主人が過労死してしまうんじゃないかと心配です。

●ジョナサン勤務。リーダーが次々にひとりでは到底出来ないほどの過酷な仕事をぶつけてくる。

●エリアマネージャーが主人にばかり口悪く叱る。主人は『まるでヤクザだ』と言ってます。主人はますますしゃべらなくなり鬱状態。家に帰っても出勤する時も『疲れた・・・』としか言いません。とても心配です。残業代も満額にはほど遠い支給額です。

●本社マネージャーが「クズ」「店長おりろ」「やめろ」等の暴言を繰り返し、退職強要をしてくる。

●ガストの店長が身体を壊しても無理に働かせます。身体の事を考えて退職しようとしても辞めさせてくれません。

これでは中島富雄氏の二の舞ではないか。

中島富雄氏過労死に伴う和解協定の履行事項として、すかいらーく経営陣が遺族と東部労組に対して、毎年「職場改善報告会」をやっている。

今年は今月末に予定されている。

そのためあえてここで、すかいらーく経営陣に警告しておきたい。

このような労働環境が続くかぎり、3人目の過労死被害者が必ず出る。

すかいらーくグループは早急に全力をあげて、過労死再発防止策に本気で取り組め!

すかいらーくは3人目の過労死被害者を絶対に出すな!

労働者はブラック企業に殺されるな!

過労死、過労自殺に追い込まれないように立ち上がろう!
労働組合・ユニオンに結集しよう!
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年8月号
コラム<二言三言>


1952年、女性教師の涙

日本政府は今年の4月28日、サンフランシスコ講和条約発効日である同日を「主権回復の日」として、初めて記念式典を開催した。

一方、沖縄では同日、4月28日は主権回復日ではなく、沖縄は日本の施政権から分離され、アメリカの軍事支配下に放置された「屈辱の日」として抗議集会を開催し、「今回の式典は、沖縄県民の心を踏みにじる行為であり、絶対に容認できない」との決議文を採択した。

サンフランシスコ講和条約と安保条約はその後の日本の、現在にいたる「戦後体制」の枠組みを規定した。

日本のアメリカへの全面的従属であり、在日米軍基地の存続である。

サンフランシスコ条約が発効した1952年、私は小学校4年生、9歳であった。

すでに61年が経過してすべてのことは忘却の彼方にあるが、忘れられないことが一つある。

当時私たちのクラス担任であった、今考えると20歳代と思われる女性の先生が教室に生徒全員を集め、

「日本はこの条約で独立したわけではない。

みなさん、だまされないようにしましょう。

本当の独立を目指してがんばらないといけない」

と、涙ながらに訴えたのだ。

教室は、号泣して訴える教師を前にした坊主頭とおかっぱ頭の児童の異常な緊張と静寂につつまれた。

当時は、朝鮮戦争はまだ続いており、多分彼女が属していたであろう日教組は前年、「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」というスローガンを採択していた。

このエピソードは、当時の日教組の、そして日本の労働組合の底力を示していると思う。

同時に、相手が誰であろうと真剣に訴え、オルグすることがいかに大事かを実証しているのではないか。

私は1952年の女性教師の涙を忘れない。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年7月号
コラム<二言三言>


敵は一人でも少なく、味方は一人でも多く

今年の東部労組6月合宿は例年にもまして収穫が多かったと思う。

講師をお願いした岐阜一般労組の本間高道委員長の講演は、さすが全国最大3200名組合員を擁する合同労組だけに、話は多岐にわたり、刺激的であった。

学ぶところは多かった。これについては改めてまとめるつもりだ。

ここでは、2日目に行った多摩ミルク支部の数名の活動家に登壇してもらって、この間40名ほどの組合員拡大を成功させた経験に学ぶパネルディスカッションについて考えたことを述べたい。

第一は、東部労組の全支部の組合員が「組合員拡大」についての考え方を根本的に変えること。

会社と「闘う」ことは当然の前提であって、そこだけにとどまらず、「組合員拡大」を、それがなければ新たな要求は何もかちとれない死活問題と位置づけ、かつ最大の活動課題にして取り組むこと。

つまり少数組合であれば、過半数組合をめざす。

それによって賃金や労働条件アップをかちとる。

その場合のストライキの効果は大きい。

さらに8割組合・オール組織をめざす。

それによって経営を規制する。

つまり多数派組合へ転換する構想力とオルグ活動を結びつけることが必要だと思う。

第二は、管理職を敵にしないこと。

多摩ミルクでは以前団体交渉でテーブルをはさんで向こう側(会社側)に座っていた労働者が組合員になり、活動家になって闘っている。

会社側について組合に敵対しないかぎり、管理職を敵視しない。

会社側にいる管理職を中立にして、味方にしていく、「敵は一人でも少なく、味方は一人でも多く」が方針だ。

第三は、職場闘争、組合員拡大の運動が支部組合活動の戦略課題であることをくりかえし強調し、確認すること。

私たち自身がそれを意識的に取り上げたのは、2011年11月の新入組合員セミナーで講義課目として「職場闘争」をはじめて設定し、組合「要求」の意識的向上と「組合員拡大(オルグ)」の重要性を訴えたところからはじまっている。

その効果が多摩ミルクで生まれたということである。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年6月号
コラム<二言三言>


アンドルー・ゴードン『日本労使関係史1853-2010』を読む

アンドルー・ゴードン著『日本労使関係史1853-2010』が昨年8月に二村一夫の翻訳で岩波書店から刊行されていたことは知っていたが、500ページを超える大部なこともあってなかなか手が出なかった。

覚悟を決めてこの連休中に取り組み、やっと読了した。

この本は、石川島造船や日本鋼管など京浜工業地帯のブルーカラー労働者(当時でいう「職工」)と会社との関係を、幕末開港から2010年まで150年にわたる過程を実証的かつダイナミックに分析し総括したものである。

期待した以上に刺激的で、目から鱗だった。勉強になった何点かを記しておきたい。

第一は、労働者と資本家の闘い、階級闘争が150年の日本の労使関係を形成してきたということ。

雇用制度は経営側が一方的につくり、労働者はそれに従うだけという現在支配的な思想は事実によって否定され、「終身雇用」「年功序列型賃金制」「企業福祉」「企業別労働組合」などは階級闘争の所産であることがくりかえし実証される。

第二は、150年を通した労働者の闘いの原動力は差別反対、人間として扱えという、職場でも社会でも「正規の構成員」(フルメンバー)としての処遇を求めてきたところにあったという。

これは、現在の非正規雇用労働者、中小零細労働者の問題につながる。

第三は、労働者の直接闘争が目を引く。

労働者が集合して職制をつるし上げ、みんなで歌をうたい、機械を止め、要求をかちとるという1926年ころ席巻した「集団攻撃」行動、また組合本部の専従オルグが直接職場の闘いを指導し、職場集会(年数百回にもなった)を開き、職場交渉で、作業現場での不満を結集し、要員の増加、長時間労働の削減、入浴時間の延長などをかちとった1950年代の「職場闘争」。

第四は、現在にも続く「闘争など想像もつかぬほど」協調的な労使関係へと変化させた要因として、インフォーマル組織、労使協議制、QCサークル運動、さらには解雇に代わる配置転換や出向、希望退職募集など経営側の予防反革命的な措置や活動をあげている。資本家は労働者支配に失敗を繰り返しながら、その有効な方法を学んできた。

そのほか、労働運動の自然な出発点は工場と作業場である、第二次大戦下労使関係への官僚の介入、「経営協議会」の役割などが印象に残った。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年5月号
コラム<二言三言>


安倍政権の新自由主義政策と闘う

安倍首相の経団連への報酬を上げる要請とか、それを受けてのローソンの新浪社長の即時の賃上げ発表とか政治的パフォーマンスが目立つ。

見え見えの「出来レース」、田舎芝居、茶番劇というほかない。

ローソングループには約18万5000人の非正規雇用者がいるが、これらの人たちは「賃上げ」の対象にならない。

たかだか3300人の正社員だけが対象だ。

しかしそれも民間労働者全体では、この14年間で58万円の賃下げというのが実態である。

一方で、というよりこれが本当のねらいだが、安倍政権は本腰を入れて、規制緩和、新自由主義政策という労働者の権利はく奪・生活破壊の上に、資本家のさらなる利益の積み上げをはかろうとしている。

安倍政権の手先である産業競争力会議と規制改革会議では次のようなことをアベノミクス「3本の矢」の一つ、成長戦略として6月までにまとめ、7月参院選後に一挙に実行しようとしている。

○事務や研究開発のホワイトカラー労働者については8時間労働制の適用や、残業代支払い義務をなくす。

○裁判所が解雇無効と断じても、原職復帰させない「解雇の金銭解決制度」。

○労働時間規制を柔軟にする「裁量労働制」の緩和や派遣労働の規制緩和。

○経営者による労働条件の変更規制の自由化。

○整理解雇しやすい「限定正社員」新設。

○解雇権乱用禁止の労契法16条の見直し。等々

これらがうまくいけば、その先には憲法改悪がまっている。

同時に、労働組合法改悪や従業員代表制導入による闘う労働者・労働組合の壊滅につなげようとしている。

だから私たちは覚悟を決めて、安倍政権の野望をこの水際で粉砕するために闘う。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年4月号
コラム<二言三言>


女性労働相談と国際女性デー

ひなまつりの 3 月 3 日、NPO法人労働相談センターでは「女性労働相談デー」と銘打って、女性のための、女性だけによる日曜労働相談を実施した。

当日は女性組合員のほか、女性ボランティアと女性弁護士のご協力をえて、正午から午後 5 時過ぎまで、事務所は終始、てんてこ舞いで、電話相談が殺到し、面接者でごった返すという盛況をきたした。

子供をおんぶしてきた相談者もいた。

結果は、来所面接と電話合わせて 37 件もあった。

正規非正規労働者の格差、企業規模間の格差が取り上げられることが多いが、同時に男女の格差・性差別の問題は依然として労働者の直面する解決すべき基本的な課題である。

普段でも女性の相談者から「女性の相談員はいますか」と問われることはよくあるが、今回はとくに女性特有の問題の深刻さを改めて示すものとなった。

偶然であるが、同じ3月の8日は「 国際女性デー 」である。

前日の朝日新聞に アメリカのケリー国務長官がこの記念日について投稿するくらい世界的に有名になっているが、実はこの 国際女性デーは彼が言うような無害な記念日でなく、女性労働者の深刻な闘いで生まれたものである。

1904年のその日、アメリカのニューヨークで女性労働者が「パンをよこせ、婦人参政権を与えよ」と大規模な集会とデモを起こした。

この日を、女性革命家のクララ・ツェトキンが、1910年に「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したことから始まった。

それを受けて、頻発するストライキを背景に、 1917年の国際女性デーにロシアの首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心とした飢餓反対、戦争反対、 ツァー 専制反対、 食料配給の改善を要求する デモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起、いわゆるロシア 2月革命の発端となり、ついには ロマノフ 帝政を崩壊に追い込んだ。

いま、非正規女性労働者で構成する東部労組メトロコマース支部は、 65 歳定年制に反対するストライキに決起する。

男女労働者は協力して、女性・非正規労働者差別を粉砕しよう !
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年3月号
コラム<二言三言>


柔道女子日本代表の決起に思う

柔道女子日本代表の国際強化選手15人の闘いが続いている。

2月4日に発表された15人の怒りのメッセージは指摘する。

「私たちが全柔連やJOCに対して訴え出ざるを得なくなったのは、憧れであったナショナルチームの状況への失望と怒りが原因でした」、「園田前監督によって行われた暴力行為やハラスメントにより、私たちは心身ともに深く傷つきました。人としての誇りを汚された」、「選手相互間の敬意と尊厳をあえて踏みにじるような連盟役員や強化体制陣の方針にも、失望し強く憤りを感じました」、「今回の行動をとるにあたっても、大きな苦悩と恐怖がありました」、「決死の思いで、未来の代表選手・強化選手や、未来の女子柔道のために立ち上がった後、苦しみはさらに深まった」、「強化体制やその他連盟の組織体制の問題点が明らかにされないまま、ひとり前監督の責任という形をもって、今回の問題解決が図られることは、決して私たちの真意ではありません」。

ここには、人間の尊厳をかけた闘いがあり、闘うことで活路を開くという精神がある。問題を社会に訴えることの重要性を感じる。声援を送りたい。

当然巻き返しも予想されるし、思いがかなうかまったく予断を許さない。

柔道女子の今回の決起は、「闘う」ということについて深く考えさせられる。

労働運動と共通することは多い。労働組合は闘うことが基本だ。

笹山尚人弁護士は言う。

「青年の多くが『闘うこと』も『団結』も知らない、経験したことがない。 そういうやり方があることを知らないまま社会人になった、だからやられたらやられっぱなし。彼らが求めるのは『よい職場』で、それがだめなら会社を辞めて次の職場を探すとなる」。

だから、労働者の不満の解決、要求の実現には、まず労働者自身が経営者と「闘う」と決意すること、そして実際に「決起」するという初心を繰り返し訴え続けたい。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年2月号
コラム<二言三言>


官営八幡製鉄所の大ストライキ

緒形拳主演の名画『復讐するは我にあり』の原作者である佐木隆三が24歳で書いた処女作『大罷業』を読んだ。

罷業(ひぎょう)とはストライキのことで、ここでは「溶鉱炉の火は消えたり」で有名な八幡製鉄所の大ストライキを扱っている。

ロシア革命、米騒動、第1次大戦後の不況を背景に、北九州八幡の官営製鉄所(現在の新日本製鉄八幡製鉄所)で1920年、製鉄所による職工(現場労働者)の重大な収入源であった時間外勤務を規制する職工規則の改定に対する反発を契機に、賃金3割増額、割増金の平等支給、勤務時間短縮などを求めて、2月5日2万数千名の労働者が決起、ストに突入した。

ここに開所以来初めて溶鉱炉の火が止められた。

その後、製鉄所側が勤務時間短縮などの要求をすべて拒否したため24日、2万5000人の労働者が再度ストに突入した。

しかし製鉄所のロックアウト、弾圧、スト破り、切り崩しで、3月20日争議は終了した。

しかし争議後、製鉄所は8時間3交代制、約11%の賃上げなど労働者の要求をほとんどいれた「職工優遇案」を発表した。

これが八幡製鉄所大争議の概略である。

陸海軍拡張の心臓部である日本最大の軍需工場でのストライキは、川崎・三菱神戸造船所争議に次ぎ戦前の日本で2番目に大規模な争議であり、支配階級を震え上がらせ、全国の労働者を励ました。

小説は、ストライキの開始を知らせる鳴りっぱなしの汽笛からはじまる。

供給人夫から職工になったばかりの20歳の篠原辰吉が主人公。父は日露戦争で戦死し、兄は工場作業中に24時間連続労働で労災死した。

職場は、職工、職夫、供給組合人夫など重層的職階制、看守・守衛による職場の日常的な監視体制、さらにストになると巡査はサーベルを抜き、憲兵は拳銃を突きつけて各工場に詰める。

しかし辰吉はストライキに参加することで、少しずつ目覚めていく。

ひとつは、ストの威力。四百数十本ある煙突群が煙を吐いていない。職工がいなければ製鉄所は動かないのだ。

古今東西、労働者の闘いにおいてストライキこそが最大最強の武器であることを示している。

日本全体でいうと今、未曾有のストライキ件数の激減に直面しているが、規模こそ違え、現在の私たちもデイベンロイや多摩ミルクでストライキの威力をつくづく実感させられている。

もう一つは、仲間を裏切らないこと。最後に辰吉は命を賭してそれを守る。
 
最近の職場小説や労組小説にはない、荒々しい骨太の労働者魂にふれる小説に出会った思いである。
(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年1月号
コラム<二言三言>


労働組合の組織原則について

先月の東部労組第39回定期大会は、組合結成以来はじめて議案書に対する修正動議が提出され、それについ
て多くの組合員が発言し、活発な討論を行った。

動議の内容は国鉄闘争と地域共闘についてであったが、討議を通じて、労働組合の組織原則という問題が重要テーマとして浮上した。

労働組合は労働者の労働条件と地位の向上をめざし、経営者資本家と闘う組織である。そのために私たちは全力をあげて闘っている。

しかし経営者資本家と闘い、勝利するために労働組合は強くならなければならない。

ではその強さとは何か。

東部労組が強くなるとはどういうことか。

職場闘争や少数派から多数派へ、反戦平和、地域共闘など課題はたくさんあるが、一番大事なことは東部労組が団結を強め、労働組合としての一体性を確立することである。

私たちは組織のほかにどんな武器ももたない。

東部労組の一丸となった力によって経営者と強力に闘えるのである。

東部労組は支部連合ではなく、ましてや仲良しクラブではない。

執行委員会を中心にした闘う単一組織である。

それを保障しているのが組合規約であり、大会などでの決定である。

言うまでもなく、組合規約を守り、運動方針・決定を実践することは組合員の義務である。

組合は民主集中制により運営し、大衆討議の上、決定は多数決による。

反対意見は保留できるが、反対意見であっても、決定を実践しなければならない。

これが規約に示された組織原則である。

多数決で決められた大会決定に組合員が従うのは当然のことで、あいまいな態度は許されない。

大会での白熱した討議は組織原則を全組合員が確認し、東部労組の一体性を確立するうえで大きな意義があったと思う。

組織原則はついでのことでなく、組合活動において欠かすことのできない、核心の問題であることを学んだ大会であった。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年12月号
コラム<二言三言>


組合員拡大の6つの方法

11月4日に開いた東部労組第39回定期大会では、組合員の組織化について総括した。

前期(2011年度)は8つの新支部結成、103名の組合員純増をかちとったが、今期は新支部の結成はなく、またデイベンロイ支部では組合つぶし攻撃は打ち破ったが、希望退職に応じた組合員も出て、東部労組全体の組合員数は減少した。

