目 次 2016年09月号 東部労組と全国闘争 労働組合の組合員はその日常活動の90%以上を自ら働く現場での活動にあてている。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2016年9月号 コラム<二言三言> 先月トルコでクーデター未遂事件があり、エルドアン大統領はその鎮圧に乗じて、非常事態を宣言し、反対派を弾圧し、民主主義を破壊している。 先日ある先輩組合員と懇談する機会があり、話は多岐にわたったが、印象に残ったのは戦争と平和、そしてそれに対する労働者の立場、観点の問題であった。 昨年9月の戦争法強行採決に続けて、安倍首相は今年3月、在任中の憲法改正と夏の参院選で改憲発議に必要な3分の2の勢力結集をめざすと公言した。 私のこれからの仕事の中心は戦後労働運動の総括になると思っているが、その準備作業のひとつとして、ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて 第二次大戦後の日本人』(岩波書店)を読んだ。 東部労組の多くの組合員は職場での支部(労働組合)結成の体験を持っている。 最近出版された中塚明編著『歴史家山辺健太郎と現代』に触発されて、40年前に山辺健太郎自身が語った『社会主義運動半生記』(岩波新書)を読んだ。 NPO法人労働相談センターが扱った2015年の相談件数は前年を329件上回る8597件(月平均716件)になり、過去最高を記録した。 昨年12月28日、日韓両政府はソウルで外相会談を開き、慰安婦問題を決着させることで合意した。 先日NPO法人労働相談センターの労働相談を担っていただいている弁護士さんへの慰労会があって参加した。 11月8日の東部労組第42回定期大会とそれに先立つ最後の執行委員会で、要旨次の副委員長退任あいさつをした。 私は1980年に東部労組ではじめての専従書記長になって13年間務めた後、現在まで副委員長でした。 労働組合は労働者を結集し、その力で資本・経営者と闘い、労働者の利益を守るためにある。 2012年9月の本欄で、「インターネットを労働運動の武器に!」との表題で、東部労組・
ジャパンユニオン・労働相談センターのホームページ改善のため、組合員から厳しい意見
を寄せてもらうこととそれらをホームページに反映する作業チームの必要性を訴えた。 労働組合に課題は多い。 「日本人が南京事件のことを知らなくていいのだろうか」という強い問題意識で、劇映画『ジョン・ラーベ~南京のシンドラー』が7月20日、日本教育会館大ホールで上映される。 佐藤昭夫さん(早稲田大学名誉教授・弁護士)の新著『「武力信仰」悪夢再現を憂える 戦後労働法を学んだ陸軍将校生徒(米寿の記)』が悠々社から出版され、
先月、私も呼びかけ人になった出版記念会が亀戸カメリアで開催された。 先月、東部労組初代委員長の足立実さんに組合事務所に来ていただいて、お話を聞いた。 先月末、大阪で講演した。
この1月に、拙著『労働組合で社会を変える』の感想会を東部労組内でやってもらった。 今年は、第2次世界大戦が終結して70周年を迎える。 高砂産業支部は今では企業名・組合名とも変わっているが、東部労組で最初から支部として結成したなかでは一番古い支部である。 ツイッターとフェイスブックをはじめて4年になる。 <母は僕たちを食べさせていくために、理容師として働きづめであった。 これが人間として正常な普通の感覚というものであろう。 最近本屋に行くと、週刊誌であれ月刊誌であれ、朝日新聞たたきとともに、「従軍慰安婦」
や南京事件がトップを飾っている。 「オリジン電気労組に学ぶ」中級労校については、登川書記次長が本紙先月号で詳しく報告した。 ここでは登川報告をふまえて、私なりに学んだところを考えたい。 何といっても、賃金はじめ組合員の労働条件の決定に査定をさせない、「同一年齢・同一学歴・(同一勤続)=同一賃金」の考え方を実行していることだろう。 これは全国的に見てもほとんど例がないのではないか。 ついで、今でも組合の組織率が8割以上であること、ストライキ、赤腕章着用、残業無協定、出張・外出拒否など実力闘争を堅持していることである。 これらが査定をやらせず、高い労働条件を維持している主体的条件といえる。 また重要問題は組合員の1票投票で決定する組合民主主義の実行、直接職場交渉の重視、定期大会は代議員制とらず、現在でも数百人規模で開催、会社からのユニオン・ショップ協定の申し入れを拒否するなど、総じて組合員の直接活動参加原則の周到な実践が力の源泉となっていると思われる。 さらにオリジンの4人の講師が共通して強調したことは職場に固執し、職場闘争とストライキが基本活動だということであった。 今回の中級労校でオリジン電気労組から学び、私たちの支部活動に生かすこと、またその他の優れた企業内労組からも学ぶことを確認したい。 