組合員減少は私たちに限ったことでなく、全国的な傾向である。

その客観的要因はいくつか考えられるが、いずれも現段階では確定的とは言えない。

たとえば非正規雇用労働者の増加(現在全労働者の35.5%)は、「団結禁止法体制下」というほかない職場状況を生みだしている。

正社員も同様だ。

また大震災と原発事故という「3.11」が労働者の萎縮状況を続けさせていることも軽視できない。

これらによる労働組合結成を躊躇させる傾向が克服されるか、持続するのかはまだ分からない。

ただこれらの流れと違う特徴が私たちの運営する「個人加盟インターネット労働組合ジャパンユニオン」でおこっている。

今年いずれもジャパンユニオンへのメール相談をきっかけに札幌と恵庭で組合結成が2件続き、札幌地域労組のそれぞれ数十人での分会となっているケースである。

また同時にジャパンユニオンへの個人組合員加入が増加している。

はっきりしていることは日本はいま労使関係の激変期にあり、労使の矛盾は渦巻き、労働者は反抗の契機を求めていることだ。

労働組合のない労働者の現状に見合った組織化を模索し、考えられるすべてをやっていくということになるだろう。

当面の新支部結成、組合員拡大の方法は次の6つである。

(1)従来通り主流は労働相談から組織化へ、(2)職場闘争の強化により支部職場で組合員を増やす、(3)地域共闘など労働相談以外のルートから、(4)組合員の知人紹介から、(5)個人労働者の組合加入、(6)個人組合員増加と教育強化で「送り込み」を増やす。

そのために、インターネットの活用と組合員の任務分担の明確化が課題となる。

それらの総合的重層的実行で、1000人東部労組の早期達成をめざしたい。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年11月号
コラム<二言三言>


先進支部に学び、職場で組合員を増やそう

昨年度だけで組合員を20数名増やした支部で、どうやって組合員を増やしたのかについてオルグ体験の懇談会を開いてもらった。

生き生きした話が続出したが、まとめると次のようなことになろうか。

他の支部、個人組合員もこれらの経験を参考にして、仲間を増やす糧にしていただければありがたい。

第1は、オルグの技術やテクニックではなく、低賃金、長時間労働、募集広告と入社条件が違うなどの不満、ずさんな会社経営や経理の不正への怒り、一番弱い人に耳を傾けるなど「素朴な正義感」が組合員オルグの最も大事な原動力だということが共通して出された。

第2は、自分が一方的にしゃべるのでなく、組合に入ってもらいたい人の愚痴など相手に話させる、相手の不満を引き出せるかどうかが勝負どころという。

あの人は絶対入らないだろうと、誰も声をかけない、そういう人に限って、きちんと話すとすんなり入ってくる場合がある。

第3は、重層的なオルグ。

これまで支部はオルグをまったくしてこなかった。

むしろ入りたい人でも拒絶していた時期がある。

そんなことはやめて、一人の人にいろんな人から声をかける、こまめにくりかえし声をかける。

人生の半分を組合なしで生きてきた労働者が話してすんなり組合に加入する訳がない。

半年かかったケースもある。

目標を決めて、皆でオルグする地道な活動につきる。

退職するのは会社に不満があるからで、悩んでいるときに声をかけると解決策として組合に入ってくる場合がある。

長いこと勤めるつもりがない人はオルグに乗らないが、半年たって勤め続ける気になってはじめて考えはじめる、やっと話をまともに聞く。

とりあえず入ってもらうやり方はよい、時間をおくと後退しダメな場合が多い。

第4は、個人ではできないが、労働組合ならやれる、組合には交渉権あることをオルグの中心内容にしている。

それでもまず本人がやりたいなら個人でやらせるが、会社はほったらかしで、結果として組合加入につながる。

第5は、ビラ、支部機関紙。

読んでいないと思っていたら、こちらが思っているよりよく見ている。

オルグの力になっている。

第6は、昨年10月の新入組合員セミナーなど本部主催学習会で勉強したことが生きている。

例えば労働組合は数だ、オルグ対象を決めた地道な説得活動なしには組合加入はないなど。

最後に、成果におごらず、もっと組合員をみんなで増やそうとの声が印象に残った。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年10月号
コラム<二言三言>


インターネットを労働運動の武器に!

いまNPO法人労働相談センターや東部労組、ジャパンユニオンに来る労働相談の98%とか99%がインターネット(ホームページ)経由である。

二昔ほど前までは、駅、団地でのビラ配布や新聞折り込み、電話帳などで労働相談を呼びかけていた。

いまから見ると隔世の感がある。

いま日本の人口の8割近くがネットを利用し、とくに20歳代から40歳代まででは、その普及率は95%前後に達している。

パソコン、携帯電話、スマートフォンのこれだけの普及は情報伝達の方法を変えるのは当然だ。

企業の多くではすでにずっと前からインターネットの活用は行われ、業務指示や通知が従業員の携帯にメールの一斉送信などで当たり前のように行われている。

だから「インターネットを労働運動の武器に!」というと、何をいまさらと言われるかもしれないが、労働組合の世界ではそんなにインターネットの活用は進んでいない。

私たちの活動もまだまだ不十分である。

しかし、これからの労働運動においては、インターネット、ホームページ、ブログ、ツイッターなどの役割はますます大きくなり、不可欠のツールになるだろう。

インターネットと労働組合の関係について、東部労組としては今後2つのことが必要だと思う。

一つは、すべての組合員が東部労組関係の各ホームページを見て、厳しい意見を本部に集中することである。

それは一方で東部労組をよく知り、職場活動に生かせるものにすることであり、他方ではまだ労働組合のない労働者が見やすい、理解しやすい、労働組合は必要で加入したいなと思えるような画面に変えるためである。

衆知を集めることがどうしても必要だ。

それは労働組合が労働者と結びつく主要な方法となりうるものである。

もうひとつは、集まった組合員の知恵をホームページに反映できる専門チームが必要だ。

その作業を通じて、労働相談の「入り口」としてのホームページを強化できると思う。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年9月号
コラム<二言三言>


労働問題の解決をどこに求めるべきか

8月5日、「過労死をなくそう!龍基金」第 6回中島富雄賞授賞式が開催されて、ワタミ過労自殺遺族の森豪さん、祐子さん夫婦が受賞された。

その授賞式で中島賞選考委員の平野敏夫さん(東京労働安全衛生センター代表理事)は「職場の労働組合の力で過労死を防止するのが一番基本のことではないか」とあいさつした。

まったくその通りで、ここに過労死はじめ労働問題の核心がある。

しかし最近それに反する主張が目につく。たとえば、ベストセラーになっているという木暮太一著『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか ?』(講談社2012.4)がその典型だ。

そこでは、「みなさんは、いまの自分の働き方に満足していますか?みなさんは、いまの働き方をずっと続けていきたいと思っていますか?」とか「働いても働いても一向に給料は上がらないし、どんどん仕事の量が増えて、忙しくなってきているような感じもします」と正常な問題提起をしておきながら、結論を「それを解決することのできる方法は長期に耐えうるスキルを身につけること」に落とし込んでいる。

資本主義社会で労働者のおかれている実態は「賃労働と資本」の関係でしかありえないのに、的を外させるために、労使関係以外の所に活路を求めさせようとする傾向は多種多様な手法を使ってこれからも続くであろう。

日本国民の大多数を占める労働者が自ら実際に働く労働現場で、人間らしく働きやすい(ディーセント・ワーク)環境を労働者自身の力で築くために努力すること、すなわち経営者と闘うことが一番肝心なことである。

過酷な労働実態とその真の解決策から目をそらし、いくら苦しくてもそこから逃げて安易な別の道を探しても働く者にとって、それは真の解決にはならない。

私たちの回答は、「労働者にとって最強のセーフティネットは労働組合!」、「労働問題を労働組合加入で解決しよう!」でしかありえない。

労働者が労働組合を武器に経営者と闘ってはじめて問題は解決する。

問題はこのように立てられなければならない。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年8月号
コラム<二言三言>


いまふたたびの槇村浩

槇村浩(まきむらこう)の『間島パルチザンの歌』を紹介したのは本欄の2009年4月号であった。

もう3年以上前になる。

『間島パルチザンの歌』は中国の間島地域(現在の吉林省東部の延辺朝鮮族自治州一帯)で1930年代朝鮮人の独立ゲリラ闘争を描いた、「思い出はおれを故郷へ運ぶ」ではじまる長編詩である。

私がはじめてこの詩を知ったのが彼の生誕50周年の1962年であった。

今年は生誕100周年で、さまざまな催しが行われている。

そのなかで新しい事実がいくつか発掘されている。

一番驚いたのは当時、日本支配下の間島の小学校でこの『間島パルチザンの歌』が朝鮮語で朗読されたということだ。

戸田郁子という作家が最近、延辺で取材した、当時小学生だった著名な学者がそれを聴いたことを思い出していた(『中国朝鮮族を生きる 旧満洲の記憶』岩波書店2011.6)。

また戦後、延辺大学でこの詩が日本語テキストとして使用され、槇村浩は国際的詩人として伝わっていたという。

さらに槇村がこの詩を作る契機になったのが、1930年の「紅五月闘争」といわれる間島の武装蜂起だったということ、この闘いでは、発電所の破壊、鉄道襲撃、東洋拓殖会社間島出張所に爆弾投下、電話線切断など大がかりな抗日闘争に発展して、東北地方初の「ソヴェート政府」が成立し、それらは連日、高知でも新聞で大きく報じられていたという。

いま、槇村が投獄されていた高知刑務所跡は高知城西公園となり、その一角に槇村浩の『間島パルチザンの歌』の冒頭が刻まれた詩碑がある。

ここは明治期に自由民権運動で活躍した植木枝盛邸の側にあり、寺田寅彦や自らが侵略戦争に教え子を送った懺悔の詩を残した竹本源治(本欄2007年11月号で紹介)の碑も並び、高知文学碑通りと呼ばれているという。

一度行ってみたいものだ。

『間島パルチザンの歌』全文は東部労組ホームページの<二言三言>コーナーで見ることができる。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年7月号
コラム<二言三言>


「力の思想」の復権を!

東部労組が6月合宿の交流会で盛り上がっていた6月2日夜、NHKテレビでは「シリーズ日本新生」のひとつとして「"雇用の劣化"を食い止めろ!」という討論番組が放映された。

冒頭、NPO法人労働相談センターの事務所での相談風景とともに、「雇用の劣化と貧困の拡大が進んでいる」との須田副理事長のインタビューが流れた。

それ自体は意義があり、その後の反響も大きかったが、番組内容はいただけるものでなかった。

「有識者が提示する大胆な改革プラン」なるものがいくつか示されて討論するという趣向だったが、残念ながら「雇用の劣化を食い止めろ!」というには、その内容は空疎すぎた。

なぜなら雇用の劣化を食い止めることを実現する条件がいっさい吟味されていないからである。

「労働者が安心して働ける社会になったらいいね」というだけでは改革プランでもなんでもなく、単なる願望にすぎない。

これはNHKに限らず、マスコミ、さらには労働者の側に立つと言われる論者や雑誌などでも最近とくに目立つ論調である。

それらは共通して解決策を法律や制度の改善に集約する傾向が強い。

法律制度の改善により社会保障、生活保障を要求することの正当性は当然としても、問題をそこにとどめるわけにはいかない。

なぜなら要求するだけではその要求を実現できるわけがないからだ。

要求実現を可能とする主体こそが問われなければならない。

法律制度の改善を実現できる原動力は労働者、労働組合を中心とする社会的な力でしかありえない。

「労働組合の闘いで労働条件と世の中を変える」という観点が必要であり、それが基本だと思う。

「資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」というとき、その「社会による強制」とはなにか。

世論、法律などが含まれるが、最大最強中核の社会的強制力は労働組合とその闘いである。

労働条件はすべて結局労働者の力と経営者の力の抗争で決する。労働者は基本的には労働組合という組織以外に経営者とたたかう武器を持たない。

「力の思想」、つまり闘いと組織による変革の思想の復権こそ、いま強調しなければならない。

それは個別企業でも社会全体でも同じだ。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年6月号
コラム<二言三言>


関越道ツアーバス事故と労働組合のチカラ

4月29日、悲惨な関越道ツアーバス事故がおきた。

かつてツアコンだった組合員は「 20日以上休みなしとか、睡眠は2、3時間など観光バスのドライバーはいつも事故を起こす恐怖に怯えてた」と話している。

また新聞取材を受けたバス運転手は「いつか起きると思っていた」「起こるべくして起きた事故だ」と言っている。

なぜこんなことになるのか。

バス事故の原因と背景は何か。

一方には、新自由主義、規制緩和の推進がある。

運転手1人の最大運転距離を1日670キロとした指針の見直しを総務省が2年も前に勧告していたにもかかわらず、天下りなどを通じて運輸業界の利益を代弁する国交省が拒否し続けていた経緯がある。

このように労働者の労働条件が引き下げられ、労働環境が劣化する根本的原因は資本家のあくなき利潤の追求にある。

資本独裁、労働者奴隷化という現在の労働環境の必然的な結果というほかない。

大げさではなく労働者はこうやって毎日殺されている。

他方、労働者の団結組織である労働組合の力が弱くなっていることがある。

主体的に見れば、これこそが最大の原因だ。

なぜなら資本家の横暴を規制し、根本的に改善できる第一の武器は労働組合だからである。

その労働組合が弱体になれば、労働者は資本家の言うことをすべて受け入れざるを得ない。

労働組合の弱体化によって真っ先に被害を受けるのが労働組合のない労働者だ。

しかし「闘うこと」も「団結」も知らない労働者は多くなっているのも事実である。

多くの労働者は組合結成・加入を経験したことがないし、団結して闘った経験もない。

とくに青年がそうだ。

だから労働組合の結成加入を経験した私たちはそれをまだ知らない労働者に「闘うこと」と「団結」を伝える義務がある。

職場の同僚労働者をはじめ、友人、知り合い、同業労働者に労働組合を知らせよう! 

自分たちの貴重な経験を伝えよう!

労働組合のチカラを知らせよう!

東部労組加入を呼びかけよう!

東部労組に入っていっしょに生活と権利を守ろう!(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年5月号
コラム<二言三言>


全金田中機械支部大和田委員長を追悼する

さる3月17日、全金田中機械支部大和田幸治委員長(全金港合同事務局長)がお亡くなりになった。

享年85。

翌々日の告別式に東部労組と全国一般全国協を代表して参列した。

その際聞いたところでも、死の直前まで団体交渉や学習会の講師を務められたとのことであった。

まさに最後まで労働組合運動につくされた一生だった。

東部労組とのつきあいは1977年、大阪集会や労働情報の創刊のころにさかのぼる。

今や伝説となっている「寒風吹きすさぶ」第3回大阪集会は1979年1月、田中機械構内製缶工場で全国から2000名の労働者が結集して開催された。

当時「西高東低」と言われた大阪の労働運動、とりわけ田中機械、港合同のたたかいに学んだことは多かった。

見るもの聞くものすべて驚きで、労働組合はこういうことまでできるのだという、まさに目からうろこの驚きと励ましを受け、揺るぎない確信となった。

また2000年の東部労組の6月合宿には講師を務めていただき、参加者は忘れられない感銘を受けた。

それらを通して生涯労働運動に身を投じる決意をした組合員もいる。

当時、「闘う労働組合を会社ごとつぶす」という日経連など総資本の意志のもと、田中機械にかけられた破産攻撃を、大和田委員長を先頭に全金田中機械支部・港合同は、実力闘争、地域共闘、労働委員会・裁判など多様な戦術を駆使し、十年余のたたかいで破産法を突破し職場と闘争拠点を防衛しぬくというたぐいまれな勝利をかちとった。

その闘いの中で、「破産管財人の団体交渉義務」、「賃金復元協定」など今でも恩恵をうけている成果は少なくない。

「受けた支援は運動でかえす」という大久保製壜支部のスローガンはもともと港合同の闘いのなかで生まれたものである。

また賃金闘争、賃金配分権、職場支配力、経営の蚕食、自覚的団結などの考え方や「弱点のない敵はいない」「困難のなかでも執念をもって闘えば活路は開ける」など闘いのなかで生まれた言葉は今でも私たちを励まし続ける。

詳しくは大和田幸治『企業の塀を越えて-港合同の地域闘争』(アール企画 2001.12 )をぜひ読んでほしい。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年4月号
コラム<二言三言>


「国策民営」事業と労働者

3.11東日本大震災・原発事故から1年を迎える今、「国策民営」事業としての原子力発電と東京電力の犯罪が問われている。

吉村昭の『高熱隧道(ずいどう)』(新潮社1967.6)はそれらを考える格好の小説だと思う。

日中戦争の最中、戦時下の工業力の確保という国策遂行のため、北アルプスにある黒部ダム第三発電所建設工事が1936年から4年間かけてなされた。

「隧道」とはトンネルのこと。

工事はダイナマイトを岩盤に仕掛け爆破しながら掘り進みトンネルを開通させる。

第一工区はその進路が温泉の湧出する地帯を強引につらぬこうとするもので、坑内には熱い湯気と熱気が充満し、過酷な労働環境が悲劇を呼ぶ。

吉村はここで2つのテーマを追究している。

一つは国策民営事業はいかに完遂されたかということ。

労働環境無視のむちゃくちゃな作業指揮による労災事故の頻発となだれによって、高熱隧道での1年4ヶ月の死者は233名にのぼった。

このため当然にも工事監督の直接責任を持つ富山県庁と警察は工事中止命令を出すが、国はみずから法律を無視し、かつ犠牲者への天皇の見舞い金授与というウルトラCまで使って、すべての工事中止の動きを粉砕し、はれて「国策民営」事業は完遂される。

二つ目は過酷な犠牲の押しつけに対する労働者の不満反乱への経営側の恐怖と対処である。

当時の火薬類取締法のダイナマイト使用制限温度は摂氏40度であるにもかかわらず、100度を超える岩盤にダイナマイトを装填したため、自然発火による爆発事故を引き起こし、8人の労働者が死亡。

しかしその時、所長はバラバラになった死体をトロッコに乗せて外に運び出し、むしろを敷かせて、腕とか足とかバラバラの肉塊を8人それぞれに分けてまとめていく。

200人の技師と作業員が見守る中、死体の血と脂にまみれながら所長一人でその作業をやり抜く場面は鬼気迫るものがあるが、その理由は労働者の怒りが法令違反の作業や会社にいかないようにし、むしろ所長を英雄視するところにあったという。

それでも最後は、現場労働者の不満、いらだち、憤り、憎しみは死の危険を押しつける技師や会社に向けられ、不穏な空気が流れる中、十本のダイナマイトが盗み出されたことを契機に、人夫頭の必死の憎しみをこめた助言で工事現場から日電役員と所長、課長の3人はひそかに夜中、逃亡するところで、この小説は終わる。

エンターテイメントとしても優れもので、お薦めの一冊。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年3月号
コラム<二言三言>


職場の非組合員を強力なオルグ活動で支部に迎えよう!

昨年後半から、デイベンロイ支部と多摩ミルク支部は組合員を飛躍的に増やしている。

両支部ともいま会社からの組合つぶし攻撃のまっただ中にあり、その会社の攻撃を逆手にとって組合員を拡大している。

両支部の奮闘に敬意を表したい。

しかし両支部をふくむ各支部の組合員加入状況はいまだ決して満足いくものではない。

まだ少数派に甘んじている支部が多いのも事実だ。

労働組合の強さとは、くりかえし述べているように結局は、要求を実現できるかどうかで証明される。

要求を実現する力の基本的要素は組合員の数である。

新しい支部から「組合員はがんばっているのに、なぜ何もしない非組合員の利益を守らないといけないのか」との質問をよく受ける。

問題はそれの解決の方法である。

つまり、組合員と非組合員を敵対関係におき、分断を固定化するのか、それとも非組合員を非常な困難を伴う必死のオルグで支部に迎え入れ、組合員にして、組合の力の強大さで要求を獲得するのかということである。

選択肢はそのように立てなければならない。

だから組合員へのオルグは大事なのである。

東部労組の各支部は日夜、職場全労働者の利益をめざし奮闘している。

その支部の真剣で無私の日常活動が職場の労働者の支持を受けないわけがない。

各支部は適切な要求をつくりあげ、戦略戦術を練って、もっともっと全従業員のなかに入り、くりかえしくりかえし闘争の意味を訴え、組合加入を呼びかけよう。

そのためには、行き当たりばったりでない、緻密で適切なオルグ計画を立てる必要がある。

たとえば、全従業員名簿を一覧にして、だれがだれにいつまでに当たるのか、さらには複数の組合員が重層的にオルグする方がよいかもしれない。

それをできるだけ多くの組合員で分担して、組合員でない、非正規をふくむすべての従業員に総当たりで組合加入のオルグをかけるのである。

組合加入の呼びかけを待っていた非組合員がいたことはこの間のオルグ経験で報告されている。

「われに正義あり」の確固とした信念をもって、支部加入のオルグにあたろう。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年2月号
コラム<二言三言>


エンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』

マルクスの盟友エンゲルス( 1820年~1895年)の著作に、『イギリスにおける労働者階級の状態』がある。

170年近く前の話だが、いま読んでその事実と主張が古くないだけでなく、日本の労働者の現状について、きわめて的確な指摘になっていることに驚く。

まずエンゲルスは「労働者には、資本家の利益を守って動物に転落するか、抵抗して自分の人間性を守るためにたたかうか、二つに一つの選択しか残されていない。そしてあとの道は、資本家との闘いの中でのみ可能である」とか、「労働者が現在の状況から抜け出そうとするやいなや、資本家は公然たる敵となる」、「彼ら(労働者)は資本家階級にたいして怒りを感じている限りにおいて人間なのである」と主張する。

これについて、東部労組で支部結成に参加したことのある組合員は限りない共感を持つのではないか。

私たちはみなこの覚悟を持って身体を張って支部結成に立ち上がり、申し入れ行動を行った。

もうひとつエンゲルスから学ぶことは、資本家の本性についての認識である。

「人びとはおたがいを利用できる奴としかみていない。みんなが他人を食いものにし、そのために強者が弱者をふみつけ、少数の強者、つまり資本家があらゆるものを奪いとり、多数の弱者、つまり貧民には、ぎりぎりの生活もほとんど残されていない」とエンゲルスはいう。

これはまさにニューヨーク「ウォール街を占拠せよ」運動のスローガン「1%(の富裕層)対99%(のわれわれ)」そのものである。

また「資本家はただ金もうけのためだけに生きている」、「資本家は労働者を人間とは見ずに『人手』と見る」、「人間と人間のあいだに、現金勘定以外のつながりをみとめていない」とも言う。

これが資本家の本性であるということは昔も今も変わらない。

この認識が少しでも曇れば、そこから労働者・労働組合の弱体化が始まる。

資本家への幻想を捨てて闘争を準備しよう。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年1月号
コラム<二言三言>


第38回大会で感じたこと

東部労組の第38回定期大会はいままでで最多の159名組合員が参加し盛会だった。

今期は8支部を新規結成、その結果103名の組合員が純増した。

闘いの成果は大きかった。

その要因は、各支部と組合員の奮闘を前提に、労働相談センターによる相談活動と1996年からのホームページのアップ、2004年のNPO法人化と労働相談ボランティア(現在登録者272名)制度の開始、ボランティアから労働組合活動家への育成努力、「労働相談からの支部結成」までの経験の総括による方法の確立、多数専従体制の定着、職場闘争・「少数派から多数派へ」への努力、そして30歳代委員長・書記長の選出などがあげられる。

その方向は継続強化したい。

それが第一の感想。

第二は、労働相談・組織化の基本的方法の枠組みはほぼ確立したと言えるのではないか。

それに比べ、職場闘争についての認識・方法・体制はまだ不十分といわざるを得ない。

職場闘争の法則性をつかみ、多様な職場の実際に活用し、各支部での職場闘争を強め、組合員を増やし、職場多数派をめざそう。

第三は、古い組合員というだけで組合結成や職場闘争の指導ができるわけでない。

私の場合、組合に入って5、6年たったころ、労働組合や労働法について何でも知っているつもりになったことがある。

実際はそんなことはなくて、真剣に労働組合の経験を積み、組合結成の苦い失敗をくりかえし、労働法の勉強をしなければ身につくはずがない。

そういうことに無自覚で、根拠のない自信だけで指導を始めるととんでもない失敗をする。

経験を積めば積むほど、自らの無知を自覚して発言に慎重になる。

あまり知らない支部のことを担当者を抜きに意見を言うなどもってのほかである。

調査なくして発言権はない。

第四は、労働組合は執行部を中心に団結する。

その上で「よってたかって」闘うのである。

東部労組は単一の地域合同労組であって、独立した各支部労働組合の寄り集まり連合ではない。

「組合は民主集中制により運営する。すなわち誰もが自由に意見をのべ、大衆討議をすること、決定は多数決による」、「執行委員会は大会から大会の間、組合活動の指導を行う」(東部労組規約)。

組合員が好き勝手なことをやる分散主義は克服しなければならない。

東部労組は新執行部を中心に固く団結し、1000人東部労組を早急に達成しよう!(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年11月号
コラム<二言三言>


荒畑寒村

荒畑寒村(あらはた かんそん、本名勝三、 1887~1981)は、明治・大正・昭和を生き、活躍した社会主義者・労働運動家である。

ウェッブ夫妻の『労働組合運動の歴史』の監訳者であり、戦後、関東金属労働組合の委員長や中央労働委員会の労働者委員を歴任し、一時期は衆議院議員を勤めたこともある。

彼には『寒村自伝』(岩波文庫 1975年刊)という著作があり、波瀾万丈、疾風怒濤、不撓不屈、血煙弾雨、孤立無援、博覧強記、血わき肉おどる、息つく暇もなくめっぽう面白い。

日露戦争反対から平民社や17歳での社会主義宣伝の伝道行商、その途上での田中正造・足尾鉱毒事件との出会い、赤旗事件で入獄、そのため幸徳秋水などが殺された大逆事件には連座しなかった。

演説会での弁士中止や出版物の発行発売禁止など権力による戦前のすさまじい「表現の自由」否定と徹底した弾圧がくりかえし出てくる。それとの闘いがおもな闘争にならざるを得ない状況がよく分かる。

1918年富山の米騒動を断固支持した寒村は裁判にかけられる。

超満員の法廷で獅子吼する寒村の最終陳述が終わると傍聴席でただ一人拍手する者がいた。

激怒した裁判長は「誰だ」と問いただしたのに、臆することなく「俺だ、大杉栄だ」と答えた。

その勢いに押されて、裁判長は何の手出しもできなかったという。

大杉栄はその4年後、関東大震災で虐殺された。

圧巻は密かに中国の黒竜江を越えてチタからシベリア鉄道を走破、ついにイルクーツクからロシア革命が進行中のモスクワに入り、ロシア共産党第 12回大会で演説し、熱烈な拍手と歓呼を浴びるところ。

自伝の最後は次の歌でしめられている。

死なばわが/むくろをつつめ戦いの/塵に染みたる赤旗をもて

寒村の一生は本人も言うとおり挫折に次ぐ挫折、失敗に次ぐ失敗だが、それらに負けることなく一生涯闘いを貫いた。

何度も病気に倒れているが、七転び八起きの精神で楽天性を失わない。

すべてを肯定するわけではないが、彼から学ぶ点は多い。

歴史的な視野で重層的に現在を見直す糧になる。

時間を作って『寒村自伝』に挑戦してみたらどうだろうか。(石)



全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年11月号
コラム<二言三言>


ディーセント・ワーク

「ディーセント・ワーク」という言葉をご存じだろうか。

まだまだ浸透しているとは言えないので初めて聞く組合員が多いかも知れない。

「ディーセント」とは「まともな」とか「適正な」とかを意味する英語で、ディーセント・ワークとは、「働きがいのある人間らしい仕事・働き方」と訳され、人間らしい生活を継続的に営める労働条件のことである。

そこには、人間の尊厳と健康を損なわず、かつ安定した雇用、適正な賃金・労働時間、安全・健康・快適な職場環境および団結権・団体交渉権・団体行動権(ストライキ権など)が含まれる。

脱原発など平和で安全な環境で働く権利もディーセント・ワークの重要な内容の一つだ。

労働基準法にある「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」(第1条)と共通するものである。

1999年に国際労働機関(ILO)総会において21世紀のILOの目標として提案され支持された。

ディーセント・ワークは全世界の労働者・労働組合とともに、私たちがかちとるべき要求の内容を示している。

「汗して働いたらまともな生活ができる」という至極当たり前のささやかな希望は、NPO法人労働相談センターに連日寄せられる解雇、賃金引き下げ、「辞めたいのに辞めさせてくれない」、いじめ・いやがらせ、パワハラ、セクハラなどの労働相談に見られるように極端に踏みにじられている。

それらを是正し、改善する方法は労働組合で闘うしかない。

つまりディーセント・ワークを保障するのはまともな労働組合の存在である。

職場の現在の労働条件を見直し、あるべきディーセント・ワークの水準に照らして、各支部の職場「要求」を高め、職場闘争と少数派から多数派へ組合員拡大の闘いを通して、その実現をかちとろう。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年10月号
コラム<二言三言>


焼き場に立つ少年





「焼き場に立つ少年」という写真は有名なのでご存じの方も多いと思う。

アメリカ海兵隊のカメラマンで、のちに大統領付の写真家になったジョー・オダネルが撮ったものだ。

『トランクの中の日本-米従軍カメラマンの非公式記録』(小学館1995.6)に収録されている。

場所は原爆投下直後の長崎、背負われている弟と思われる幼児はすでに死んでいて、この少年ははだしのまま直立不動、「気を付け!」の姿勢で火葬の順番をじっと待っている。

オダネルは

「少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。

(火葬の)夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…」

とコメントを残してる。

オダネルは帰国後、被爆体験の悪夢にさいなまれ、すべての写真をトランクにしまってしまった。

しかし67歳の時、米国内の反核運動に触発されて「真実を伝えなければならない」と、43年間の封印を解いて写真を公表しはじめた。

いくたの嫌がらせにも屈せず、70歳を過ぎて体験を語る活動もはじめた。

そして焼き場に立つ少年を手を尽くして捜し続けたが、ついに再会は果たせなかったという。

この少年の怒りにも似た悲しい表情に胸を突かれる思いになるのは私だけではないだろう。

二度とこのような悲しい光景を起こしてはならないと誓わないでおれない。

この写真を最初に見たとき、なんで自分が写っているのかと思った。

それほど写真に写る少年は1950年代初頭10歳くらいの私自身だった。

当時両親が共働きだったので放課後2歳になった妹を、坊主頭、半ズボン、背負いひもなどまったく同じ格好で背負って過ごしていたからだ。

だからよけい他人事と思われない。

この写真はいまも私の机の前にある。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年9月号
コラム<二言三言>


労働運動再生のカギ

労働組合運動の衰退が叫ばれて久しい。

実際、労働組合組織率、ストライキ件数にとどまらず、多くの指標でそれは現れている。

では現在の日本で労働組合の役割は終わったのか。

そうでないことは東部労組、各支部の現状と日々の労働相談、相次ぐ支部結成が力強く証明している。

労働者にとって労働組合の役割がますます増大していることは間違いない。

ではなぜ労働者の「労働組合離れ」が進行しているのか。

既存の多くの企業内組合が労働者の利益を守れない、または守らない労働組合に成り下がっているからにほかならない。

だから「会社の労働組合は頼りにならない、信用できない」と私たちに労働相談が来ているのだ。

ではなぜそうなっているのか。

戦後労働運動の労使の攻防戦のなかで少しでも労働者の利益を守ろうとする勢力が敗北・放逐され、大企業労組はほぼ完全に会社派幹部に制圧されたからだ。

労使協調路線にとどまらず労使癒着が進行した。

そのような現状にあって、労働者の利益を守る労働組合をめざす大企業内部からの動きに期待したいが、すぐに実現する可能性は少ない。

では労働運動再生のカギはどこにあるか。

そもそも日本の労働者はその8割が中小企業に働いている。

中小企業と非正規雇用の労働者を対象とする地域労組・ユニオンの立場から次の3点を指摘したい。

(1)「大量相談-大量組織化」。「労働組合」を求める労働者との結びつきをもっと強めよう。

(2)職場闘争の復活と「少数派から多数派へ」の追求。これが活動の基本。成功事例の総括教訓化と大胆な実践が求められる。

(3)闘う労働組合の連携。東部労組が加盟する全国一般労働組合全国協議会とコミュニティ・ユニオン全国ネットワーク、さらに全国一般全国協、全港湾、全日建連帯労組の3単産共闘の強化と中小・非正規労働組合の大同団結をめざそう。

この3つの課題の結合と統一的な推進がいま求められていると思う。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年8月号
コラム<二言三言>


「ジョセフ・クーデルカ プラハ 1968」


いまから43年前の1968年8月、旧ソ連率いるワルシャワ条約機構軍はチェコスロバキア(現在のチェコ)の首都プラハに侵攻した。

プラハは1500台の戦車と50万の軍隊に占領された。

いわゆる「チェコ事件」である。

これによって当時「人間の顔をした社会主義」をめざしていたといわれる「プラハの春」は圧殺された。

しかし占領がスムーズに行われたわけでは決してない。

言論や表現、行動の自由が奪われるまで、大国の横暴に対するプラハ市民の1 週間にわたる激しい抵抗があった。

その様相を克明に撮影していた写真家がいた。

それが当時30歳のジョセフ・クーデルカであった。

東京都写真美術館で開かれている彼の『プラハ1968』展を観た。

8月21日から1週間集中的に撮影された170枚のモノクロ写真の迫力に圧倒された。

会場では1968年のプラハに戻った錯覚に何度も陥った。

自動小銃を向けるソ連兵に対峙して直立不動で整列して国歌を歌う青年たち。

群衆に包囲される戦車とその上で顔を引きつらせる兵士、抗議する市民。

戦車にれんがを投げる老人の後ろ姿、戦車にペンキでナチスのかぎ十字の落書きをする男性、炎上する戦車、戦車を奪い旗をふる青年。道路に座り込む群衆の誇らしげな顔。

石畳をはがし投石を黙々と作るおじさん。

初めての経験だが、写真からは群衆の怒りの声や悲鳴や銃声が聞こえてきた。

文章では表現しきれない写真独自の力を感じさせられた。

一枚の写真が百万言に値する。

クーデルカの写真に共通するテーマは「人間の尊厳」だと気がついた。

「人間の尊厳」とは何か。

どんなに譲歩しても最後の最後で命に替えてもどうしても譲歩できないものではないか。

プラハ市民にとってはソ連軍による占領だった。

未曾有の大震災と原発事故といういまの私たちにとってはそれは何なのか。

展覧会とほぼ同じものが平凡社から『ジョセフ・クーデルカ プラハ侵攻 1968』として出版されている。

一見の価値ありと思う。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年7月号
コラム<二言三言>


職場闘争を強めよう(3)仲間をふやそう!