同時に、その目的は私たち地域ユニオンをばらばらの企業内労組にもどすことではないことも確認したい。 そうではなくて、オリジン労組から学ぶ目的はオリジンはじめ優れた企業内労組からどん欲に学んで、各支部の足腰を鍛え、単一組織としての強大な東部労組を建設するところにある。 そのためには、職場闘争を基本としつつ、正規・非正規労働者を問わぬ労働相談と組織化、学習活動の強化と次代の活動家養成、政治闘争参加、他支部・他労組支援、労働委員会・裁判闘争の重視と職場闘争との結合、さらには専従体制の強化、民主集中制など組合規律の重視、労働組合の全国団結などに力を入れよう。 先月、朝日新聞は日本軍「慰安婦」問題について、故吉田清治氏による強制連行の証言は虚偽として記事を取り消すとともに、「慰安婦」と「女子挺身隊」を混同した誤用を認めた。 7月27日、「新運転・事故防ピンハネ返せ請求訴訟を支える会」の結成総会が開催された。 今年のメーデー(5月1日)は日比谷集会とデモの後、上野駅の目の前にある東京メトロ本社前に280人の仲間が結集し、抗議行動を行った。 今年4月16日に起こった韓国のセウォル号の沈没事故は、まさに新自由主義が何をもたらすのかをもっとも悲惨な形で現すものとなった。 子どもの頃は本当に家族みんなでラジオを囲んで、漫才、落語、講談、浪曲をよく聴いたものだ。 そのなかで「寛永三馬術」という講談があった。曲垣(まがき)平九郎という武芸者が将軍徳川家光の命で芝愛宕山の男坂を馬で乗り上がり梅花を手折り、将軍に無事献上するという話である。 平九郎より前に挑戦した何人かは急階段のため、みな馬もろとも落下し、目的を達せられなかった。 そして最近よく思い出すのは、これは組合活動と同じではないかと思うようになったからである。 支部結成の時期の支部組合員はまだ経験が浅い。 この時期の支部組合員は申し入れ行動に一回成功しただけで、日常的な組合活動の経験は皆無である。 組合員を馬に例えるとは恐縮だが、目的地を示し、そこにたどり着くにはどうすればよいかを自分でよく考え納得して行動するよう導くのが専従オルグや先輩組合員の一番重要な仕事ではなかろうか。 この時期を支部の自然発生性に任せるのではなくて、担当者をはじめ本部執行部が指導性を発揮して、労働組合の活動とはこういうものだということを、ここで誠心誠意全力で支部と組合員に「たたき込む」こと、そしてそれを習慣化させることが肝心だ。 会社は組合結成のあと必ず組合つぶしをやってくる。 要求を高めること、そして要求を獲得するには力を持つこと、力を持つとは仲間を増やすこと。 失敗したことは繰り返さない、総括を後から来る組合員にきちんと伝えることが大事だ。 年次有給休暇の取得率は近年ずっと5割を切っている。 日本国憲法は第28条で、「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする 水産大手マルハニチロ子会社の群馬工場での農薬混入事件で契約社員が逮捕された。 厚生労働省が昨年末、 2013年「労働組合基礎調査」を発表し、同年6月末の日本全国の労働組合の組合員総数が987万5千人で、雇用者に占める組合員の割合(組織率)は前年比0.2ポイント低い17.7%と3年続けて過去最低を更新したと伝えた。 同時に発表された企業規模別の組織率によると従来とそんなに変わるわけではないが、従業員 1000人以上の企業では組織率44.9%であるのに対し、100~999人の企業では13.1%、99人以下の企業になると組織率はわずか1.0%となっている。 いま日本の正規雇用労働者のうち大企業でほぼ 1400万人、中小企業で2400万人が働いていると言われている。 正規と非正規の労働者の格差もひどいが、大企業と中小零細の労働者格差も解消されるどころか拡大している。 彼ら彼女らが私たち地域合同労組、地域ユニオンの組織化のおもな対象である。 労働組合のない中小零細企業労働者と非正規雇用労働者は手つかずのまま、劣悪な労働環境の大海原に漂わざるを得なくなっている。 いま、大量の中小零細・非正規労働者を労働組合に迎え入れ、全国に強大な地域合同労組、地域ユニオンをつくりあげることは、労働組合運動再生の戦略的課題である。 それは中小零細・非正規労働者に通用する労働組合運動の確立と普及であろう。 友人に勧められて、テレビの「ダンダリン 労働基準監督官」11月20日放映分を半信半疑で見た。 労働相談にもいろいろある。最近、同じような種類の相談が相次いだ。 労働相談の電話が組合事務所にひっきりなしにかかってくる。 最近、「進取(しんしゅ)」という言葉のもつ重要性を感じている。