日常的に職場闘争を強めること、そのなかで組合の仲間をふやすこと、この二つが東部労組の各支部のおもな仕事である。

かつて大久保製壜では、支部の尽力で青年労働者27名による新労組を立ち上げ、その後の攻勢的なたたかいを準備した。

だからその直後、新労組の出現に恐怖した当時の社長は覚醒剤謀略事件を引き起こしたが、それを契機に21年9ヶ月にわたる大久保闘争の解決をかちとることができた。

デイベンロイでは組合を結成した後、ジャン荘や立ち飲み屋まで押しかけていくなど非組合員ととことんつきあって人間関係をつくった。

また営業所の非組合員と連絡をとり所長の使い込みを団交でバクロ追及して組合員を拡大した。

このような東部労組の組合員拡大の経験は広島電鉄の教訓と共通する。

その教訓とは、

①派手な闘争をやり、ただ闘争に勝っているだけでは組合の人数は増えない。職場のなかでだれをオルグするか焦点を決め一本釣りをやること、説得活動なしには組合加入はない。

②1回あたって、これはだめだなと腹を立てるようなら、初めからしないほうがいい。いったんねらいを定めたら、何年かかってもいいというぐらいの根性であたること。

③第二組合員は未組織労働者、経営側に組織された者とみて、そこからいかにして支部に獲得していくかが組織化運動だ。

④絶えざる組織化運動なくして労働条件の向上はない。

⑤会社の手先、御用組合幹部と非組合員や御用組合組合員を分けること、敵は一人でも少なく、味方は一人でも多く、などである。

日常の職場生活では、だれともあいさつする、陰日なたなく働く、社会的不正行為はしない、が大事だ。

結局は、労働組合の強さとは要求の実現力と組合員数に規定される。

労働組合は組合員の数だ。

執念をもって組合員拡大に取り組もう。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年6月号
コラム<二言三言>


反原発闘争のこれから


朝日新聞のコラム「生きていくあなたへ」で俳優の西田敏行さんが 「我慢強い人が多い福島ですけど、今度だけは、ね。東京電力や原発を進めてきた政治家たちに怒りの声を張り上げたい」 と言っている。

新聞紙上で聞く久々の当たり前の本音で、多くの人の共感を呼んだと思う。

これほど福島第一原発で東京電力と日本政府がやってきたことがひどいということだ。

これからの労働運動はこのような声とかたく連帯できる運動を作り上げなければならない。

福島第一原発はまだ予断を許さない状態が続いているにもかかわらず、「東京電力や原発を進めてきた政治家たち」はもう巻き返しを始めている。

損害賠償を電気代値上げに転嫁とか、「低放射能は有益」とか、自民党では原発推進会議を発足させるなど国民を愚弄するにもほどがある。私たちは絶対許さない。

ではどのような労働運動をつくるか。

第1は、すべての原発の廃止、エネルギー政策の転換に向けた、息の長い運動を作ること。

菅首相は浜岡原発の運転停止を要請したがそれでは当然不十分で、すべて原発の廃止が必要だ。

同時に原発開発が核兵器保有をめざす以上、反核運動との結合が必要だ。

第2は、高度成長・生産力至上主義をやめ、経済の「ゼロ成長」でも失業なく暮らせる社会をつくること。

当面は労働時間の抜本的短縮、ワークシェアリング、派遣法改正、最賃法改定等いままでの運動を強めることだ。

第3は、しかしそれらは資本家にお願いしてできるわけがない。

労働者が労働組合で要求し闘わないと実現できない。

労働者の利益を本当に守れる労働組合を多く強くしていこう。

第4は、反原発を闘った、労働情報や大阪集会での私たちの古い仲間である電産中国は1996年力尽きて解散した。

だから私たちはつぶされない労働組合と労働運動をめざさなければならない。

それには職場闘争に力を入れ、「少数派から多数派へ」をめざすことが必須条件だ。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年5月号
コラム<二言三言>


大震災・原発事故と労働組合


  3月11日、東日本を大地震と大津波、原発事故という未曾有の災害が襲った。

  この「3.11」という国民共通の経験から次のことを考えた。

  第1は、デタラメな「安全神話」に基づき原発を推進をした東京電力と政府資本家の責任だ。

  放射能の被害は将来にわたり計り知れない。

 徹底した追及が課題となる。

  第2は、原発大震災を契機にした労働者への攻撃だ。

  下請け労働者に劣悪な労働条件で危険過酷な労働を強制し放射能被害がでている。

  また被災労働者をはじめ解雇、労働条件引き下げ攻撃が相次いでいる。

  「便乗」攻撃も多い。

  東部労組の職場支部や労働相談でも多くなっている。

  基本は労働組合で対処し不当な攻撃を跳ね返すことだ。

  同時にそれらの闘いを通じて労働者・労働組合の力量を強め、労使の力関係を逆転しなければならない。

  第3は、原子力発電に対する労働組合のあり方だ。

  連合と東電労組などの電力総連は資本家に追随して、利権がらみで「原発推進」の立場をとっている。

  一方私たちの属する全労協、全国一般は「反原発・原発廃止」の立場を堅持した。

  この基本的立場の違いは重要だ。

  労使癒着の会社御用組合に対する批判なしには労働者の安全も健全な労働組合運動の発展もないことを示していると思う。

  しかし私たち自身反原発に積極的であったわけではない。

  その反省の上に反原発・脱原発の運動に力を入れよう。

  第4は、私たちが追求してきた「労働者の幸せ」、「豊かさ」とは何かということだ。

  明治維新以来、「富国強兵」が支配階級の国策であり、敗戦後も「強兵」は隠されたが「富国」を前面にその基本政策は続いた。

  私たちもこの「富国」、つまり生産力至上主義の枠内に絡め取られていた面があったのではないか。

  だからこそ反原発や環境問題など生産力至上主義に反対する闘いに腰の入った取り組みができなかったのではないか。

  「3.11」以前と以後で時代を画する、エネルギー政策の転換にとどまらない、社会と運動のあり方、生活の見直しという価値観・思想の転換が迫られていると思う。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年4月号
コラム<二言三言>


職場闘争を強めよう(2)組合の「要求」について

 労働組合は要求で団結する。

  その組合の「要求」については2つの大事なことがあると思う。

  第1は、組合「要求」を考えに考え、練りに練って作り上げること。

  組合結成時は通常、結成前からずっと不満に思ってきたことや労働基準法違反などから要求が見えやすく、それにそって要求は作られる。

  しかし申し入れ団交とそれによる所期の成果を獲得した後、組合要求を作ることが日常活動になる。

  その際、「要求」は支部でどれほど討議され決められているだろうか。

  十分討議されているだろうか。

  要求が慣例や惰性に流されていないだろうか。

  要求は自然に出てくるものではなく、たくさんある要求の中から考えに考え、練りに練って作り上げるもの。

 その時期、その段階における最も力を入れるべき要求はただ一つ、支部の置かれているその時点での状況(少数派か多数派かなど)や企業との関係(緊張関係にあるか安定期かなど)によって決まる。

  労働条件の向上だけでなく、支部の強化拡大に結びつけて重点要求を作り上げることが大事だ。

  少数派支部では職場での差別問題がポイント。

  職場には差別が必ずある。

  なぜなら経営者は差別なしに支配できないから。

  その差別をいかに公然たる不満・闘いに転化させるのか。

  そのためには自分の企業・職場を見直し、非組合員の話も聞き、調査・分析・検討して要求に練り上げる。

  第2は、「要求」の勝ち取り方の問題。

  要求に徹底的に固執すること。

  大鵬薬品労組では何年かかってもかちとるまで止めない。

  不当労働行為いじめの当人を追っかけ回し、謝罪させ徳島から追放するという。

  そういう要求に対する執念が私たちに十分あるか。

  そして要求獲得の決意を他の組合員に広げること。

  非組合員は組合の動きをよく見ている。

  大久保製壜の反差別の闘いや大鵬労組、広島電鉄など東部労組内外の先進的経験に学びたい。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年3月号
コラム<二言三言>


職場闘争を強めよう(1)組合結成申し入れ行動後の課題

 新しい支部を結成する契機は、ワンマン社長など会社の不当違法で一方的な仕打ちに我慢しきれず労働者が決起するというケースが多い。

  そして組合結成申し入れ行動で会社への日頃の不満を爆発させ、労働基準法違反を是正させ、労働組合を認めさせるところまではほぼ順調に進む。

 いままでの奴隷状態から人間回復のドラマは感動を呼び、英雄を産み出す。

  しかし本当の問題が始まるのはこれ以降だ。

  申し入れ行動など緒戦の勝利と一定の成果に甘んじて結果的には会社の次の攻撃が来るまで待つというケースが多い。

  そうなると、何年かの間に支部結成時の闘争意欲が減退し、会社の組合攻撃や不当労働行為を見過ごし、団結が弱まり、組合員が減少するという傾向になる。

  実際そうした事例は多い。

  ではどうすればよいのか。

  組合結成行動のあとは必ず一定の労使安定期を迎える。

  その時間をムダにせず、次の闘いを必死で準備することだ。

  まず第一に労働組合と経営の関係について正しい認識を確立すること。

  例えば前夜不安で眠れなかった組合員は申し入れ行動による要求獲得勝利に酔う。

  それはよい。

  しかしその勝利をもたらした要因が往々にして行動参加組合員や担当者個々人の評価に縮小され、労働組合組織が見えなくなる場合がある。

  そうであれば問題だ。

  すべての力の源泉は労働組合組織の強化にあること、労働組合に頼って生きることの大切さを繰り返し確認しよう。

  もう一つ例えば、会社の経営に関わることは「経営権」に属するので労働組合は手を出せないという思い込みは間違い。

  労働者の境遇に関わることはすべて団体交渉の議題になる。

  また「経営者が決めたことは変えられない」という「従業員根性」「雇われ者根性」「奴隷根性」は徹底的に捨て去ることが必要だ。

  次の闘いを準備する上で第二の大事は「新しい要求」を作ることだが、それは次回。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年2月号
コラム<二言三言>


『アリランの歌』



 人にはそれぞれ人生を変える転機となった出来事があるのではなかろうか。

  私にとって、ニム・ウェールズ著『アリランの歌-ある朝鮮人革命家の生涯-』(岩波文庫)との出会いがその一つだった。

  40数年前、20代前半に何の気なしに読み始めたこの本は衝撃だった。

  15歳の朝鮮人少年が日本の植民地支配のもとで朝鮮の三一独立運動で目覚め、活動の場を求めて鴨緑江を渡り、青年に成長する中で中国での広州コンミューン、海陸豊ソビエトなどの生死をかけた革命闘争の渦中での生々しい経験を積んでいく。何度かの逮捕、拷問、裏切り、病気、ラブロマンス。行く先は上海、北京、吉林、延辺など、そして延安にたどり着く。

  アドベンチャー・ドキュメントにしては敗北と悲劇が多すぎるが、闘争は勝利の日まで、敗北とそれによる犠牲という授業料を何度も払わざるを得ない。

  この本の背景に流れる主題は、闘争経験、とくに敗北の経験の総括に裏打ちされた闘う基本路線と戦術の確立が闘争にとっていかに必要不可欠かを示しているところにある。

  「私の人生は失敗の連続だった。しかし敗北を重ねてきてなお敗北せざる者のみ最後の勝利をかちとるのだ」、「ただ一つ重大なこと、それは大衆との階級的結びつきを確保すること」、「人はただ経験によって正しい判断を会得する。 ある行動方針を試してみるのは誤りをおかすためでなく、正しい道を見つけ出すための第一歩」などは今の私たちの日常活動でも学ぶところがあるのではないか。

  戦争が日常生活であった当時と今を単純に比較はできないが、反動の嵐がいかに吹き荒れようとも、強靱な精神と仲間との団結でそれを打ち破っていく様から学ぶことは多い。

  40数年後の再読に不安はあったが、「人はいかに生きるべきか」についてはまったく当時と同様の感動を得ることができた。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年1月号
コラム<二言三言>



岩国米軍基地行動に想う


 

 山口県の岩国米軍基地現地行動に全国一般労働組合本部を代表して、基地の現地調査、住民との交流会、米軍基地に向けたデモなどに参加した。

  同時に開かれた労働者反戦集会でおおむね次のような発言をした。


  私たちは日ごろ主に職場活動、争議、労働相談、組合づくりの活動を行っています。これらの活動は労働者にとってきわめて大事な活動です。

  今年の労働相談の件数は相談センター22年の歴史で最多の6千件前後になると予想されています。相談内容ではリーマンショック後、「解雇」案件が「賃金」を超え、先月「いじめ・パワハラ」の件数がその「解雇」を超えました。

労働相談の激増は経営者のやりたい放題と労働者の不幸を示すものですが、同時にそれだけではなく理不尽な経営者を許さず闘うという労働者の気概を示すものであり、それが私たちの希望でもあります。

  現在、全国の小中学校では経済的理由で給食費が払えない児童が増え、大学の内定率が低下し今までにない就職超氷河期を迎えています。 

  私たちは「小さく勝って、大きく負けるようなことがあってはならない」と、出身の東部労組ではよく言います。

「小さく」とは争議を含む組合の日常活動であり、「大きく」とは平和と戦争の問題です。個々の組合活動で勝利を続けても、日本全体が戦争になっては意味がないということです。労働条件の向上や権利の拡大など組合活動は平和という政治環境の確立の中ではじめて追求できるものだと思います。

  いま戦争への危機が差し迫っています。岩国米軍基地の強化や自衛隊の南西諸島防衛強化もその重大な一環を構成しています。世界恐慌押さえ込み政策の限界や日本の800兆円の借金は確実に「二番底」へ、そして戦争への道を歩ませずにはおきません。

  しかし私たちが「小さく勝って、大きく負けるようなことがあってはならない」と言うとき、「大きい」政治だけやっていればよいと言うことにはなりません。ましてや「小さい」ことだけに集中してよいわけがありません。

  必要なのは「大きい」政治や反戦闘争と「小さい」経済闘争、組合活動の結合です。

  ではその結合とは何でしょうか。

  それは「大きい」闘争と「小さい」闘争を通じて、労働者の力を強めること、つまり労働者の組織、労働者の利益を守る労働組合を強めることにほかなりません。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年12月号
コラム<二言三言>


菅民主党政権と「新成長戦略」



 本欄の昨年12月号『蓮舫にだまされるな!』で「民主党は国民生活破壊の新自由主義政策をただちにやめよ。 小泉ブームの再来はごめんだ」と訴えて1年が経った。

  その後民主党政権はどうなったか。もっとひどくなったというより変質したと言った方が正確だろう。

  菅民主党政権の露骨で大幅な右旋回に「開いた口がふさがらない」、「国民生活第一はどうなったのか」、「自民党政権とどこが違うのか」という怒りの声が渦巻いている。

  法人税率の引き下げ、消費増税、憲法審査会を始動させようとの改憲策動、普天間基地辺野古移転、武器輸出3原則の見直し、原発輸出、企業献金受け取り解禁、労働者派遣法改正の引き延ばし等々、自民党時代にも躊躇したことに着手し、実行している。

  最近では、多国間協定で包括的な「貿易障壁」の撤廃をめざす環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉への参加を狙っている。そんなことをすると食料自給率が今でもひどい40%からさらに14%に下がり、340万人の雇用が失われると農林水産省が試算しているほどだ。

  その根本に今年6月に閣議決定された「新成長戦略」がある。

それは鳩山連立政権時代とは様変わりして、日本経団連と経済産業省主導による「強い日本」をめざした日本経済の「国際競争力」強化を最優先に、そのためには雇用破壊、賃金引き下げなど労働者国民の生活をすべて犠牲にする戦略である。

  その結果が、会社員やパートの昨年の年収の前年比で23万円下落して下落幅は過去最大だ。また失業率が7ヶ月連続で5%台、生活保護9年連続で過去最多更新。

その一方での大企業の内部留保244兆円で1年間で11兆円の積み増しである。

  菅民主党政権の政策で共通しているのは大企業とアメリカの利益の確保と増大である。

菅政権はその両者の利益代理人だと言われても反論できないだろう。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年11月号
コラム<二言三言>



徳島ユニオン北野静雄さんに学ぶ

 北野静雄さんは、研究者として勤める四国徳島の大塚グループ大鵬薬品での新薬データ隠し事件を契機に労働組合を結成し、委員長になった。

考えられるあらゆる闘いを通じてついに発がん性疑惑の「ダニロン錠」の販売断念に追い込んだ。

現在は徳島ユニオン委員長、徳島全労協議長を務め、全港湾とともに労働相談ユニオンセンターで日夜労働相談・組織化に尽力している。

全国一般全国協にも加入し、私などは正直全国一般大会での余興でやったふろしき仮面の印象が一番強かった。

 その彼がこの4月、労働相談・組織化学習を目的に東部労組に「国内留学」した。

闘争経験が長く実績のある活動家が還暦を過ぎて他労組に勉強に来ることの大変さとそれを遙かに上回る情熱に私たちは感動した。

まるまる1週間過密スケジュールをこなして帰られたが、彼の謙虚さ、分け隔てのない態度などすがすがしい活動スタイルは私たちに強い影響を残した。

 もうひとつ学ぶ点は職場での闘いである。

大鵬薬品労組では、会社の執拗な組合つぶし攻撃に屈しない30年近くの奮闘を通じて組合員を8人から48人に増やした。

なぜ増やすことができたのか、北野さんはこの7月の全国一般活動家養成合宿の講演で次の8点を指摘した。

①会社からの気持ちの独立、
②非組合員からの相談も交渉議題にする、
③仕事においても信頼がある、
④ストライキを背景にしている、
⑤地域の組織化(地域共闘)、
⑥労働者・労働組合の社会的使命を自覚する、
⑦活動が楽しい、
⑧チェックオフ。

 会社と緊張関係のある職場で一人の組合員を増やすことがどんなに大変なことか、ほとんどの東部労組員には実感がある。「少数派から多数派へ」の学ぶべき優れた事例として参考にしたい。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年10月号
コラム<二言三言>

太田総理の辞任と正義の戦争

 

 テレビ番組「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」が8月末に最終回を迎え、爆笑問題の太田総理は辞任した。

4年半の長期政権だった。

 最終回のテーマは「正義の戦争はあるのか」だったが、出演者が自民党の石破茂、猪口邦子やタレントのテリー伊藤という顔ぶれで、突っ込んだ討論にはならなかった。

ただ芸人としては全然面白くないふかわりょうだが、「立場によって正義は違う」との異色の主張は少し光った。

 私たちは今まで多くの戦争を経験してきた。

昨年 11 月に本欄で論じた日清、日露戦争(NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』)、日中 15 年戦争、太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争等々数え上げればきりがない。

 「正義の戦争はあるのか」と問題を立てた場合、一番はっきりしているのは日中戦争における中国人民、ベトナム戦争におけるベトナム人民であろう。侵略占領してくる日本、アメリカに対する彼らの闘いは紛れもなく正義の戦争であったと断言できる。

 一方、日清、日露戦争などは侵略国同士による領土ぶんどり合戦といえるだろう。

 つまり侵略されても戦争という手段・方法(武装闘争)による組織的で強力な反抗がなければ、そもそも正義の戦争は形成されず、植民地支配が続くだけである。

換言すれば、「正義の戦争」とは「あるのかないのか」という問題ではなくて、侵略占領する敵に対して戦える主体が組織されているかどうか、侵略者に闘争をつぶされず、闘いを持続させ、最後に勝利できるかどうかの問題なのである。

 したがって現在のイラク、アフガニスタン戦争に対しても、アメリカの侵略に反対するのは当然として、正義の戦争を担える闘争主体の形成こそを課題にすべきであろう。

 少なくとも明確なのは私たちは侵略される国の民衆の側に立つということだ。(石)




全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年9月号
コラム<二言三言>

資本家の論理

 まず次の文章を読んでいただきたい。

 <仕事一筋できた父親、特に上場企業の役員クラスは、小さい頃から子どもを放ったらかしにしてきたことに負い目を感じている人が多い。だから、子どもが大学を卒業し、社会に巣立つ頃になると、「どこかいい就職先を世話してくれる人はいないか?」と俄然、子どもの面倒をみたいと思うようになる。子どもの就職がウィークポイントになるのだ。

 これを利用しない手はない。もし、そういう情報が入手できたら、就職の世話をしてやればいい。自分のところで引き取ってもいいし、どこか関係先を紹介してもいい。それで交渉がうまくいくなら、ビジネス上、これほど有益なことはない。

 仮に自社採用しても、生涯賃金が2億円ぐらいとして、それでその社員の親の会社から10億円の仕事がもらえるなら、これほど妙味のある投資はない。広告業界などでコネ入社が多いのもそのためだ。>