8月4日、「過労死をなくそう!龍基金」第7回中島富雄賞授賞式が開催され、盛況であった。 日本政府は今年の4月28日、サンフランシスコ講和条約発効日である同日を「主権回復の日」として、初めて記念式典を開催した。 今年の東部労組6月合宿は例年にもまして収穫が多かったと思う。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年6月号 アンドルー・ゴードン著『日本労使関係史1853-2010』が昨年8月に二村一夫の翻訳で岩波書店から刊行されていたことは知っていたが、500ページを超える大部なこともあってなかなか手が出なかった。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年5月号 安倍首相の経団連への報酬を上げる要請とか、それを受けてのローソンの新浪社長の即時の賃上げ発表とか政治的パフォーマンスが目立つ。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年4月号
ひなまつりの 3 月 3 日、NPO法人労働相談センターでは「女性労働相談デー」と銘打って、女性のための、女性だけによる日曜労働相談を実施した。 当日は女性組合員のほか、女性ボランティアと女性弁護士のご協力をえて、正午から午後 5 時過ぎまで、事務所は終始、てんてこ舞いで、電話相談が殺到し、面接者でごった返すという盛況をきたした。 正規非正規労働者の格差、企業規模間の格差が取り上げられることが多いが、同時に男女の格差・性差別の問題は依然として労働者の直面する解決すべき基本的な課題である。 普段でも女性の相談者から「女性の相談員はいますか」と問われることはよくあるが、今回はとくに女性特有の問題の深刻さを改めて示すものとなった。 偶然であるが、同じ3月の8日は「 国際女性デー 」である。 1904年のその日、アメリカのニューヨークで女性労働者が「パンをよこせ、婦人参政権を与えよ」と大規模な集会とデモを起こした。 それを受けて、頻発するストライキを背景に、 1917年の国際女性デーにロシアの首都ペトログラードで行われた女性労働者を中心とした飢餓反対、戦争反対、 ツァー 専制反対、 食料配給の改善を要求する デモは、男性労働者、更には兵士を巻き込んだ大規模な蜂起、いわゆるロシア 2月革命の発端となり、ついには ロマノフ 帝政を崩壊に追い込んだ。 いま、非正規女性労働者で構成する東部労組メトロコマース支部は、 65 歳定年制に反対するストライキに決起する。 男女労働者は協力して、女性・非正規労働者差別を粉砕しよう ! 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年3月号
柔道女子日本代表の国際強化選手15人の闘いが続いている。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年2月号
緒形拳主演の名画『復讐するは我にあり』の原作者である佐木隆三が24歳で書いた処女作『大罷業』を読んだ。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2013年1月号
先月の東部労組第39回定期大会は、組合結成以来はじめて議案書に対する修正動議が提出され、それについ 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年12月号
11月4日に開いた東部労組第39回定期大会では、組合員の組織化について総括した。
昨年度だけで組合員を20数名増やした支部で、どうやって組合員を増やしたのかについてオルグ体験の懇談会を開いてもらった。
いまNPO法人労働相談センターや東部労組、ジャパンユニオンに来る労働相談の98%とか99%がインターネット(ホームページ)経由である。
8月5日、「過労死をなくそう!龍基金」第 6回中島富雄賞授賞式が開催されて、ワタミ過労自殺遺族の森豪さん、祐子さん夫婦が受賞された。 まったくその通りで、ここに過労死はじめ労働問題の核心がある。 しかし最近それに反する主張が目につく。たとえば、ベストセラーになっているという木暮太一著『僕たちはいつまでこんな働き方を続けるのか ?』(講談社2012.4)がその典型だ。 そこでは、「みなさんは、いまの自分の働き方に満足していますか?みなさんは、いまの働き方をずっと続けていきたいと思っていますか?」とか「働いても働いても一向に給料は上がらないし、どんどん仕事の量が増えて、忙しくなってきているような感じもします」と正常な問題提起をしておきながら、結論を「それを解決することのできる方法は長期に耐えうるスキルを身につけること」に落とし込んでいる。 資本主義社会で労働者のおかれている実態は「賃労働と資本」の関係でしかありえないのに、的を外させるために、労使関係以外の所に活路を求めさせようとする傾向は多種多様な手法を使ってこれからも続くであろう。 日本国民の大多数を占める労働者が自ら実際に働く労働現場で、人間らしく働きやすい(ディーセント・ワーク)環境を労働者自身の力で築くために努力すること、すなわち経営者と闘うことが一番肝心なことである。 私たちの回答は、「労働者にとって最強のセーフティネットは労働組合!」、「労働問題を労働組合加入で解決しよう!」でしかありえない。
槇村浩(まきむらこう)の『間島パルチザンの歌』を紹介したのは本欄の2009年4月号であった。
東部労組が6月合宿の交流会で盛り上がっていた6月2日夜、NHKテレビでは「シリーズ日本新生」のひとつとして「"雇用の劣化"を食い止めろ!」という討論番組が放映された。
4月29日、悲惨な関越道ツアーバス事故がおきた。 かつてツアコンだった組合員は「 20日以上休みなしとか、睡眠は2、3時間など観光バスのドライバーはいつも事故を起こす恐怖に怯えてた」と話している。 なぜこんなことになるのか。 一方には、新自由主義、規制緩和の推進がある。 他方、労働者の団結組織である労働組合の力が弱くなっていることがある。 しかし「闘うこと」も「団結」も知らない労働者は多くなっているのも事実である。 だから労働組合の結成加入を経験した私たちはそれをまだ知らない労働者に「闘うこと」と「団結」を伝える義務がある。 職場の同僚労働者をはじめ、友人、知り合い、同業労働者に労働組合を知らせよう! 労働組合のチカラを知らせよう! 東部労組加入を呼びかけよう! 東部労組に入っていっしょに生活と権利を守ろう!(石)
さる3月17日、全金田中機械支部大和田幸治委員長(全金港合同事務局長)がお亡くなりになった。 翌々日の告別式に東部労組と全国一般全国協を代表して参列した。 東部労組とのつきあいは1977年、大阪集会や労働情報の創刊のころにさかのぼる。 当時「西高東低」と言われた大阪の労働運動、とりわけ田中機械、港合同のたたかいに学んだことは多かった。 当時、「闘う労働組合を会社ごとつぶす」という日経連など総資本の意志のもと、田中機械にかけられた破産攻撃を、大和田委員長を先頭に全金田中機械支部・港合同は、実力闘争、地域共闘、労働委員会・裁判など多様な戦術を駆使し、十年余のたたかいで破産法を突破し職場と闘争拠点を防衛しぬくというたぐいまれな勝利をかちとった。 その闘いの中で、「破産管財人の団体交渉義務」、「賃金復元協定」など今でも恩恵をうけている成果は少なくない。 また賃金闘争、賃金配分権、職場支配力、経営の蚕食、自覚的団結などの考え方や「弱点のない敵はいない」「困難のなかでも執念をもって闘えば活路は開ける」など闘いのなかで生まれた言葉は今でも私たちを励まし続ける。
3.11東日本大震災・原発事故から1年を迎える今、「国策民営」事業としての原子力発電と東京電力の犯罪が問われている。
昨年後半から、デイベンロイ支部と多摩ミルク支部は組合員を飛躍的に増やしている。
マルクスの盟友エンゲルス( 1820年~1895年)の著作に、『イギリスにおける労働者階級の状態』がある。 まずエンゲルスは「労働者には、資本家の利益を守って動物に転落するか、抵抗して自分の人間性を守るためにたたかうか、二つに一つの選択しか残されていない。そしてあとの道は、資本家との闘いの中でのみ可能である」とか、「労働者が現在の状況から抜け出そうとするやいなや、資本家は公然たる敵となる」、「彼ら(労働者)は資本家階級にたいして怒りを感じている限りにおいて人間なのである」と主張する。 もうひとつエンゲルスから学ぶことは、資本家の本性についての認識である。 「人びとはおたがいを利用できる奴としかみていない。みんなが他人を食いものにし、そのために強者が弱者をふみつけ、少数の強者、つまり資本家があらゆるものを奪いとり、多数の弱者、つまり貧民には、ぎりぎりの生活もほとんど残されていない」とエンゲルスはいう。 また「資本家はただ金もうけのためだけに生きている」、「資本家は労働者を人間とは見ずに『人手』と見る」、「人間と人間のあいだに、現金勘定以外のつながりをみとめていない」とも言う。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2012年1月号
東部労組の第38回定期大会はいままでで最多の159名組合員が参加し盛会だった。
荒畑寒村(あらはた かんそん、本名勝三、 1887~1981)は、明治・大正・昭和を生き、活躍した社会主義者・労働運動家である。 彼には『寒村自伝』(岩波文庫 1975年刊)という著作があり、波瀾万丈、疾風怒濤、不撓不屈、血煙弾雨、孤立無援、博覧強記、血わき肉おどる、息つく暇もなくめっぽう面白い。 日露戦争反対から平民社や17歳での社会主義宣伝の伝道行商、その途上での田中正造・足尾鉱毒事件との出会い、赤旗事件で入獄、そのため幸徳秋水などが殺された大逆事件には連座しなかった。 演説会での弁士中止や出版物の発行発売禁止など権力による戦前のすさまじい「表現の自由」否定と徹底した弾圧がくりかえし出てくる。それとの闘いがおもな闘争にならざるを得ない状況がよく分かる。 1918年富山の米騒動を断固支持した寒村は裁判にかけられる。 圧巻は密かに中国の黒竜江を越えてチタからシベリア鉄道を走破、ついにイルクーツクからロシア革命が進行中のモスクワに入り、ロシア共産党第 12回大会で演説し、熱烈な拍手と歓呼を浴びるところ。 自伝の最後は次の歌でしめられている。 死なばわが/むくろをつつめ戦いの/塵に染みたる赤旗をもて 寒村の一生は本人も言うとおり挫折に次ぐ挫折、失敗に次ぐ失敗だが、それらに負けることなく一生涯闘いを貫いた。