 これは評論家の文章ではない。東証一部上場のキヤノン電子の社長である酒巻久が、社内文書などでなく、今春出版した朝日新書に堂々かつ自慢たらしく書いていることである。

 驚くべきはその企業のトップが恥も外聞もなく、このように儲けるためには何でもやるという、企業倫理のかけらもない主張をしていることだ。コネ入社奨励、どら息子や御曹司の飼い殺しOK。入社させたときにすでに採算はとれているということだ。

 その酒巻社長の考えの元、キヤノン電子の秩父工場には社長室と応接室以外に椅子が無く、従業員は一日中、立ちっぱなしの状態を強いられ、腰痛を訴える従業員が後を絶たないという。また、廊下の歩行速度も制限があり、 5m の距離を 3.6 秒以内で歩かないと警告音が鳴るようになっている。

 スローガンは「急ごう、さもないと会社も地球も滅びてしまう」。つまり「滅び」ないための原則はただ一つ「もうけること」だ。そのためにはコネ入社でも労働者の酷使や使い捨てでも何でもやりますよということだ。労働者と労働組合が力を持たないと、こんな情けないことになるという見本だ。(石)

 

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年8月号
コラム<二言三言>



タイガーマスク三沢光晴の事故死と刑法35条

 プロレスラー三沢光晴( 2 代目タイガーマスク)が試合中事故で亡くなって早いものでもう 1 年になる。

命日の 6 月 13 日には、献花台が設置される中、ディファ有明で1周忌興行メモリアルマッチが挙行された。

さらに記念出版も相次ぎ、その死を惜しむ声は今も絶えない。

 三沢は1年前、広島での試合で急角度バックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥り、亡くなった。

「受け身の天才」と称される一方で、試合中のけがも多く、首や腰にいつも爆弾を抱えていた。

年内引退の意向を固め、実業家として第2の人生設計に着手していた矢先だったという。享年 46 。合掌。

 試合相手の斎藤選手がバックドロップをかけ、それによって三沢が死に至ったのは事実である。

しかしそれによって斎藤は刑事事件としての責任は問われない。

 なぜか。

その行為が「正当業務行為」だからである。

「正当業務行為」とは、形式的には犯罪類型としての構成要件に該当する行為のうち、法令上認められている行為や業務として正当と認められる行為をいう。

たとえば消防士が消火活動の為に建造物などを破壊する行為、医師が薬剤を投与したり外科手術をおこなう行為などが該当する。

 それに適用される刑法35条(刑事免責)は、私たち労働組合と組合員にも、「労働組合法」第1条で、「労働組合の団体交渉その他の行為であつて前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする」と宣言されている。

 正当な争議行為には刑事責任が科されないということだ。

争議の過程において、住居侵入罪(刑法 130 条)や威力業務妨害罪(同 234 条)などの構成要件に該当する行為があっても、刑法上の正当業務行為とみなされ(同 35 条)、違法性が阻却される(労組法 1 条 2 項)のである。

 だからといって何をやっても良いというわけではもちろんなく、その争議行為の「正当性」が常に問われることは言うまでもない。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年7月号
コラム<二言三言>



NHK スペシャル『タクシードライバーは眠れない』


  数年前、 NHK スペシャルで『タクシードライバーは眠れない~規制緩和・過酷な競争』というドキュメントが放映された。

当時見た方も多いのではないだろうか。

芸術祭賞を受賞した作品で、小泉元首相の構造改革による規制緩和のもと、給料の激減、タクシー料金値下げを長時間勤務でカバーするため営業車の違法自宅持ち帰りなどで苦悩する労働者を見事に描いていた。

 その中で今でも忘れられない場面がある。

それはタクシー会社11社を所有し、規制緩和で大阪タクシー戦争をしかけた大阪タクシー協会の薬師寺薫・最高顧問(関西中央グループ代表)がインタビューに答えて、自分のベンツ(普通のエンブレムマークのベンツでなく、 1920 年代のアルカポネ時代のマイバッハ)を誇示するところである。

 記者の「いくらですか」の質問に薬師寺社長は4本の指を示し、記者は 4000 万円ですかと息をのむ。

忘れられないのはその時言った薬師寺社長の言葉である。内装を入れると億を軽く超えるといわれるベンツを購入しても、彼は「従業員が反乱を起こさないから、認めてくれていると思う」と言い放つのである。

 規制緩和でタクシー労働者がむちゃくちゃな長時間、無権利、低賃金労働を強いられ、一方で経営者が大もうけをしていても、従業員が「反乱」を起こさないかぎり認めてくれていると、資本家は考えるのである。

 だから彼らに対する私たちの回答は「お願い」ではなく、闘争でしかありえない。職場における労働組合結成とその闘いでしかあり得ない。

「 " わが亡き後に洪水は来たれ! " これがすべての資本家および資本家国家のスローガンである。

それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」のである。

 したがって、労働法学者の道幸哲也さんがよく言う「労働者にとって最大のセーフティネットは労働組合」とは至言だと思う。(石) 

 

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年6月号
コラム<二言三言>



『資本論』を読もう!

 『資本論』は19世紀のドイツの革命家マルクスの主著である。

  『資本論』は大著であり、読み通すのが難しいばかりでなく、言葉遣いなどでとっかかりからつまずく場合が多い。

  それでもなぜ『資本論』を読もう!と勧めるのか。

  資本主義社会に生きている私たちは、資本家とは何か、労働者とは何かを理解しないとまともに生きていけない。

そしてそれは、賃金はなぜこんなに低いのか、なぜすぐクビを切られるのか、企業のトップはなぜワンマンなのか、ほとんどの上司はなぜ社長の顔色ばかりうかがうのか、なぜ社内で足の引っ張り合いがあるのか、それでも同僚とはなぜ仲間として団結できるのか、なぜ労働組合は労働者の利益を守る武器になるのか、といった問題につながっている。

  それらを深く理解するには、その基盤である制度、構造、システムとしての資本主義を客観的に、正しく認識することが欠かせない。マルクスが『資本論』で目指したのはそれだ。

  東部労組で新組合員が必ず受講する初級労働学校の第1科目「労働者と資本家」では、「生産手段を所有するのは資本家だ」「資本家の最高原則は利潤をあげること」「資本家の良識をあてにできない」ことを学ぶ。これは『資本論』と共通する真理である。

  では『資本論』をどこから手をつけるか。

  マルクスは友人あての手紙で、第1巻の「労働日」、「協業」、「分業とマニュファクチュア」、「機械と大工業」、「いわゆる本源的蓄積」を最初に読んだらいいとアドバイスしている。

これらは,『資本論』のなかでも歴史的事実を記述している個所なので、比較的とっつきやすいことと日本の現実と比べて読むことができるので参考になるのではないか。

  経験上言えることは、たくさん出ている解説書を読むより、マルクス自身の原文にあたった方が結局はよいというのが実感だ。

その点では同じマルクスの『賃労働と資本』は講演記録ということもあって読みやすいので、ここからはじめるのもよいだろう。  (石)



全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年5月号
コラム<二言三言>



茨木のり子


  私の好きな茨木のり子の詩をずいぶん前から何度かこの欄に紹介しようとしたが、躊躇してきた。

その理由は読みようによっては「自己責任論」に親和的とか、その甘さとかあるが、最大の理由は中学、高校の教科書によく載っているからだ。教科書に載るような作品なんて毒にも薬にならない傾向が強いと正直思っていた。

  だがその躊躇を蹴って紹介を決意したのは「四海波静(しかいなみしずか)」という彼女の次の詩だ。

「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込上げて/どす黒い笑い/吐血のように/噴きあげては/止り/また噴きあげる/三才の童子だって笑い出すだろう/文学研究果さねば/あばばばばとも言えないとしたら/四つの島/笑(えら)ぎに笑(えら)ぎて/どよもすか/三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア(以下略)」

  「その人」とは言うまでもなく昭和天皇で、1975年訪米から帰った直後の初の公式記者会見での発言そのままを引用している。

  アジアで二千万人を殺し、自国民にも多大な犠牲を強いた軍国日本の最高責任者の言葉がこれだ。戦争責任は「言葉のアヤ」かよ。

  当時、私もこの発言にあきれ、怒った記憶があるが、茨木のり子はこの報道の後すぐこの詩を発表していた。15歳で日米開戦、19歳で敗戦をむかえた彼女の憤怒が見える。どうだ、この詩は教科書に載せられるか。

  茨木のり子の詩では「わたしが一番きれいだったとき」「根府川の海」「自分の感受性くらい」「倚(よ)りかからず」などが有名だが、共通するすばらしさは何といってもそのいさぎよさだろう。

  それが今何度目かの茨木のり子ブームを生んでいるのだと思う。彼女の詩集がよく売れているという。

  だがその背後に強い反戦平和の意志のあることを見落とさないでほしい。(石)


全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年4月号
コラム<二言三言>

茨木のり子「四海波静」全文




「いつも心に硫酸を!」

 私が最近の国鉄東部集会、全港湾組織化合宿、労働者春闘集会、神戸春闘合宿の講演で強調し、また今月開かれる名古屋ふれあいユニオン集会でも話すつもりの重要なテーマは「いつも心に硫酸を!」である。この穏やかならざるスローガンを唱えるのはなぜか。

  貧困、格差がひどくなり、解雇、パワハラ、労働条件低下が蔓延し、労働者はますます生きづらくなっている。あらゆる統計、指標が調査開始以来の最悪状態を示している。

  その原因は「資本独裁」にあり、その結果ストライキなど労働者と労働組合の闘いが押さえ込まれている。だからその克服は現実の闘いの進展によってかちとるよりほかない。そこまではよい。問題なのは闘いの停滞が同時に労働組合の弱体化・劣化を深く進行させていることだ。集会であれ行動であれ、「予定調和」で、形式主義がわがもの顔で横行し、元気がない。労働組合は負け犬か。生き生きした闘いの反映もなければ、面白くもないことが多い。

  いま私たちに必要なのは、労働組合の原点、つまり労働者のナマの怒り、憎しみ、悔しさ、そして尊厳という労働運動の血と汗と涙の生きた魂を取り戻すことではないか。

  1822年のイギリスのゼネストで、労働組合は組合に加入しようとしなかった二人の労働者を裏切り者と見なし、顔に硫酸をかけ、視力を失わせた。日本では世界大恐慌まっただ中の1931年(昭和6)、520人の争議団をかかえ激烈な攻防戦を展開した武川ゴム争議で、組合活動家の鶴五三(つる・いつみ)らは阪神電鉄出屋敷駅において武川社長に硫酸を浴びせた。

  硫酸をかければ世の中が変わると主張しているのでないことは断るまでもないが、労働組合にもともと存在した生きるか死ぬかの攻防戦、真剣勝負の精神、退路なき戦い、労働者の熱き思いを、迫り来るむき出しの階級対立の時代に復活させることが、労働組合再生のカギになるのではないか。(石)

全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年3月号
コラム<二言三言>



鶴 五三講演「戦前の中小企業における労働運動について」



小沢疑惑と労働者の立場

 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は1月15日、元秘書の石川議員を含む3名を逮捕し、23日に小沢幹事長を任意で被疑者聴取した。

  今回の事件をどう見るのか。

  「検察をトップとする官僚機構と、国民の代表である民主党政権との全面的な戦争」「検察ファッショによる小沢つぶし」「日本の民主主義の破壊」との見方が労働組合関係者の一部にも強く存在する。果たしてそうか。

  土地購入の原資がゼネコンからの裏献金ではないか、が今回の疑惑の焦点である。公共事業の発注に「天の声」を行使した“見返り”にゼネコン・マネーが小沢側に流れ込み、土地購入の原資になったのではということだ。

  それに伴う疑惑が多く出てきた。「小沢ダム」と呼ばれる「胆沢ダム」の下請け工事を受注した重機土木大手「水谷建設」の元幹部が東京全日空ホテルで、小沢側に紙袋に入れた現金1億円を5000万円ずつ2回にわたって渡した、という同建設関係者の証言。土地代金の原資についての小沢側の説明も、政治資金→銀行からの融資→自宅の個人資金→個人事務所保管の資金と二転三転、四転した。胆沢ダムの工事で水谷建設が高い工事比率で下請け受注していることも判明した。

  世論調査で内閣支持率が発足以来不支持が支持を上回ったのも当然である。

  疑惑から浮かび上がる基本構造は、鹿島建設の談合担当者とのパイプを背景に建設業者に献金を要求し、談合と献金がセットの「土建政治構造」を造りあげ、同時に、建設業者を動員した土建選挙で、小沢系知事や国会議員を次々と当選させるという金権腐敗政治のシステムだ。問われているのは日本の政治体質である。

  「検察対小沢」などの権力内部の矛盾は常に存在するものであり、内紛を理由にその一方に加担することを正当化できるものでない。いま必要なのは、小沢疑惑の徹底的な解明であり、それによる金権腐敗政治の壊滅と民主政治の回復であり、権力内部の手打ちで適当な幕引きを許さないことである。(石)

<二言三言>2010年2月号







地球の歴史

 宇宙は今から137億年前に誕生、地球は46億年前にできたといわれている。

  地球ができてから現在までを1年に例えるという方法が良く使われる。つまり、地球ができたのを1月1日の午前0時とし、現在を次の年の1月1日午前0時として、46億年を1年間に置き換えるという考え方だ。

  それにならって地球の歴史を見ると、1月12日、原始地球に天体が衝突し、地球と月が分離、2月25日(39億年前)、原始生命が誕生、それから随分経った11月20日(5億年前)になって魚類の出現、11月28日に植物が陸上へ、29日に魚類から両生類が分かれて陸へ上がる。3億年前の12月13日、恐竜時代が始まり、1億年前の25日には恐竜が全盛期を謳歌するが、翌日に巨大隕石が地球に激突して恐竜は絶滅し、恐竜の天下は半月で終わった。

  12月29日、類人猿の祖先となる狭鼻猿が登場、12月31日午前10時(700万年前)、類人猿から分かれた最初の猿人であるトゥーマイ猿人が誕生、午後3時39分(440万年前)、直立二足歩行をはじめ、その後石器と火を使い始めるが、午後8時すぎ(175万年前)から氷河時代に入る。

  午後11時37分(20万年前)になって現生人類が誕生、午後11時58分52秒 (1万年前)農耕牧畜が始まり、59分56秒にルネッサンス、59分58秒に産業革命
と続き、午後11時59分59秒に20世紀が始まる。

  つまり地球の歴史において、人類は翌年の元旦を迎えようとする大晦日のぎりぎりの深夜にやっと登場した新顔に過ぎない。

  地球の46億年間に及ぶ営みによって蓄積してきたエネルギー、生物、土壌、地下水を「湯水のごとく」乱獲・乱使用し、地球温暖化、大気汚染など環境問題を引き起こし、食糧危機と10億人を超える飢餓人口を生み出している地球破壊の元凶が現代資本主義にほかならない。年頭にあたり地球・自然と人間の関係を考えたい。(石)

2010年1月号<二言三言>


蓮舫にだまされるな!


 来年度予算要求の無駄を洗い出す目的ではじまった行政刷新会議の「事業仕分け」は、概算要求から約7400億円が削減可能とされ、「仕分け効果」は総額で約1兆6千億円になった。

  鳩山首相は「国民のみなさんに予算が見える形になった。やってよかった」と語り、来春にも再び事業仕分けを実施する意向という。

  ロック歌手の内田裕也も傍聴した。傍聴人は増え続け、会場前に列を作り、全国民の熱い注目を集め、さながら劇場と化した。官僚をやっつける蓮舫を見て支持率も上がった。興行としては大成功だ。

  しかし「やっぱり民主党政権になってよかった」と喜んでばかりいてよいのか。

  選挙前、民主党は事業仕分けで、207兆円の国家予算の1割の20兆円を随意契約や官製談合、天下り法人に流れている補助金を削るなど官僚の無駄の排除を課題にしていた。しかし実際に仕分けが始まると、財務省の主導によって、小泉「構造改革」を推進してきた「仕分け人」を使って、赤字バス補助金や離島航路補助金、農道整備事業、医療や保育の社会保障事業や地方交付税交付金、教育開発予算など国民生活関連が削減対象になった。昔から悪事は「正論」のもとに実行される。まさに新自由主義政治の復活だ。

  蓮舫も枝野幸男も財務官僚の書いた政治ショーの役者にすぎない。

  無駄の削減をいうなら、なぜまず軍事費が対象にならないのか。広報や自衛隊員の募集事業などでお茶を濁し、海外派兵の予算は自公政権当時の概算要求と同額のまま、米軍への「思いやり予算」でも、財務省がずっと主張していた基地労働者の賃金だけが対象で、米軍経費の巨額負担はそのままである。民主党は国民生活破壊の新自由主義政策をただちにやめよ。小泉ブームの再来はごめんだ。 (石)

2009年12月号<二言三言>



NHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』


 NHKは今月29日から3年にわたり、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を原作としたスペシャルドラマを放映する。すでにキャンペーンがはられ、一大ブームになる勢いだ。

  『坂の上の雲』は日露戦争での騎兵少将秋山好古、海軍参謀真之兄弟の活躍を軸にした英雄物語であるが、同時に同郷の俳人・正岡子規を配した青春物語の要素を加味している。

  しかしドラマを面白がっているわけにはいかない。『坂の上の雲』は私たちが近代日本の経験から何を遺産として受け継ぐべきかを極めてゆがめて提示している。

  司馬は、朝鮮半島をロシアなどが支配したら日本の安全は保てない、しかも朝鮮には自主的に自分の国を守る力がない、だから日本が朝鮮の「独立」のためにたたかうのだ、日露戦争は「祖国防衛戦争」だった、日露戦争のあと日本はおかしくなった、本来の日本の正常な姿は日露戦争前の明治時代にあった、とくりかえし述べている。

  しかしこれらの司馬の主張は科学的根拠をもたない見解と断定せざるを得ない。

  すでに歴史的事実と研究は次のことを立証している。すなわち日清・日露戦争が日本の帝国主義自立に向けた「資本の本源的蓄積」のための植民地獲得侵略戦争であったこと、朝鮮独立のためとか「祖国防衛戦争」とかは当時、日本政府が内外に公言した戦争目的と同じことを言っているに過ぎないこと、近代日本を形成した骨格としての植民地支配の史実、とくに朝鮮王宮占領事件、朝鮮農民軍の蜂起と日本軍の皆殺し作戦、朝鮮王妃殺害事件などを隠蔽することには作品として致命的欠陥であること、そして征韓論以来の植民地獲得、「富国強兵」帝国主義路線が1945年の日本の敗北に行き着いたのであって、「明治の日本はよかったが日露戦争後おかしくなった」のではないこと、である。