「ディーセント・ワーク」という言葉をご存じだろうか。
![]() 「焼き場に立つ少年」という写真は有名なのでご存じの方も多いと思う。 アメリカ海兵隊のカメラマンで、のちに大統領付の写真家になったジョー・オダネルが撮ったものだ。 『トランクの中の日本-米従軍カメラマンの非公式記録』(小学館1995.6)に収録されている。 場所は原爆投下直後の長崎、背負われている弟と思われる幼児はすでに死んでいて、この少年ははだしのまま直立不動、「気を付け!」の姿勢で火葬の順番をじっと待っている。 オダネルは 「少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。 (火葬の)夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…」 とコメントを残してる。 オダネルは帰国後、被爆体験の悪夢にさいなまれ、すべての写真をトランクにしまってしまった。 しかし67歳の時、米国内の反核運動に触発されて「真実を伝えなければならない」と、43年間の封印を解いて写真を公表しはじめた。 いくたの嫌がらせにも屈せず、70歳を過ぎて体験を語る活動もはじめた。 そして焼き場に立つ少年を手を尽くして捜し続けたが、ついに再会は果たせなかったという。 この少年の怒りにも似た悲しい表情に胸を突かれる思いになるのは私だけではないだろう。 二度とこのような悲しい光景を起こしてはならないと誓わないでおれない。 この写真を最初に見たとき、なんで自分が写っているのかと思った。 それほど写真に写る少年は1950年代初頭10歳くらいの私自身だった。 当時両親が共働きだったので放課後2歳になった妹を、坊主頭、半ズボン、背負いひもなどまったく同じ格好で背負って過ごしていたからだ。 だからよけい他人事と思われない。 この写真はいまも私の机の前にある。(石) 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年9月号 コラム<二言三言>
労働組合運動の衰退が叫ばれて久しい。
全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年7月号
全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年6月号
全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年5月号
労働組合は要求で団結する。 その時期、その段階における最も力を入れるべき要求はただ一つ、支部の置かれているその時点での状況(少数派か多数派かなど)や企業との関係(緊張関係にあるか安定期かなど)によって決まる。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年3月号
新しい支部を結成する契機は、ワンマン社長など会社の不当違法で一方的な仕打ちに我慢しきれず労働者が決起するというケースが多い。 いままでの奴隷状態から人間回復のドラマは感動を呼び、英雄を産み出す。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年2月号
人にはそれぞれ人生を変える転機となった出来事があるのではなかろうか。 私にとって、ニム・ウェールズ著『アリランの歌-ある朝鮮人革命家の生涯-』(岩波文庫)との出会いがその一つだった。 40数年前、20代前半に何の気なしに読み始めたこの本は衝撃だった。 15歳の朝鮮人少年が日本の植民地支配のもとで朝鮮の三一独立運動で目覚め、活動の場を求めて鴨緑江を渡り、青年に成長する中で中国での広州コンミューン、海陸豊ソビエトなどの生死をかけた革命闘争の渦中での生々しい経験を積んでいく。何度かの逮捕、拷問、裏切り、病気、ラブロマンス。行く先は上海、北京、吉林、延辺など、そして延安にたどり着く。 アドベンチャー・ドキュメントにしては敗北と悲劇が多すぎるが、闘争は勝利の日まで、敗北とそれによる犠牲という授業料を何度も払わざるを得ない。 この本の背景に流れる主題は、闘争経験、とくに敗北の経験の総括に裏打ちされた闘う基本路線と戦術の確立が闘争にとっていかに必要不可欠かを示しているところにある。 「私の人生は失敗の連続だった。しかし敗北を重ねてきてなお敗北せざる者のみ最後の勝利をかちとるのだ」、「ただ一つ重大なこと、それは大衆との階級的結びつきを確保すること」、「人はただ経験によって正しい判断を会得する。 ある行動方針を試してみるのは誤りをおかすためでなく、正しい道を見つけ出すための第一歩」などは今の私たちの日常活動でも学ぶところがあるのではないか。 戦争が日常生活であった当時と今を単純に比較はできないが、反動の嵐がいかに吹き荒れようとも、強靱な精神と仲間との団結でそれを打ち破っていく様から学ぶことは多い。 40数年後の再読に不安はあったが、「人はいかに生きるべきか」についてはまったく当時と同様の感動を得ることができた。(石) 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2011年1月号 コラム<二言三言>
山口県の岩国米軍基地現地行動に全国一般労働組合本部を代表して、基地の現地調査、住民との交流会、米軍基地に向けたデモなどに参加した。
全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年12月号
本欄の昨年12月号『蓮舫にだまされるな!』で「民主党は国民生活破壊の新自由主義政策をただちにやめよ。 小泉ブームの再来はごめんだ」と訴えて1年が経った。
北野静雄さんは、研究者として勤める四国徳島の大塚グループ大鵬薬品での新薬データ隠し事件を契機に労働組合を結成し、委員長になった。 その彼がこの4月、労働相談・組織化学習を目的に東部労組に「国内留学」した。 もうひとつ学ぶ点は職場での闘いである。 会社と緊張関係のある職場で一人の組合員を増やすことがどんなに大変なことか、ほとんどの東部労組員には実感がある。「少数派から多数派へ」の学ぶべき優れた事例として参考にしたい。(石) 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年10月号
テレビ番組「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」が8月末に最終回を迎え、爆笑問題の太田総理は辞任した。 最終回のテーマは「正義の戦争はあるのか」だったが、出演者が自民党の石破茂、猪口邦子やタレントのテリー伊藤という顔ぶれで、突っ込んだ討論にはならなかった。 私たちは今まで多くの戦争を経験してきた。 「正義の戦争はあるのか」と問題を立てた場合、一番はっきりしているのは日中戦争における中国人民、ベトナム戦争におけるベトナム人民であろう。侵略占領してくる日本、アメリカに対する彼らの闘いは紛れもなく正義の戦争であったと断言できる。 一方、日清、日露戦争などは侵略国同士による領土ぶんどり合戦といえるだろう。 つまり侵略されても戦争という手段・方法(武装闘争)による組織的で強力な反抗がなければ、そもそも正義の戦争は形成されず、植民地支配が続くだけである。 したがって現在のイラク、アフガニスタン戦争に対しても、アメリカの侵略に反対するのは当然として、正義の戦争を担える闘争主体の形成こそを課題にすべきであろう。 少なくとも明確なのは私たちは侵略される国の民衆の側に立つということだ。(石)
まず次の文章を読んでいただきたい。 <仕事一筋できた父親、特に上場企業の役員クラスは、小さい頃から子どもを放ったらかしにしてきたことに負い目を感じている人が多い。だから、子どもが大学を卒業し、社会に巣立つ頃になると、「どこかいい就職先を世話してくれる人はいないか?」と俄然、子どもの面倒をみたいと思うようになる。子どもの就職がウィークポイントになるのだ。 これを利用しない手はない。もし、そういう情報が入手できたら、就職の世話をしてやればいい。自分のところで引き取ってもいいし、どこか関係先を紹介してもいい。それで交渉がうまくいくなら、ビジネス上、これほど有益なことはない。 仮に自社採用しても、生涯賃金が2億円ぐらいとして、それでその社員の親の会社から10億円の仕事がもらえるなら、これほど妙味のある投資はない。広告業界などでコネ入社が多いのもそのためだ。> これは評論家の文章ではない。東証一部上場のキヤノン電子の社長である酒巻久が、社内文書などでなく、今春出版した朝日新書に堂々かつ自慢たらしく書いていることである。 驚くべきはその企業のトップが恥も外聞もなく、このように儲けるためには何でもやるという、企業倫理のかけらもない主張をしていることだ。コネ入社奨励、どら息子や御曹司の飼い殺しOK。入社させたときにすでに採算はとれているということだ。 その酒巻社長の考えの元、キヤノン電子の秩父工場には社長室と応接室以外に椅子が無く、従業員は一日中、立ちっぱなしの状態を強いられ、腰痛を訴える従業員が後を絶たないという。また、廊下の歩行速度も制限があり、 5m の距離を 3.6 秒以内で歩かないと警告音が鳴るようになっている。 スローガンは「急ごう、さもないと会社も地球も滅びてしまう」。つまり「滅び」ないための原則はただ一つ「もうけること」だ。そのためにはコネ入社でも労働者の酷使や使い捨てでも何でもやりますよということだ。労働者と労働組合が力を持たないと、こんな情けないことになるという見本だ。(石)