  「他民族を抑圧する民族は自由ではありえない」ことを思い起こし、NHKドラマ『坂の上の雲』に警鐘を乱打しないわけにはいかない。(石)

2009年11月号<二言三言>



歌の力


 この夏、全国一般の古くからの友人の長男が19歳の若さで交通事故のため死亡した。

奥さんは以前、東部労組の組合員だった。通夜に参列したが、同級生なのか同じ年頃の若者が大勢来ていた。私も子を持つ身として、その悲しみに両親にかける言葉はなかった。

  通夜の間中、頭の中で、ある歌がくりかえし浮かんで、渦巻いた。

「あるほどの菊投げ入れよ棺(かん)の中」。

  夏目漱石が愛してやまなかったといわれる大塚楠緒子が36歳で急逝したときの有名な追悼句である。

  詩歌の持つ力は、人間の「感情」においては百万言の理論をはるかに凌駕する場合がある。

  「天狗争乱」や「長英逃亡」などで著名な歴史小説家、吉村昭の句集を最近読んだ。次の句が印象に残った。

貫きしことに悔いなし鰯雲

意地はりて生きてきにきり燗熱し

癌という友に短き賀状書く

喪が明けてなすこともなく障子貼る

眼を閉じて風に吹かれる寒雀

  また随分昔の私のノートを見返していたら、次の読み人知らずの「悲しい」川柳を書き写していた。

「無理させて 無理をするなと 無理を言う」

「リゲインの力信じてまた残業」

「過労死の ニュースの時だけ 妻やさし」

「売り上げで 人格決まる 我が会社」

「日曜日 有給使って 休みたい」(石)


2009年10月号<二言三言>


労働相談から社会を見る


 昨年9月のリーマンショック以来の世界同時不況は日本の労働者を直撃し、労働と生活を劇的に様変わりさせている。それは労働相談にも反映している。

  その変化の特徴を今年上半期(1月~6月)の労働相談を基軸にして見てみよう。

  まず何よりも相談件数が増えたことである。相談総数は前年同期比で500件ほど増えて2600件に達した。年間では1000件ほど増えると思われる。とりわけ3月が519件、6月が525件とそれぞれ発足以来過去最高を記録した。

  第2は、3年連続の現象だが、メールより電話相談が多くなったことである。今回が一番比率が高かった。電話相談の増大はメールでは対応できない問題の緊急性と複雑性と切実さという相談の質の変化を示すものと言える。

  第3の特徴は、これまでの20年間、相談の1位は「賃金」、2位は「解雇」と不動の地位を保ってきたが、昨年11月以降、その順位が逆転して現在に至るも変わっていないことである。「賃金」はたしかに労働者にとって労働条件改悪の基本問題であるが、「解雇」は労働者と家族の生活基盤を根底から突き崩す大攻撃であり、「賃金」とは質の違う重要性を持っている。

  第4は、正社員からの相談が増加していることである。昨年の58%が今年上半期では67%と10ポイントほど増えている。いよいよ非正規労働者「切り」から「本丸」正社員を中心とした労働者全体に攻撃が広がったように見える。

  完全失業率が最悪の5.7%(7月統計)、企業内余剰人員は600万人といわれる職場はパワハラ、セクハラ、過労死、無権利の長時間労働が蔓延し、労働者の悲鳴が後を絶たない。

  そこでどうするのか。労働者は労働組合・ユニオンへの加入・結成で人間としての尊厳を取り戻すため立ち上がろうとくりかえし呼びかける他はない。(石)

2009年9月号<二言三言>



ノーベル物理学賞益川敏英と唯物弁証法


 昨年のノーベル物理学賞の受賞者の一人に益川敏英氏がいる。

  素粒子物理学での彼の師匠は坂田昌一だ。坂田はクォークすらも階層のひとつに過ぎず、さらにその下部構造が無限に存在するという「無限階層論」を提唱した。益川は坂田の研究がノーベル賞受賞の背景にあると話している。

  その坂田は、帝国主義と植民地主義に反対するアジア、アフリカ、ラテンアメリカの科学者が結集した1964年の北京科学シンポジウムに日本代表団長として出席。毛沢東と直接対面。そのとき毛沢東が坂田の素粒子論文をすでに読んでいて非常に高く評価したことやその無限に続く構造としての素粒子に「層子という名前がよい」と毛が提案したことなど有名なエピソードが残っている。

  その坂田の弟子である益川は「素粒子が、さまざまな性質、特徴、法則性をもっているのは、その背後にそれらの担い手の物質が必ず存在するに違いない」、そこには「『電子といえどもくみつくせない』という物質の無限の階層性と認識の相対性を指摘したエンゲルスやレーニンと同様の唯物弁証法の物の見方がつらぬかれています」、「私にとって弁証法的唯物論は予測を立て、自分の世界観をつくる上で重要でした」と述べている。

  益川氏のノーベル物理学賞受賞は坂田昌一から続く自然科学での弁証法的唯物論の勝利を示すものといえる。それはまた、帝国主義に毒された悪魔の道具としての西欧の科学、浅薄な経験主義と卑俗な実用主義を排し、新しい方法論を追求した坂田の道を追うものであった。弁証法的唯物論の有効性は自然科学、社会科学、さらには労働組合運動の実践と総括にも貫くものといえる。

  また「専門外の社会的問題も考えなければいい科学者になれない」という益川の『九条の会』など反戦平和運動にも注目しなければならない。(石)

2009年8月号<二言三言>




広島電鉄の労働組合「少数派から多数派へ」

 

 広島電鉄の労働組合は、今春闘での契約社員全員の完全正社員化実現や路面電車を守る闘いの成功でマスコミでも有名になった。

  しかしこの組合(私鉄総連広電支部)の真骨頂は組合分裂攻撃を受けていったん少数派になったが、その後の幾多の闘いと活動によって26年かけて多数派になり、ついには第二組合を吸収合併したところにある。

  東部労組各支部では少数派が多く、日々多数派をめざして闘っているが、広電の闘いは大いに参考になると思う。最近、恰好の本が出版された。河西宏祐著「路面電車を守った労働組合-私鉄広電支部・小原保行と労働者群像」(平原社2009年5月発行)である。比較的読みやすくまとめられているのでぜひ直接本を読んでいただきたいが、感心したところを紹介したい。

  圧倒的少数派からの脱却は、反差別や労基法違反の小さな闘いで成果を積み上げていくこと、人事考課など会社側の査定を排除しできるだけ客観基準を導入すること、「ゼロの闘い」と称して短期決戦でなく数年がかりで要求をかちとること、労働委員会、裁判など「他力」闘争に依存せず、職場闘争、ストライキなど「自力」闘争に依拠すること、闘争の勝利がそのまま組織拡大になるわけでなく独自のオルグ「説得」活動で組合員を獲得することなど、それぞれユニークで粘り強い闘いで達成されていった。

  また労働組合の団結力が「学習・集会・行動」「闘争資金」「青年・女性部」「共済」「政治力」にあること、さらに三井三池闘争の敗北の原因が職制労働者の敵視対策にあったとの判断に基づく「敵は最小に、味方は最大に」の職制労働者獲得対策の確立、動員手当はけっして出さないことなど広電支部から学ぶ点は多い。(石)
 

2009年7月号<二言三言>

戦前の労働運動家、鶴五三さんに学ぶ


 今から50年以上前になる1956年、その後の中小企業労働運動発展の基礎を作った総評の中小企業中央オルグ講習会が鎌倉建長寺で開かれ、戦前の労働運動活動家である鶴五三(つる・いつみ)さんが講演を行った。

  その講演録は今読み返しても学ぶ点が多いことに驚く。たとえば次のようなことだ。

「生活が苦しい、いじめられ、しゃくにさわるから、おやじ(社長)をやっつけろということで立ち上る。つまり労働の苦痛から運動が生まれて参ります。このことを忘れてはならない。従って労働の苦痛というものを忘れた、生活というものに密着しない運動であってはならない」

「一番大事なことは個々面接、労働者の個人個人に会いまして、よく話を聞き、よく話をするということが運動の第一歩であります」

「労働者というものは賃上げのためにのみ団結するのではございません。労働者が団結をしますのは賃金を良くしようという生活上の問題とともに職場の中の圧迫というものを、もう少し自由な空気にしたい。おやじに文句を言えるような職場を作りたい。だから湯飲み場を作ってくれないということがストライキの原因になり得る」

「柔軟な戦術と高い理想・愛情が必要である。感激が必要である。その熱情をもってそれに当ることであります。中小企業の組織化には同志的な結合を必要といたします」

  戦前の労働運動は、別子銅山ストでの竹槍、焼け火ばし、まき割りの衝突による死者とか、鶴さん自身がかかわった武川ゴム争議(1931年)でのお寺籠城、デモ禁止・資金集めの行商禁止の弾圧に対し、社長に硫酸を浴びせるなど激烈な闘いが展開されたが、中小企業労働運動に脈打つ闘う労働者魂は昔も今も変わらない。

  困難な条件の下、負けても負けても敢然と闘い続けた戦前の労働組合運動に学ぼう。

  講演録の全文は全国一般ホームページの「ライブラリー」で読むことができます。(石)

                                               2009年6月号<二言三言>

デイベンロイでの田中元取締役の労働組合破壊策動

 デイベンロイ労組支部執行委員会は4月8日、「田中元取締役はいい加減に恥を知れ!!」との決議を決定し、その文書を全社に配布した。

  「デイベンロイの田中」と言ってももう知らない組合員の方が多いと思うが、彼はかつて東部労組と支部の役員経験者であったが、組合の反対を押し切ってデイベンロイの取締役に就任した人間である。その田中が今春突然、デイベンロイでニセ「労働組合」をでっち上げ、支部に敵対し、春闘に対する分裂行為を繰り返している。

  それに対し決議は、経営陣の内紛と支部の正当な追及に追い詰められた田中が自らの延命のため、そしてデイベンロイの支配権獲得をめざして、ニセ「労働組合」をでっち上げたと暴露した。また支部批判を「ヤミ専従」問題に集中しているため、組合専従問題を歴史的社会的に分析して、田中のヤミ専従攻撃のデタラメさを完膚(かんぷ)なきまでに粉砕した。

  田中は取締役の時は会社側団交要員として労働条件引き下げに尽力し、いったん「パート」になるや労働者の味方づらをしようとしている。その時その時で態度を変えているように見えるが、しかし実は彼自身の利益だけを追求する点では一貫しているのだ。

  その後、支部はこの決議を組合掲示板に掲載した。その直後から誰か分からないが、この文書を人のいないすきを狙ってこそこそはがしている奴がいる。それも一度ならず何回も執ように張り直す度にはがしている。正面から決議に反論できない卑劣で哀れな、笑うべき行為である。しかし逆にいうとそれだけ掲示する効果があるということだ。この文書に反論できない犯人の「もう止めてくれ」という悲鳴が聞こえてくる。この文書による犯罪性の暴露、支部の主張の正当性と強い説得力、労働者の共感の拡大、それらによる自らの孤立に対する恐怖が居ても立ってもおれなくなり、文書はがしに走ったのである。犯人も文書に対する反論が出来ないまま「ヤミ専従」と口汚くののしるだけでは何の説得力もないことをよく知っているのだ。

  田中問題はデイベンロイに限られたことではなく、東部労組と全支部で起こりうる、共通する問題だ。労働学校で学んだ「労働者と資本家」の厳格な違いを曖昧にし、資本家に幻想を持つとどこまでも堕落していく。各支部の階級観点強化の生きた教科書として、この決議の全文をぜひ読んで学んでほしい。(石)


<二言三言>2009年5月号

 

槇村浩「間島パルチザンの歌」



  君は槇村浩(まきむらひろし)を知っているか。たぶんほとんどの方がご存じないと思う。

  槇村浩は戦前の高知県で闘ったプロレタリア詩人で、「全協」の活動家でもあった。全協とは日本労働組合全国協議会の略称、戦前の左翼組合が総結集をはかったもので、1932年の東京地下鉄スト (モグラ争議)が有名である。

  槇村浩の詩では「明日はメーデー」も捨てがたいが、「間島パルチザンの歌」が代表作だ。

  それは、「思い出はおれを故郷へ運ぶ/白頭の嶺を越え、落葉(から)松の林を越え/蘆の根の黒く凍る沼のかなた/赭(あか)ちゃけた地肌に黝(くろ)ずんだ小舎の続くところ/高麗雉子(こうらいきじ)が谷に啼く咸鏡の村よ」との出だしではじまる長編詩。

  3.1独立闘争の渦中で父母を殺され姉を奪われた朝鮮の一少年が、「氷塊が河床に砕ける早春の豆満江を渡り/国境を越えてはや十三年/苦い闘争と試練の時期を/おれは長白の平原で過ごした」。25歳の朝鮮人パルチザン(遊撃隊)に育ち、中国の間島地域(現在の吉林省東部の延辺朝鮮族自治州一帯)でゲリラ闘争を繰り広げた。

  「おれたちはいくたびか敗けはした/銃剣と馬蹄はおれたちを蹴散らしもした/だが/密林に潜んだ十人は百人となって現はれなんだか!/十里退却したおれたちは、今度は二十里の前進をせなんだか!」

  そしてこの壮大な叙事詩は最後に次のように締められている。「いま長白の嶺を越えて/革命の進軍歌を全世界に響かせる/-海 隔てつわれら腕(かいな)結びゆく/-いざ戦はんいざ、奮い立ていざ/-あゝインターナショナルわれらがもの・・・・・・」

  1931年、槇村浩、19歳の作品である。戦闘性と叙情性がみごとに結合した詩で、闘う労働者を励まさずにはおかない。私の愛唱してやまない詩のひとつである。その7年後権力の弾圧で亡くなった。インターネットで検索できるのでぜひ全文を読んでみてほしい。(石)

槇村浩「間島パルチザンの歌」全文

                                          <二言三言>2009年4月号

「搾取」と「収奪」

 一昔前までは、「労働者」「資本家」とか「大衆闘争」「階級闘争」とか言うと、労働運動関係者の間でも白い目で見られたものである。とくにソ連の崩壊とそれに伴う「マルクス主義は解体した」との論調の延長線上にその傾向は強まった。

  しかしこの30年に及ぶサッチャー、レーガン、小泉など新自由主義の横行とその破綻、被害の歴然たる実情と世界大恐慌の進行は否が応でも社会を科学的に分析する必要性を多くの労働者に強く自覚させずにおかなかった。

  だがそうは言っても現在、社会科学上の認識や概念が混乱を来しているのも事実である。たとえば労働者・労働組合にとって最も基本的な概念である「搾取」という言葉をめぐっても二重の誤解があると思われる。

  第一は、強制労働や違法労働、ピンハネのひどいものだけを特定して「搾取」と称する風潮である。しかし社会科学の認識では「搾取」はあらゆる資本主義の労働過程で生み出され、賃金労働には発生する必然性がある。つまり、暴力・強制・違法性などと直接の関係はなく、どんな資本家でも労働者を搾取し、労働者は例外なく搾取される。

  第二は、「搾取」と「収奪」の混同である。資本家のひどさを表現するには問題ないが、社会科学の概念としては「搾取」と「収奪」は厳密に峻別されなければならない。「搾取」とは資本家が行う商品の生産過程における労働力の使用によるもうけ(剰余価値)の取得であり、必ず労働者の「労働」を媒介する。形としては賃金である。一方、「収奪」とは双方の力関係によって他人の物を奪い取ることであり、そこでは「労働」を媒介としない。形としては土地の取り上げや大衆収奪の典型としての消費税などである。

  「理論もそれが大衆をつかむやいなや物質的な力となる」──社会科学を学び、労働組合員としての共通認識を強め、闘うエネルギーに変えよう。(石)

                                    <二言三言>2009年3月号

ストライキ件数

 日本の戦前戦後を通じてのストライキ件数を、厚生労働省の「争議行為を伴う争議」と「行為参加人員」の統計で見た。それによると戦前を通してストライキ件数と参加者のピークは盧溝橋事件で日本が中国に全面戦争をしかけた1937年の626件、12万余人である。その後国民総動員法が成立し、軍国主義の締め付けがひどくなる1939年でも7万人を超える私たちの先輩労働者がストライキに決起している。

  戦後は一転して、毎年何百万人のストライキ参加者の時期が続き、1974年には530万人を超えるというピークを迎えた。しかしその後は急激な下降線をたどり、最近の2005年はついにスト参加者2万人強と1939年の三分の一以下(!)の数字になってしまった。

  「治安維持法が支配する軍国主義で労働者が何もできない暗黒の戦前」と「民主主義の、労働者が何でもできる明るい戦後」ではなかったのか。

  なぜこうなってしまったのか。今の日本の労働者にはストライキをするほどの不満がないのか。そんなことはない。それではなぜストライキにならないのか。

  職場の隅々まで網の目にがんじがらめに会社の支配が行き渡って労働者はばらばらに個別分断されている。「名ばかり労働組合」がその企業支配を補完している。まさに「資本独裁」の労働者閉塞社会というほかない。とくに大企業においては戦前と比較にならないほどの資本の労働者管理の徹底、ストライキを打てない社会にされてしまっているのではないのか。

  ストライキは民主主義社会の最重要の指標である。労働者が頻繁に自由にストを打てることが正常で健全な社会の印である。

  大企業、中小企業を問わず不満を持ち、決起しようとする労働者であれば個人ないし少数であっても、その闘いを支援し共に闘うことからはじめよう。

  09春闘をストライキで闘おう。労働者がストライキを自由に打てる社会にもどそう。(石)

                                     <二言三言>2009年2月号

「名ばかり労働組合」

この10月に、「『名ばかり店長』『名ばかり労働組合』じゃたまらない-過労死・労災の実態と闘い」というブックレットを出版した。

  佐高信、五十嵐仁、雨宮処凜さんとすかいらーく過労死遺族中島晴香さん、「過労死をなくそう!龍基金」スタッフの共著である。その中で私も「どんな労働組合でも、いいわけではない」との一文を書き、UIゼンセン同盟の労資ゆ着、闘う労働組合への組織介入を批判した。

  おかげさまで評判はよく販売も順調に伸びているとのことである。

  それから半月ほど後の10月30日、連合は09春闘中央討論集会を開いた。

  あいさつに立った高木剛会長は、なんと「われわれは名ばかり労働組合ではない、名実ともに運動できる労働組合であることを社会に認識してもらう闘いをしていきたい」と話したということである。

  光栄というほかない。まだ「名ばかり労働組合」がそれほど社会問題化していない時期に、高木会長がこのようにすばやく反応してくれたことに感謝したい。神経質なほど敏感で、異常ともいえる「名ばかり労働組合」否定は、彼がゼンセン同盟の元会長という事情もからんで、それなりの自覚があるからであろう。

  しかし今ますます強まる世界同時不況の大波によるトヨタ、ソニーなど派遣切り・正社員切りの大失業時代の到来は、すべての労働組合にその真価を問わずにおかない。いままで大企業は、退職金の大幅上乗せという「札束で顔をひっぱたく」手法で正社員の解雇を乗り切ってきた。しかしそのようなやり方がいつまでも通用するものではない。

  企業の大量解雇攻撃に真っ正面から闘い、本当に労働者の雇用を確保できるのか。それをやりきってはじめて「名ばかり労働組合」ではないと胸を張れるのではないか。(石)

                                     <二言三言>2008年12月号

前航空幕僚長の田母神を懲戒処分せよ!