全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年8月号
プロレスラー三沢光晴( 2 代目タイガーマスク)が試合中事故で亡くなって早いものでもう 1 年になる。 三沢は1年前、広島での試合で急角度バックドロップを受けた後、意識不明・心肺停止状態に陥り、亡くなった。 試合相手の斎藤選手がバックドロップをかけ、それによって三沢が死に至ったのは事実である。 なぜか。 それに適用される刑法35条(刑事免責)は、私たち労働組合と組合員にも、「労働組合法」第1条で、「労働組合の団体交渉その他の行為であつて前項に掲げる目的を達成するためにした正当なものについて適用があるものとする」と宣言されている。 正当な争議行為には刑事責任が科されないということだ。 だからといって何をやっても良いというわけではもちろんなく、その争議行為の「正当性」が常に問われることは言うまでもない。(石) 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年7月号
その中で今でも忘れられない場面がある。 記者の「いくらですか」の質問に薬師寺社長は4本の指を示し、記者は 4000 万円ですかと息をのむ。 規制緩和でタクシー労働者がむちゃくちゃな長時間、無権利、低賃金労働を強いられ、一方で経営者が大もうけをしていても、従業員が「反乱」を起こさないかぎり認めてくれていると、資本家は考えるのである。 だから彼らに対する私たちの回答は「お願い」ではなく、闘争でしかありえない。職場における労働組合結成とその闘いでしかあり得ない。 したがって、労働法学者の道幸哲也さんがよく言う「労働者にとって最大のセーフティネットは労働組合」とは至言だと思う。(石)
全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年6月号
『資本論』は19世紀のドイツの革命家マルクスの主著である。
私が最近の国鉄東部集会、全港湾組織化合宿、労働者春闘集会、神戸春闘合宿の講演で強調し、また今月開かれる名古屋ふれあいユニオン集会でも話すつもりの重要なテーマは「いつも心に硫酸を!」である。この穏やかならざるスローガンを唱えるのはなぜか。 全国一般東京東部労組機関紙『東部労働者』2010年3月号
小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」による土地取引をめぐる政治資金規正法違反事件で、東京地検特捜部は1月15日、元秘書の石川議員を含む3名を逮捕し、23日に小沢幹事長を任意で被疑者聴取した。
宇宙は今から137億年前に誕生、地球は46億年前にできたといわれている。 2010年1月号<二言三言>
NHKは今月29日から3年にわたり、司馬遼太郎の長編小説『坂の上の雲』を原作としたスペシャルドラマを放映する。すでにキャンペーンがはられ、一大ブームになる勢いだ。
この夏、全国一般の古くからの友人の長男が19歳の若さで交通事故のため死亡した。 2009年10月号<二言三言>
昨年9月のリーマンショック以来の世界同時不況は日本の労働者を直撃し、労働と生活を劇的に様変わりさせている。それは労働相談にも反映している。
昨年のノーベル物理学賞の受賞者の一人に益川敏英氏がいる。
広島電鉄の労働組合は、今春闘での契約社員全員の完全正社員化実現や路面電車を守る闘いの成功でマスコミでも有名になった。 2009年7月号<二言三言>
デイベンロイ労組支部執行委員会は4月8日、「田中元取締役はいい加減に恥を知れ!!」との決議を決定し、その文書を全社に配布した。
<二言三言>2009年4月号 一昔前までは、「労働者」「資本家」とか「大衆闘争」「階級闘争」とか言うと、労働運動関係者の間でも白い目で見られたものである。とくにソ連の崩壊とそれに伴う「マルクス主義は解体した」との論調の延長線上にその傾向は強まった。 <二言三言>2009年3月号 日本の戦前戦後を通じてのストライキ件数を、厚生労働省の「争議行為を伴う争議」と「行為参加人員」の統計で見た。それによると戦前を通してストライキ件数と参加者のピークは盧溝橋事件で日本が中国に全面戦争をしかけた1937年の626件、12万余人である。その後国民総動員法が成立し、軍国主義の締め付けがひどくなる1939年でも7万人を超える私たちの先輩労働者がストライキに決起している。 <二言三言>2009年2月号 この10月に、「『名ばかり店長』『名ばかり労働組合』じゃたまらない-過労死・労災の実態と闘い」というブックレットを出版した。 <二言三言>2008年12月号
<二言三言>2008年11月号 東部労組では新しく支部を結成すると、支部組合員を対象に初級労働学校を必ず開催する。今回は私一人で新支部の初級労校の全教程5回の講師をほぼ週一度のペースで務めた。 <二言三言>2008年10月号 大久保製壜支部の杉田さん、羽野さん、鈴木銀一郎さん、石井菊枝さんが相次いで最近退職された。それで8月29日、慰労会が開かれた。 <二言三言>2008年9月号 小林多喜二の小説『蟹工船』が今、売れているという。 <二言三言>2008年8月号
7月3日、全労協主催の「G8サミットにもの申す」集会が開かれ、法政大学の五十嵐仁さんが講演した。その中で五十嵐さんは「2006年の転換」という注目すべき提起を行った。 <二言三言>2008年7月号 6月8日日曜日午後0時半ごろ、秋葉原で7名死亡、10名が重軽傷を負うという殺人事件が発生し、衝撃が走った。 <二言三言>2008年6月号 5月2日の毎日新聞は次のように報じました。 <東京都教育委員会が都立学校の職員会議で教職員による挙手や採決を全面禁止した通知を巡り、都立三鷹高校の土肥信雄校長(59)が「教育現場で言論の自由が失われている」と撤回を訴えた。都立高の現職校長が都教委の方針に公然と異議を唱えるのは極めて異例だ。都教委は2006年4月、「職員会議において『挙手』『採決』等の方法を用いて職員の意向を確認するような運営は不適切であり、行わないこと」と通知した。土肥校長は「教職員が『何を言っても意味がない』と思うようになり、活発な議論がされなくなった。教員の意見が反映しにくくなった」と主張。4月11日に立川市内で開かれた都立高校長会で、通知撤回を訴えた。> 石原慎太郎知事の都教育委員会の「職員会議の挙手・採決禁止通知」は、教職員には質問も意見も言わせない、賛成か反対かも聞く必要もない、軍隊のように教育委員会や校長の命令にただただ黙って従えというオッソロしい反民主主義の通知です。 三鷹高校 FAX 0422-49-8429 <二言三言>2008年5月号 4月6日(日曜日)深夜の日本テレビ「NNNドキュメント2008」で放映された「兵士たちが記録した南京大虐殺」を見た。 <二言三言>2008年4月号
大阪育ちで、いま江戸川区に住む池田はるみという歌人をご存じだろうか。 相撲が好きで、一冊丸ごと相撲を詠んだ歌集もある。 大阪出身なだけに関西弁のものも捨てがたい。 しかし彼女の真骨頂はなんと言っても社会を見抜く鋭いまなざしであろう。 とくに次の2首は新自由主義、ワーキングプア、貧困の本質と資本家の意志を見事に喝破するものになっていないか。 <二言三言>2008年3月号
コナカ支部高橋組合員の店長時代の残業代を会社側は解決金として支払った。そしてその6日後、東京地裁はマクドナルドの店長の未払い残業代の支払いを命じた。 11月28日、労働契約法案が可決・成立した。 <二言三言>2007年12月号
デイベンロイの4階食堂にある組合掲示板に次の詩が張り出されているのをご存知だろうか。数年前、新聞に出た千葉高教組の広告の中にあったものだ。タケエイ支部は時々食堂をお借りして全体会議をやっているし、他の支部も旗開きや定期大会、ビアパーティに行く機会があるので、そのときに見てみよう。 戦死せる教え児よ 高知県の中学教師がこの慟哭の詩を書いたのは敗戦から7年目、まだ戦争の傷跡が生々しく残る中であった。そしてこの詩はいまでも私たちの胸を強く打たずにおかない。ウイーンで開かれた第1回世界教員会議で紹介され、放送局が放送したとき、局員全員がハンカチで顔をおおったと伝えられているのもうなずける。 <二言三言>2007年11月号 世界に名を馳せる外資系会社で、5年間にわたって、上司による女性従業員へのセクハラ、パワハラが行われた。当事者は労働局のあっせんなどを試みたがうまくいかず、最後の望みを賭けてわが組合を訪れた。それから1年4ヶ月、闘いによってやっと解決した。
私にも少年時代はあった。1942年(昭和17年)、戦中の生まれである。その1年前がハワイの真珠湾攻撃で、太平洋戦争が始まった。生まれた年の6月が戦局の転機をなすミッドウェー海戦で、その後日本軍は敗走する。中国大陸でも同様だった。そして東京大空襲、米軍の沖縄上陸、広島・長崎の原爆投下と続く。
7月14日と15日、電気通信産業労働組合第30回定期大会が宮城県鳴子温泉で開かれ、私も記念講演を依頼され参加した。 <二言三言>2007年7月号 6月合宿で札幌地域労組・鈴木書記長の話を聞いた。貴重な経験から学ぶことは多かったが、中でも会社と一体となったUIゼンセン同盟が不当労働行為を行ったとの地労委、中労委の認定は画期的な意味をもつ。これを同じ「労働組合」といってよいのか。 友達を 売ったらあかん <二言三言>2007年6月号
4月6日、新支部・争議支部激励集会が開かれ、新しく結成された支部と争議支部、そして個人組合員が紹介され激励を受けた。 |
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