  航空自衛隊トップの田母神俊雄航空幕僚長が「日本が侵略国家だったとはぬれぎぬだ」などと主張する論文を民間企業の懸賞論文で発表したことが10月末、分かり、あわてた政府防衛省は、更迭するとともに、異例の定年退職とする人事を行い、事件のもみ消しを図った。

  田母神とは今年4月、イラクでの自衛隊の活動を違憲と断罪した名古屋高裁判決に「そんなの関係ねえ」と暴言をはいた、ふざけた男だ。

  今回の論文にしても、歴史事実を真摯に精査して結論を導き出しているわけではない。そんなことはそもそも彼には関心がないし、それこそ関係ないのだ。結論は最初からある。彼にとって、「日本というのは古い歴史と優れた伝統を持つ素晴らしい国」「我が国の歴史について誇りを持たなければならない」という信条からは、「我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」という結論以外ありえないのである。その結論に合わせてもっともらしく都合のよい片言隻語をかき集めたにすぎない。できの悪い稚拙な文章だ。だから右も左も問わずまともな歴史学者は全員彼の主張を否定する。戦後蓄積した歴史的事実に基づく真実を何ら踏まえていないからである。

  しかし彼をバカにしただけでは終わらない。彼のやったことは、明らかに確信犯としてのクーデター行動というべきものである。植民地支配と侵略に反省を示した村山談話、集団的自衛権の憲法違反など政府方針への反対、公務員の憲法尊重擁護義務への挑戦、文民統制の否定など憲法改悪への突破口をめざしている。

だから彼の主張を徹底的にたたいて社会的に粉砕すべきだ。同時に、任命責任を追及するとともに、政府防衛省に田母神を懲戒処分させ、退職金6000万円を返還させようではないか。(石)

                                  <二言三言>2008年11月号

初級労働学校

 東部労組では新しく支部を結成すると、支部組合員を対象に初級労働学校を必ず開催する。今回は私一人で新支部の初級労校の全教程5回の講師をほぼ週一度のペースで務めた。

  授業テーマは情況と対象者で違いは出るが、労働者の考え方の基本として「階級観点」と「大衆路線」は欠かさない。

  第一の柱は「資本家と労働者」。資本家と労働者はどこが違うのか。他人の労働でもうけるのが資本家、身一つで働き他人の労働でもうけないのが労働者、生産手段を持っているのが資本家、持っていないのが労働者。つまり資本家と労働者は「メシの食い方が違う」のだから「労働者と資本家も同じ人間だ」論は誤りである。したがって結論は「資本家にいっさい幻想を持たない」。この勉強は組合公然化の後、会社の不当労働行為・組合つぶし攻撃に直面する組合員にとって極めて大きい実践的意義を持つ。アメとムチ。「泣いて謝る社長、土下座する社長」に思想的に勝たねばならない。

第二の柱は「大衆路線」。大衆路線とは大衆闘争をやればよいということではない。労働者の「ものの見方、考え方」である。歴史を動かすのは誰か、搾取と抑圧がある以上労働者は必ず立ち上がるということだ。これによって個人の組合引き回し、ボス交主義と代行主義に反対する。その実践方法は「みんなで討議、みんなで決定、みんなで行動」。

  今回の労校では、支部組合員の生い立ち、会社に一番アタマに来ていること、不安なことなど「自己紹介」を新たに組み込んだ。これは盛り上がった。支部組合員自身が自覚を強める点でも、私たちが彼らをよく知る点でも意義は大きかった。

  労校を1回やったからそれで卒業とはならない。繰り返しやる事で身についていく。ちょっとやそっとでブレない組合員に育っていく。しばらくやってない支部は初心にかえって労働学校に取り組んでみてはどうだろうか。(石)

                                      <二言三言>2008年10月号

大久保製壜闘争の精神を引き継ぐ

 大久保製壜支部の杉田さん、羽野さん、鈴木銀一郎さん、石井菊枝さんが相次いで最近退職された。それで8月29日、慰労会が開かれた。

  多くの関係者が思い出を語り、現状を報告しあい、闘う決意を語った。闘う仲間同士としての気持ちが通い合う久々にいい集会だった。

  大久保製壜闘争はずっと東部労組の中心を担う闘いであった。21年9ヶ月の闘いで争議の全面解決をかちとった。組合員と支援者の血と汗と涙があった。障害者差別があり、千葉さんの不当解雇があり、新労組の結成があり、覚醒剤謀略事件があった。その度に支援連、支援共の集会・路地裏デモが取り組まれた。

  往時の青年がみな中高年になった。当事者の支部と支援の一人ひとりが「わが青春の大久保製壜闘争」という「物語」を持っている。

  大久保製壜闘争から今引き継ぐことは何だろうか。

  まず第一は、「正義のために闘う」「搾取と抑圧があるかぎり労働者は必ず立ち上がる」「困難を恐れず闘う」「すべての労働者のために闘う」「少数でも闘い多数派を目指す」「闘って勝つ」という敢闘精神ではないか。当時、大久保闘争のことを考えたら、なまじの困難にくじけず、闘う確信と自信を持つことができた。

  第二は、大久保闘争の生み出した豊富な闘争経験、闘争領域の広さ、闘争戦術を挙げずにおれない。全国オルグ、大正製薬・佐藤製薬などへの「使用者概念の拡大」闘争、厚生省・東京都・向島労働基準監督署・墨田職安などへの行政闘争、そして最終合意の場となった東京都労働委員会での攻防戦など解決に至るすべての過程は「闘いの教科書」である。

  第三は、「受けた支援は運動で返す」を実践していることだ。東部労組と地域共闘に多大の貢献をしている大久保製壜支部の仲間をみんなは見ている。

  東部労組の全ての組合員は大久保製壜闘争の精神を引き継ぎ、労働組合運動の新たな地平を切り開こう。(石)

                                        <二言三言>2008年9月号

『蟹工船』

 小林多喜二の小説『蟹工船』が今、売れているという。

  確かにわが組合事務所のある青砥駅前の林檎堂書店の入り口に「蟹工船党生活者入荷しました!!」の張り紙が最近出はじめたり、駅中の文教堂書店では『蟹工船』が2段になって平積みにされている。世の中変わったなあと思わずにはおれない。

  文庫版を出す新潮社によると、増刷は例年、年に5000部程度だったが、今年はすでに30万部以上だという。

  『蟹工船』とは、カムチャツカの沖で蟹を獲りそれを缶詰にまで加工する蟹工船「博光丸」で、日々の暴力や虐待による過酷な長時間過密労働の強制に対し、ついに出稼ぎ労働者は人間的な待遇を求めて団結してストライキに決起するが、帝国海軍の介入で闘争は潰される、しかし一度目覚めた労働者たちは再び闘争に立ち上がるという物語である。

  ほぼ80年前の1929年に発表された、小林多喜二25歳の作品(その4年後、彼は特高警察の拷問により殺された)がなぜこんなに売れるのか。

  今年1月の毎日新聞の対談で今回のブームを作ったと言われる雨宮処凛(かりん)さんは、金曜日版『蟹工船』の「解説」で、現在の労働者との共通点を、労働のあり方が「偽装請負」・派遣労働と同じ、第2に「貧しい人が集められ、1ヵ所に押し込められ、働かされる」こと、そして「競争」と「ほうび」、「焼き」による労働の強制をあげ、それがいまの若者の共感を呼ぶのではと指摘している。

  「なるほど」と感心すると同時に、労働組合など事前の準備がない、まったくの未組織労働者の決起という点で、いまの若者との隔たりのない共通項と共感があるのではと思う。 労働組合の結成や労働組合の闘い自体が共感を呼びベストセラーとなる日が一日も早く来るように願い、闘いを進めたい。『蟹工船』に出てくるスローガン「殺されたくないものは来たれ!」は最近のアメリカ労働運動の「死にたくなければ組織せよ!」とまったく同じなのだから。(石)

                                       <二言三言>2008年8月号

 

「2006年の転換」

 7月3日、全労協主催の「G8サミットにもの申す」集会が開かれ、法政大学の五十嵐仁さんが講演した。その中で五十嵐さんは「2006年の転換」という注目すべき提起を行った。

  彼が言うには、2006年を境に社会の潮目(流れが変わる境目)が変わった。アメリカのイラク戦争失敗と経済の混乱を背景に、ホワイトカラーエグゼンプションの廃止に示される規制緩和が規制強化に、ホリエモンの逮捕など新自由主義無条件賛美から弱肉強食・企業不祥事批判へ、小泉・竹中の退場と参院選与党大敗、また偽装請負摘発・名ばかり管理職批判などマスコミが労働問題重視、それも労働者保護傾向に変わった。同時に非正規労働者ユニオンなど地域労働組合の活発化をあげている。言われてみればなるほどな、と思い当たる節は多い。

  確かに東部労組や労働相談センターがこんなに頻繁にマスコミに取り上げられることはかつてなかった。また「蟹工船」がこんなに読まれているのは明らかに時代の変化だ。

  以前、労働運動研究者の木下武男さんが大企業労組の御用組合化やスト権ストの敗北などによって資本独裁、労働者の無権利が確立した時期を「1975年の暗転」と称したが、それから30年、やっと労使の力関係の転換を望めるのか。

  だから情勢の転換に見合った労働組合の認識と姿勢が追いついていないのではないか、もっと労働組合はあらゆる事態に攻勢的に取り組むべきであると主張する五十嵐さんの発言は貴重だ。

  しかしまだ反転攻勢というほど労働者側の反撃が確固たるものになっていないのも事実である。この流れを本物にするのも、あぶくに終わらせるのも私たち労働組合の双肩にかかっているといっても過言ではない。不動の激流にするため共にがんばりたい。(石)

                                   <二言三言>2008年7月号

秋葉原無差別殺人事件

 6月8日日曜日午後0時半ごろ、秋葉原で7名死亡、10名が重軽傷を負うという殺人事件が発生し、衝撃が走った。

  この日、東部労組は前日からの千葉での6月合宿を終え、岸本委員長は11時半すぎ、講師をやっていただいた東京労組の野中書記長を車に乗せて錦糸町駅まで送った。その後野中さんは職場である秋葉原に向かった。もう少し時間がずれていたら、野中さんが被害者になった可能性は捨てきれない。その意味では誰が被害者でもおかしくない事件で、言うまでもなくこのような殺人は許されない。何の必然性もなく殺された被害者の冥福を祈らずにはおれない。

  しかし厳罰化、治安管理強化では何の解決にもならず、この事件を引き起こした土壌が今の弱肉強食社会、とりわけ派遣労働者をとりまく劣悪な労働環境にあるのは明らかだ。とくにトヨタ系列の「自動車絶望工場」職場での有期雇用を最大限利用した労働者の人格否定、完全ドレイ化、それらによる労働者の不安感と絶望は想像できる。

  ある若い組合員は事件について「実際に不安定な立場の若者が『自分だって苦しいのだ。甘えるな!』と言います。それを聞くたびにもどかしい気持ちになります。もう努力じゃカバーできないところまで来てるのに」と述べている。

  今回の事件は、労働者への支配抑圧が経営者に対する反抗として正常に発展しないで、「もっと弱い奴らにやりかえす」暴発としてしか表現できないところに問題があると思う。私たちの相談活動で「いじめ・嫌がらせ・パワハラ」が最近異常な増え方をしているのと連動するものだ。

  カギは労働者の生存権・労働権・団結権を確保することにある。そのために労働者の唯一確実なセーフティネットとしての労働組合・ユニオンを知らせ、労働組合への加入を促進することは急務だ。私たちの相談・組合づくり活動のもつ課題と任務は大きいと言わざるをえない。(石)

                                         <二言三言>2008年6月号

三鷹高校土肥校長へエールのファックスを集中しよう

5月2日の毎日新聞は次のように報じました。

<東京都教育委員会が都立学校の職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した通知を巡り、都立三鷹高校の土肥信雄校長(59)が「教育現場で言論の自由が失われている」と撤回を訴えた。都立高の現職校長が都教委の方針に公然と異議を唱えるのは極めて異例だ。都教委は2006年4月、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と通知した。土肥校長は「教職員が『何を言っても意味がない』と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」と主張。4月11日に立川市内で開かれた都立高校長会で、通知撤回を訴えた。>

 石原慎太郎知事の都教育委員会の「職員会議の挙手・採決禁止通知」は、教職員には質問も意見も言わせない、賛成か反対かも聞く必要もない、軍隊のように教育委員会や校長の命令にただただ黙って従えというオッソロしい反民主主義の通知です。

  三鷹高校校長の土肥信雄さんの「教育現場で言論の自由が失われている」という主張は至極当然の、しかし、今の石原都教育委員会に対しては大変勇気が求められたであろう意見です。

  皆さん!土肥校長を孤立させてはなりません!三鷹高校土肥校長へエールのファックスを集中しましょう。

三鷹高校 FAX 0422-49-8429
ネットやブログや携帯でみんなに拡げてください。(長)

                                        <二言三言>2008年5月号

兵士達の南京大虐殺

  4月6日(日曜日)深夜の日本テレビ「NNNドキュメント2008」で放映された「兵士たちが記録した南京大虐殺」を見た。

  福島に住み、製造業で40年働いてきた労働者である小野賢二さんが、福島・会津若松の「歩兵65連隊」という一つの部隊にこだわり、仕事の合間に20年をかけて元兵士を探し出し、信頼を得て、その「陣中日記」を掘り起こしていく。

  「陣中日記」には、「捕虜兵約3千を射殺」「捕虜残部1 万数千を銃殺」という生々しい文字が残っている。揚子江の川岸に1万人以上を囲いこんで、機関銃でダダダダと撃ち殺し、その死体を河に流すのに丸2日かかったという。

  このドキュメントの特徴は事件に対する事後の論評や評価ではなく、実際に南京大虐殺に直接手を下した下級兵士をして、当時彼ら自身が書いた「陣中日記」を通じ語らしめているところにある。

  何万言の言い訳より、「陣中日記」は雄弁であり、説得力がある。

  南京大虐殺はなかった、ないしは虐殺はあったがそんなに多くはなかったなどとの論調が一部で叫ばれている。いわゆる「まぼろし」派と呼ばれる人たちであるが、彼らはいかなる言い訳をするのであろうか。
小野さんの20年にわたる偉業と番組スタッフに心から敬意を表したい。

  歴史の真実をかくすのではなく、どんなにひどい侵略行為であっても、その事実を知り、正しく認識することが国民の「誇り」を回復し、不戦の意思を確実にする第1歩であるということだ。

  私たちは歴史的事実を歪曲するいかなる動きにも闘うことが必要だ。

  こういう映像こそ大勢の人に見てもらいたい。

  見たい方は編集部にご一報ください。(石)

                                        <二言三言>2008年4月号

 

歌人 池田はるみ

 大阪育ちで、いま江戸川区に住む池田はるみという歌人をご存じだろうか。

  彼女のことは数年前に新聞にのったあるエッセイで知ったのだが、歌壇ではずいぶん有名らしい。

 相撲が好きで、一冊丸ごと相撲を詠んだ歌集もある。

○われわれの団塊世代、横綱に輪島がいたぞ黄金の左
○両国の春ひっそりと佇(たたず)みぬ相撲は西を巡りておらむ
○土俵際でふっとちからを抜く寄りをわれは見たりき陶然として
○土俵には勝ち負けがあり なおいえば土俵際があり死に際がある
○このごろは昔の力士ばかりを思うなり大鵬幸喜・佐田の山晋松

 大阪出身なだけに関西弁のものも捨てがたい。

○「さいですかここは一発きめたろか」東京に来ていうこともなし
○「なんでや」と出会ひがしらに大阪のことばの水は噴き上がりたり
○風切って歩いているがガニ股になっているのも知っているわい
○ほらあれは蛸(たこ)のノックぞセクハラのパンパカ地獄見てしまひたる知事

 しかし彼女の真骨頂はなんと言っても社会を見抜く鋭いまなざしであろう。

○おそろしい風が吹くだろ・・・破綻する年金のため団塊世代に
○中年を過ぎて勤める職場にはごつんと立ちぬ人の誇りが
○にんげんがごちやごちやに住み泣くことがおかしからざる時代が終る
○生まれつき戦争放棄 あたらしき我らのままに年ふりにけり

 とくに次の2首は新自由主義、ワーキングプア、貧困の本質と資本家の意志を見事に喝破するものになっていないか。

○若者は飼い殺しにす 闘争にならないようにばらばらにして
○フリーターでぎりぎり食えるようにする経済たちがひそひそという
                                                               (石)

                                <二言三言>2008年3月号

 

「名ばかり管理職」

 コナカ支部高橋組合員の店長時代の残業代を会社側は解決金として支払った。そしてその6日後、東京地裁はマクドナルドの店長の未払い残業代の支払いを命じた。

  しかしコナカは他の店長への残業代支払いを拒否し、マクドナルドは控訴した。そして多くの企業が「店長や管理職は管理監督者なので残業代を支払う必要はない」との主張を続けている。

  では実際はどうか。労働基準法第41条は、「監督若しくは管理の地位にあるもの(いわゆる「管理監督者」)」について、労働時間、休憩および休日に関する規定の適用の除外を認めているから、管理監督者に労基法上の時間外割増・休日割増賃金の支払いはしなくてよいことになっている。なぜなら彼らは業務の実情に照らし、労働時間法を適用しなくても労働者保護に欠けることがないと考えられるからである。

  また管理監督者の範囲について、行政通達は、経営と一体的な立場にある者の意であり、これに該当するかどうかは、名称にとらわれず、その職務と職責、勤務態様、その地位にふさわしい待遇がなされているか否か等、実態に照らして判断すべき(昭63.3.14基発第150号など)としている。

  具体的な要件は、①経営方針の決定に参画しまたは労務管理上の指揮権限を有している、②出退勤について厳格な規制を受けず自己の勤務時間について自由裁量を有する地位にある、③職務の重要性に見合う十分な役付手当等が支給されている、などが指摘されている。

  つまり店長など「名ばかり管理職」はいうまでもなく、相当の権限のある「管理職」とされる者の大半が「管理監督者」に該当しないのである。「管理職には残業代はつかない」との通説は間違いだ。各企業はいまゴマンといる管理監督者でない管理職に残業代をきちんと支払え。行政は規制を強化せよ。(石)

                                      <二言三言>2008年2月号

労働契約法の成立をうけて

  11月28日、労働契約法案が可決・成立した。

  私たちは全労協や全国一般の仲間とともに反対してきた。その一番の理由は、労働者の合意がなくても、会社が就業規則の変更によって一方的に労働条件を引き下げる仕組みを盛り込んでおり、労使の合意原則に反することだ。

  労働相談活動をされた組合員はイヤというほど経験されていると思うが、現在の労働基準法に基づく「就業規則」規定はいい加減なもので、労働者が異議を述べても「聞き置くだけ」、労働者代表選出方法や就業規則の周知方法も実効性がない。さらに労基法違反の就業規則を提出しても労基署はそれを受理している。その点で私たちと労基署とのケンカは絶えない。就業規則に対するそんなゆるいしばりだから、よけいに会社がやりたい放題にこれから労働契約法に基づく就業規則の改悪をもって労働条件の引き下げを強行してくることは十分予想される。

  私たちは今後もこの悪法に引き続き反対していくが、これらの攻撃に対する私たちの根本的な回答は、労働組合の結成であり、職場闘争の強化であり、就業規則でなくて会社と労働組合の契約である労働協約締結闘争の推進である。

  同時に反対闘争には成果があった。札幌地域労組の鈴木書記長は朝日新聞のコラム「私の視点」に、また連合全国一般の田島前委員長は「地域と労働運動」にそれぞれ労契法反対の論陣を張った。コミュニティ・ユニオン全国ネットワークは反対声明を出し、働く女性の全国センターは国会前で大活躍した。全国一般全国協も反対集会をもてた。全労協、全労連の事実上の共闘もできた。自公と民主の合意で強行され、連合が「成立を評価する」姿勢を明らかにしているにもかかわらず、今回の労契法反対闘争を通じて、運動の「新しい潮流」がほの見えたことは私たちの希望である。(石)

                                        <二言三言>2007年12月号

 

戦争反対の原点

  デイベンロイの4階食堂にある組合掲示板に次の詩が張り出されているのをご存知だろうか。数年前、新聞に出た千葉高教組の広告の中にあったものだ。タケエイ支部は時々食堂をお借りして全体会議をやっているし、他の支部も旗開きや定期大会、ビアパーティに行く機会があるので、そのときに見てみよう。

戦死せる教え児よ
(竹本源治)1952年1月
逝いて還らぬ教え児よ
私の手は血まみれだ
君を縊(くび)ったその綱の
端を私は持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!
「お互いにだまされていた」の言訳が
なんでできよう
慚愧、悔恨、懺悔を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は
汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」

 高知県の中学教師がこの慟哭の詩を書いたのは敗戦から7年目、まだ戦争の傷跡が生々しく残る中であった。そしてこの詩はいまでも私たちの胸を強く打たずにおかない。ウイーンで開かれた第1回世界教員会議で紹介され、放送局が放送したとき、局員全員がハンカチで顔をおおったと伝えられているのもうなずける。

  日中戦争、太平洋戦争など日本がおこした侵略戦争によって2000万人以上のアジアの人びとと300万人以上の日本人の命が奪われた。日教組の「教え子を戦場に送るな」というスローガンも同じ戦争体験と不戦の誓いから出たものであった。

  十七歳で海軍に“志願”し、この3月に亡くなった作家の城山三郎は「あの戦争に意味があるとしたらもう二度とあんな愚かな戦争をしてはならないことを明らかにしたことだ。戦争で得たものは憲法だけだ」と言っていた。

  いまは戦争から遠く離れてしまったが、この戦争反対と平和教育と労働組合運動の初心を忘れてはならない。貴重な経験は引き継がなければならない。歴史の経験と総括を無視、否定し、事実を作り替える戦争賛美論者を許してはならない。

  いま教育基本法の改悪、「君が代」「日の丸」の強制、そして憲法改悪など戦争への道と闘うとき、この詩は戦争反対の思い起こすべき原点を示している。(石)

                                   <二言三言>2007年11月号

セクハラ争議の解決

  世界に名を馳せる外資系会社で、5年間にわたって、上司による女性従業員へのセクハラ、パワハラが行われた。当事者は労働局のあっせんなどを試みたがうまくいかず、最後の望みを賭けてわが組合を訪れた。それから1年4ヶ月、闘いによってやっと解決した。

  解決の内容は、セクハラ、パワハラに対する会社の謝罪、加害上司の退職、セクハラ裁判による損害賠償平均額の4倍の解決金、女性カウンセラーの設置などセクハラ防止システムの構築、そして本人の退職であった。しかし何よりの成果は当人が見違えるほど元気になったことである。

  解決をかちとった要因は、本人の怒りと闘いの意志が持続したこと、労働組合で闘えたこと、真の決定権者であるアメリカ本社を交渉に引き出すことができたこと、女性労働相談ボランティアによる支援チームが組めたこと、労働委員会を活用できたことが挙げられる。

  支援チームでは闘いの教訓を次のようにまとめた。

①日本支社に独自の裁量権があるとの当初の私たちの判断は間違っていた。メールによる本社攻めと本社との直接交渉など「使用者概念の拡大」闘争(直接の雇用主にとどまらず、親会社・背景資本にまで交渉・闘争対象を拡大し、勝利をめざす)を通して、日本支社に何の権限も当事者能力もなく、すべての決定権がアメリカ本社にあることが判明した。真の交渉相手を見定めることは闘争勝利の基本的条件だ。

②セクハラ問題という当事者が世間に知られたくない気持ちを考慮すべきである。と同時に、社名がインターネットに公表され、また大衆闘争が組まれ、セクハラ糾弾が社会的になされた場合の成果、社会に与える影響と励ましは大きなものがある。いかに進めるかは今後の課題といえる。

③当事者のセクハラ・パワハラ被害による後遺症は大きく、長く続くことを考えれば、少しくらいの補償や謝罪で決して清算されるものではない。これは過労死遺族や過労労災被害者の家族にも共通することである。(石)                    
                                      <二言三言>2007年10月号

 

少年時代

  私にも少年時代はあった。1942年(昭和17年)、戦中の生まれである。その1年前がハワイの真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まった。生まれた年の6月が戦局の転機をなすミッドウェー海戦で、その後日本軍は敗走する。中国大陸でも同様だった。そして東京大空襲、米軍の沖縄上陸、広島・長崎の原爆投下と続く。

  1945年の敗戦は2歳半だった。小学1年生の時、アメリカの謀略による下山、三鷹、松川事件がおこる一方、中国革命が勝利する。さつまいもばかり食っていた。

  小学2年生で朝鮮戦争が始まり、自衛隊の前身の警察予備隊が作られた。その後の日本の針路を定めるサンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効するのが1952年。当時9歳で小学4年生だったはな垂れ小僧の私たちに向かって、まだ若い担任の女性教師が教壇から突然、「これは本当の独立ではない。だまされるな。真の独立のために闘おう」と、涙ながらに訴えた。全部は分からなかったが、その真剣さにみんな感動した。

  6年の時、近江絹糸の人権ストとその勝利がマスコミをにぎわしたのは覚えている。日教組の勤務評定(教師の査定)反対闘争は中学3年で、警職法反対闘争は高校1年だった。当時教師のストライキは日常的で、教室でストに出かける教師を激励して見送ったものだ。教師たちは誇らしげであった。

  高校3年の1960年4月は韓国学生革命で始まった。戦車に乗り凱旋パレードをする韓国の学生をニュース映画で見て羨ましかった。独裁者李承晩はハワイに亡命した。

  三池炭坑争議とともに、60年安保闘争が連日展開され、テレビの画面はデモ隊で波打っていた。6月、国会デモ中に学生の樺美智子さんが殺され、新安保条約は自然承認された。私は学校と親の目を盗み同級生と連れだっておそるおそる神戸の湊川公園で安保反対の集会にもぐり込んだ。生まれて初めての17歳のデモは最後まで身体の震えが止まらなかった。(石)
                                         <二言三言>2007年9月号

「日本人の誇り」とは何か


  アメリカ議会下院本会議は7月30日、アジア太平洋戦争中に日本軍によって性奴隷にされた元「慰安婦」に対し日本政府が公式な謝罪を行うよう求める決議を採択した。

  日本政府はすでに従軍慰安婦の強制連行事実を認めて謝罪した河野談話(1993年)を発表している。しかし安倍首相は、不本意な応募など「広義」の強制性はあったが、官憲による強制連行という「狭義」の強制性はないとの持論を繰り返してきた。その後訪米してブッシュに謝罪するなど見解を二転三転しつつも、狭義の強制についての前言は取り消していない。

  だが問題の本質は軍慰安所制度をつくり、管理統制したのは日本軍という単純明快な事実にある。狭義も広義もない。軍の命令なしに、業者が戦地に行って勝手に軍慰安所を開くことなどできる訳がないではないか。

  しかし安倍はそんなことを認めたら、日本人の誇りが失われ、「美しい国」でなくなり、おじいちゃんに顔向けできないと思っている。

  かつてレーニンは『大ロシア人の民族的誇りについて』(1914年)という論文で、「民族的誇り」の感情は労働者に無縁かと問いかけ、「もちろん、そうではない!われわれは、自分の言語と自分の母国とを愛する」、問題なのはその愛し方であり、「民族的誇り」についての労働者としての階級観点なのだと、第1次世界大戦の勃発で混乱する陣営に檄を飛ばした。

  他民族を侵略・抑圧すること、またそれを容認することがまさに「労働者の民族的品位をけがしている」、したがって、そのような他民族を抑圧する資本家たちと闘う以外に労働者は「祖国を擁護する」ことはできない、とレーニンは主張した。

  ひるがえって今の日本で私たち労働者が持つべき観点は、従軍慰安婦をはじめ侵略の事実を直視し、他民族抑圧を二度と許さない闘いをつくることこそが日本人労働者の誇りなのだと自覚することであろう。(石)

                                       <二言三言>2007年8月号

 

「戦闘的労働組合」のゆくえ

 7月14日と15日、電気通信産業労働組合第30回定期大会が宮城県鳴子温泉で開かれ、私も記念講演を依頼され参加した。

  大会での議事・討論と交流会を通じて、電通労組組合員の団結の強固さには目を見張った。30年にわたる闘いによって培われ打ち固められた同志的信頼関係は羨ましくもあり、感心もさせられた。

  私は「新しい団結を求めて-企業内労組からの脱皮と実践的労働相談」のテーマで講演したが、その質疑応答と討論で考えさせられることは多かった。

  いま全国には少なくない「戦闘的労働組合」が存在し、それぞれ資本と果敢に闘い、大きな成果を上げているが、同時に団塊世代の退職と若年層の未結集で、組合「存亡の危機」を迎えているところが多い。それはまた私たちの職場支部の問題でもある。

  ではどうするのか。少なくとも経験から次のことは言えるのではないか。
第一に、企業の内外を問わず「労働相談から組織化へ」という組織化戦略を開始し持続すること。来年、東部労組は結成40年、労働相談センターは発足20年になる。相談センター立ち上げから相談・組織化活動は本格化した。いまだ道遠しの感だが、少しずつ成果が上がっているのも事実だ。非正規労働者をふくむ自分たち以外の労働者の生活に関心と責任を持つ観点が必要だろう。

  第二に、職場闘争と組織化活動の結合を追求すること。職場の仲間内だけに閉じこもるのも、職場抜きの未組織労働者の組織化だけでも不十分だ。その結合こそ追求されなければならない。

  第三に、ソ連の崩壊以降、歴史に検証された真理を否定・軽視する風潮が強いが、それに負けてはならない。すかいらーくやアジア商事の過労死・過労障害に示される資本家の残酷性は紛れもなく彼らの本質である。私たちは労働組合を武器にした資本家との闘いなしには生きられないのだ。(石)

                                   <二言三言>2007年7月号

売ったらあかん

 6月合宿で札幌地域労組・鈴木書記長の話を聞いた。貴重な経験から学ぶことは多かったが、中でも会社と一体となったUIゼンセン同盟が不当労働行為を行ったとの地労委、中労委の認定は画期的な意味をもつ。これを同じ「労働組合」といってよいのか。

  総評、同盟、連合と引き継がれてきた戦後労働運動まるごとの総括がいま必要なのだろう。ビッグユニオンにとどまらず少なくない組合幹部の腐敗堕落は想像以上だ。

  過労死の犠牲者中島富雄氏を「人間的魅力がなかったから休みが取れなかった」と侮辱したすかいらーく労組委員長、4.28被解雇者を見殺しにした全逓(日本郵政公社労組=JPU)、業界団体と「共闘」して事業場外みなし労働時間を無理矢理押しつけようとする労働者供給事業の労働組合、会社から金銭をせびる労組幹部、はては私たちの団体交渉に会社側代理人として臆面もなく出てくる労組まである。恥を知れと言いたい。

  問われているのは「労働組合とは何か」であり、「労働組合の熱き原点」(前記鈴木書記長)であろう。必要なのは腐敗堕落・傲慢不遜を糾弾し、仲間を裏切らず、謙虚さを失わないみずみずしい精神、階級観点・大衆路線の労働組合魂だ。

  「過労死をなくそう!龍基金」の中島富雄賞選考委員である佐高信氏が紹介する随筆家・岡部伊都子氏の「売ったらあかん」という詩を献じよう。

「猫に小判」か「馬耳東風」か知らないが、関係諸氏は胸に手をあててしばし黙考せよ。

 友達を 売ったらあかん
  子どもらを 売ったらあかん
  まごころを 売ったらあかん
  本心を 売ったらあかん
  情愛を 売ったらあかん
  信仰を 売ったらあかん
  教育を 売ったらあかん
  学問を 売ったらあかん
  秘密を 売ったらあかん
  こころざしを 売ったらあかん
  大自然を 売ったらあかん
  いのちを 売ったらあかん
  自分を 売ったらあかん
  自分を 売ったらあかん
                                                                  ((石)

                                    <二言三言>2007年6月号

 

憲法の改悪を阻止しよう!


 5月14日、与党は憲法改悪の手続きを定める国民投票法を十分な審議もなしに強行成立させた。憲法をめぐる闘いは新たな局面を迎える。

  アメリカと日本経団連の意を受けた安倍「ウルトラ右翼」首相のねらいは憲法9条をつぶし、自衛隊を米軍と一緒に海外で戦争する軍隊にすることだ。自民党新憲法草案は、戦力不保持と交戦権の否定をうたった9条2項を削除し、「自衛軍保持」などを明記した。同時に集団的自衛権(アメリカとの共同戦争)の研究では今秋の結論をめざしている。

  周辺事態法以来いかに戦争関連法を作り解釈改憲をはかろうと、現行憲法の下ではどうしても自衛隊の「戦闘行為の禁止」という制約を飛び越えることができない。だから9条をなくそうと必死なのだ。

  しかし安倍首相の野望はすんなりいくものではなく、大きな矛盾と困難を抱えている。

  彼が唱える「戦後レジーム(体制)からの脱却」とは、60年間平和を確保した憲法9条と戦後民主主義の全面否定、日本軍国主義の復活にほかならない。

  規制緩和・弱肉強食の新自由主義による労働者の生活と生命の危機、大義なきイラク戦争をそれでも支持せざるをえないアメリカ言いなりの立場、身内に甘いなあなあ体質、靖国神社、従軍慰安婦、教科書問題での国民の反感とアジアの包囲は安倍「二枚舌」首相を窮地に追いつめる。

  また最近の世論調査で改憲支持が減少し9条支持が増加している。闘いの成果だ。ここに一番の希望がある。
  9条をなくすのか、戦争への道を突き進むのか、平和国家か戦争国家か、いやおうなくすべての人々に判断と行動を迫る。

  憲法改悪反対闘争は戦後最大の政治課題であり、一大政治決戦となる。いよいよ政治の季節がはじまる。
  安倍政権は労働者にとって良いことは1つもない。参院選では力をあわせ安倍を退陣に追い込もう。(石)

                                    <二言三言>2007年5月号

支部結成 勝利の条件は何か

 4月6日、新支部・争議支部激励集会が開かれ、新しく結成された支部と争議支部、そして個人組合員が紹介され激励を受けた。

  支部結成を成功させ、闘いと組織を持続させる共通の要因は何か。少なくとも次のことが言えるだろう。

  第1に資本、経営者への怒りである。資本独裁・労働者奴隷化の現状があるだけではダメだ。理不尽な支配と抑圧、人格否定を許さない労働者としての自覚と誇りと怒りが出発点としてあったことである。

  第2に怒りにとどめず闘いに立ち上がったことである。経営者への怒りは比較的持ちやすい。そのこととあらゆる逡巡を断ち切って闘いに決起し公然と経営者と対峙することはまったく違う。闘いに立ち上がるということはそれぞれの人生を賭けた一大事である。申し入れ行動の前夜は誰でも眠れないものだ。だから大小にかかわらず決起したすべての支部、組合員に敬意を表し、賞賛を送りたい。

  第3に労働組合として闘ったことである。怒りの行動としては突発的な個人の暴発や行政機関への駆け込みなどいろいろある。しかし持続的な職場での労使対等を獲得する方法は労働組合でしかありえない。

  第4にあきらめなかったことである。闘いの中では困難な局面は必ず現れる。その時闘いを続けるのか止めるのかの岐路に立つ。あきらめなかった者だけが勝利の果実を手にすることができる。

  第5に支部の団結があったことである。支部組合員同士がケンカをしていては勝利をかちとるどころか、闘争の持続もおぼつかない。

  第6に東部労組と地域の支援があったことである。東部労組の闘いの経験と闘う体制および地域の労働組合の支援は闘争勝利の欠かすことのできない条件といえる。(石)

                                         <二言三言>2007年4月号